第26話 旅立ちの日、王妃の願い

 アーノルドたち一行は、ソール国に行く前に一度クラウディアに戻ることになった。アンジェラがあのとき世話になった宿屋の女将にお礼がしたいと言ったためである。


「クラウディアに戻すとなると、ソールまでは自分達の足で向かわねばならんが」


 ソール国に送るつもりだったらしいエスメラルダはそれでいいのかと訪ねた。転移石はドラグニアと地上の国との移動手段であり、地上の国から国への移動は出来ない。魔道具であるそれはドラグニアの民でも自由に使えるものではなく、使えるものがあるとすれば「社会勉強」の際に貴族たちに持たせるものだけだ。


「クラウディアならわたくしたちの馬車もありますし、大丈夫ですわよ。兄様もなるべく長い時間、アンジェラと過ごしていたいでしょうし。ねぇ?」


 アンジェラへの好意の表現に遠慮がなくなった兄に、妹はにんまりと笑って尋ねる。


「そりゃあ、もちろん」


 迷いのない返事に、アンジェラの方が頬を薄く紅潮させた。エスメラルダもにやにやと笑って、短く息をついて転移石をひとつアンジェラに手渡した。


「なにかあったら四人のうちの一人だけでもいい、すぐにこれを使ってここに戻れ。特にクラウディア国のことはまだ油断出来ないからな。あいつらは竜族の力をまだ諦めていない。……それから、これは」


 エスメラルダはもうひとつ、転移石を差し出す。


「万が一、シンシアを見つけることがあれば、これで彼女を強制的に国に戻してくれ。可能なら、で構わない。クラウディアへ書状を送らせたが、あの国王のことだ、当然簡単に引き渡すはずがない。条件は兵士か、魔道具か……シンシアが戦争に利用されるのは間違いないだろう」


 四人ははっとして、エスメラルダの顔を見る。その顔は王妃というよりは、子を想う親のようにも見えた。


「愚かな娘だが、あれもドラグニアのものだ。彼女のしたことは決して許されることではなく、クラウディアで処刑されるのであればそれは仕方のないことだろう。だがその力を悪用されるくらいなら、この国で私自身がシンシアを裁く。彼女がこれ以上、炎の加護を汚す前に」


 竜族は通常の人間に比べ、存在する数が少ない。ゆえに王妃エスメラルダは、竜族の誰をもとても大切に思っていた。それがどれだけ愚かな男爵家の娘であろうとも、罪人であろうとも。竜族は炎の加護こそ受けた存在ではあるが、それ以外は人と何ら代わりはない。シンシアのように罪を犯すものも当然おり、エスメラルダが過去自ら罰を下した例はいくつもあった。


「お前たちにしてみれば、もう関わりたくない相手だろうが……すまないな」

「――いいえ、王妃。私には彼女をひっぱたく権利がありますもの」


 アンジェラは泣きそうにも見える表情で笑みを浮かべて言った。

 彼女の何もかもを奪った娘。同族でありながらその力を持って、アンジェラを陥れようとした。彼女があんなことをしなければ、ランドルフとの未来があったのかもしれないが……今はもう、その未来は決してあり得ない。


「シンシアのしたことは許されたことではありません。それは私も同意します。その罪の重さを考えれば処刑されるのが妥当であるとも。……ですが、そのお陰、というのでしょうか……彼を想っていた頃には見えなかったものが見えるようになって……彼に関して言えば、これで良かったと思っているんです」

「……あぁ。ひとは辛く苦しいことを乗り越えれば強くなる。悲しい事件であったのは間違いないが、アンジーはそれで成長出来たのだな」


 ほぼ盲目的にランドルフを愛していたからアンジェラは、心を壊した。彼が世界のすべてのように思っていた。けれどそれは間違いだと、今ははっきりと理解している。


「思えば私はランドルフに依存していました。……私が本当に有りたかった形は、そうではないのに。私は私の伴侶となる人とは、同じ道を歩いて行きたいのです。離れていても想い合えるような……互いを信じ、決して裏切らないような。そんな関係を築きたいと思っていたはずです」


 ローレンスはアンジェラの隣でこく、と頷いた。アーノルドはそこでふと、ローレンスが以前言っていた言葉を思い出した。

 姉さんも、強いひとだった。――と。


「私はいずれ公爵家を継ぐ身です。もっと強い心であらねばなりません。だからもう、シンシアやランドルフを見て取り乱すことはしません」


 アーノルドの肩がぴくりと動く。公爵家を継ぐ身。ドラグニアでは性別に関わらず、最初に生まれた方がその爵位を継ぐことになっている。その話も確かに聞いていたはずであるのに、彼は密かにショックを受けている自分に気がついた。

 エスメラルダがふっ、と、表情を緩める。


「極端に気負うことはない、アンジー。強い心を持つのはもちろん大事だが、頼れるものは頼っていいのだ。弟にも、お前を想う誰かにも、な」


 ちら、と目配せをされたアーノルドは、知らずに落としていた肩を張り背筋を伸ばす。まるで心を見透かされたような言葉に、冷や汗が滲んだ。


「お前がランドルフ王子しか見えなかったのは、他に頼るひとがいなかったからだ。自分には彼しかいないと思い込んだ。そうではないと、今ならわかるのだろう? お前を助けようとする存在を存分に頼って、甘える。そしてお前もまたその人たちを助ける存在になるのだ」


 アンジェラがぱちぱち瞬きをして、周囲を見渡す。ローレンスもマリアベルも嬉しそうにこくこくと頷いて、アーノルドも柔らかく笑って静かに頷いた。

 胸が詰まる想いを感じつつアンジェラは、花が咲くような笑顔を浮かべた。


――あぁ、そうか。


 アーノルドはアンジェラの笑顔を見つめて、思う。

 彼は漠然といつか、彼女を王妃に迎え入れたいと思っていた。それが彼女が爵位を継ぐ位置にあると聞いて、叶わないことだと知りショックを受けた。

 だけれど、それがなんだと言うのだ。彼女を王妃にするために彼女を探していたわけではない。

 ただ、焦がれていた。恋をしていた。だから会いたいと……いつかこの想いを伝えたいと、それだけを思っていたはずだ。

 王族であり第一王位継承者である自分は、いつかソール国にとどまらなければならない日が来るだろう。アンジェラが公爵家を継ぐというのなら、彼女もまたドラグニアに留まる日が来る。


 でも。……それでも。


 アンジェラを想う気持ちは、一生変わらない。離れていてもずっと彼女を想い続ける。今までと変わらず、ずっと。

 地位や立場など関係ない。自分はアーノルドとしてアンジェラを想っている。ただ一人、アンジェラという存在を。


 物思いに耽るようなアーノルドの表情にマリアベルは、幾分かやきもきした表情を浮かべていた。そしてその隣でローレンスも、何か言いたげな表情を見せている。

 それぞれの感情をわかりやすく表している四人にエスメラルダは眉を下げて笑い、そう簡単には落ち着かんか、と心で思う。


「さて……そろそろ出発だな。アンジーにロン、両親への挨拶は済ませてあるな?」

「えぇ、昨日のうちに。定期的に手紙を送る約束もしました」

「それでいい。ソール国の王子、王女よ。お前たちの国へはそのうち私も赴こう。国王陛下ならびに王妃殿下によろしく伝えてくれ」

「はい、必ずお伝えします」


 アーノルドは深く礼をし、マリアベルもカーテシーをする。

 そうして一行はエスメラルダに見送られ、ドラグニアを立った。エスメラルダは少しばかりの寂しさを感じつつ、身体の力を抜く。その直後、一人の従者が静かにエスメラルダに歩み寄り、声をかけた。


「王妃様、地上に送った兵からの報告です」

「あぁ、どうした」

「クラウディア国の王子が独断でアンジェラ様を探していると……地上に残された転移石を利用して、ドラグニアに向かってくるものと思われます」

「……わかった。引き続き調査を。警戒も怠るな。それと今さっきアンジェラたちを地上に送ったばかりだ、何かあったら必ず守るよう伝えろ」

「かしこまりました」


 従者が離れて行くと、エスメラルダは今度は深いため息をついた。

 ランドルフがアンジェラを探しているとすれば、シンシアは今どうなっているのか。マリアベルが牢にいれたと言っていたが、その後の報告がまだ来ていない。まだ牢に入れられたままなのか、それとも……。

 胸騒ぎを感じて、エスメラルダは瞳を細めた。


「頼むぞ、アーノルド……」


 彼女の心が、身体が、これ以上傷つくことのないように。心からの祈りとともに王妃は、地上のアーノルドに向かって頭を下げた。

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