第27話 狂気は静かに加速する

 クラウディア国外れの街で、宿屋の女将は目を丸くした。


「まぁまぁ、あんた! 随分すっきりした顔になって! あのときは酷く青白い顔をしていたから心配だったんだよ!」


 心の病から立ち直ったアンジェラの姿に安堵の表情を浮かべ、女将はアンジェラの頬を両手で包み、それからそっと撫でた。アンジェラはくすぐったそうに肩を竦めて、女将に穏やかな眼差しを向ける。


「その節は大変お世話になりました。お洋服までいただいて……本当に感謝しております」

「あらやだ、いいのよ! お節介が仕事みたいなもんだからねぇ。……あ、そうそう、もしかしてあんた、冤罪だった竜族の娘かい? 先日のニュースペーパーに載ってたんだよ。真犯人は保護された方の娘だった、って」

「間違いありませんわ。最初からアンジェラに、罪はありませんの」


 マリアベルが言うと女将は、やっぱり、という表情を見せた。アンジェラから手を離し、カウンターの上に何枚か重なっていたうちの一つのニュースペーパーを手に取る。そこには「罪人」として、シンシアの顔が大きく載せられていた。アンジェラの口許が、無意識に引き締められる。アーノルドが身を乗り出した。


「女将、ちょっとそれ見せて貰っても?」

「あぁ、いいよ」


 女将からニュースペーパーを受け取ったアーノルドは、ローレンスと共に書面に目を通した。

 罪人シンシアのこと、罪人だと思われていた竜族の娘が身を呈してレイニー国を退けたこと、その際ドラグニア王妃の怒りを買ったこと。正しいこともあれば大分誇張して書かれている情報もあり、アーノルドは浅く息を吐き出した。


「市民には非常事態宣言が出されていたはずだけど……こいつら、一体どこから見てたんだ」

「! アーノルド、ここを見てくれ」


 ローレンスが文章の一部を指差し、そこへ視線を向ける。アーノルドの眉間に目一杯シワが寄って、マリアベルが訝しげに首をかしげた。


「……尚、レイニー国の兵士を追い返した竜族の令嬢について、皇太子が行方を探している。見つけたものには褒賞金を与えると……捜査の手はドラグニアにも……」


 アンジェラが息を飲み、眉を寄せる。


 なぜ今さらランドルフが自分を探しているのか。探してどうしようと言うのか。怒りのような感情を覚えたアンジェラは拳を強く握り、自分の身体を守るように片腕で反対側の二の腕を掴む。アーノルドはローレンスにニュースペーパーを任せると、アンジェラに歩み寄りぎこちない手つきで力の入った肩を撫でた。


「アンジェラ」


 アーノルドの気遣いを察したアンジェラは眉を下げて笑うと、安心させるように肩の力を抜く。


「……大丈夫。私にはあなたたちがついているもの」


 深く頷いたアーノルドのそばでマリアベルは、口許に手を当てて難しい表情を浮かべていた。


「ドラグニアに行くには転移石が必要ですわよね? クラウディアはそれを持っていますの?」

「クラウディアとドラグニアにはこれまで交流がなかったから、本来ならあるはずはないのだけど……」


 ローレンスが顔を上げた。二人には思い当たる節があった。


「多分……姉さんとシンシアの転移石だ」


 ドラグニアの貴族が地上に社会勉強へ赴く際に持たされる、制約付きの転移石。ローレンスがさしているのはそれのことだった。


「え? でもたしか、貴族たちに渡される転移石って」

「そう。期日が来ると自動的に国に戻される仕様だ。だけれど設定された日から一月強制転移がされなかった場合、通常の転移石と同じ働きになる。これはこっちに来た竜族がただならぬ事情で戻ることができなくなってしまった場合の処置で、基本的には事前に国の許可が必要なんだ。だけど多分、ほとんどの人はそれを知らない」

「転移石の詳細についてはオレも初耳だな。……ってことはクラウディア国、いやランドルフがその石を利用する可能性があるってことか」


 アンジェラが視線を伏せて、静かな声で言う。


「転移石には炎の精霊による魔力が込められていて、それは決して割れたり燃えたりすることがないの。……だから多分、あの街には二つの転移石が残っていたはず」


 シンシアの手によって燃えてしまった街。アンジェラにとっては幸せな思い出と、最悪な思い出が共存する場所だ。アーノルドはアンジェラの肩をもう一度優しく撫でて、紫紺の瞳を細めて笑った。


「アンジェラ、早くソール国に向かおう。ここよりもずっと安全だろうし、クラウディアの兵たちもソールでは大人しくせざるを得ない」

「そうですわ。街に戻れば馬車もありますし、すぐに参りましょう。女将さん、いずれまたゆっくり遊びに来ますわね」


 マリアベルがぺこりと頭を下げると、女将はあ、と声を上げて突然カウンターの奥へと駆け込んでいった。何事かと全員が視線を向けていると、女将は腕にたっぷりと布を使ったマントを持って戻ってきた。


「あんたたち、これを頭から被って行きなよ。その頭は目立つし、理由はわからないけどクラウディアの兵に見つかったらまずいんだろう?」

「女将さん……!」

「あの日、あんたたちを迎え入れたのも何かの縁だ。最後まで面倒見させておくれよ」


 女将の計らいにマリアベルは涙ぐみ、それから勢いよく歩み寄って女将の手を取った。


「わたくし、絶対に父様と母様にこの宿のことをお伝えしますわ!」

「だ、だから国王陛下に伝えるのは勘弁しとくれ!」


 クラウディア国、外れの街。その小さな宿では今日、楽しげな笑い声が響いていた。







 光の差さない、暗い部屋。鉄格子のその向こうに、ぼろぼろのドレスを纏った女性が一人、膝を抱えて踞っている。

 足元は裸足で、身体も服も、その赤い髪も汚れていた。


 シンシア・ビアズリー。


 街を燃やしたくさんの人の命を奪った罪人である彼女は今、利用価値があるという理由だけで最悪の環境の中生かされていた。

 肌は荒れて、唇は皮が向けて血が滲んでいる。金色の瞳は虚ろで、生気がない。

 カツン、と足音が聞こえて、シンシアは勢いよく顔を上げた。数回続いた足音はシンシアのいる牢の前で止まり、濁った空色の瞳が彼女の姿を映す。


「……ランドルフ、様……」

「きみが僕の名を呼ぶことを許していない。……シンシア・ビアズリー。きみの言っていた通り、あの街で転移石をふたつ見つけることが出来たよ。これでアンジェラを探しに行ける」


 アンジェラたちが姿を消した直後、国王はランドルフにシンシアとの結婚を命じた。だがランドルフはそれに応じず、独断でシンシアの捕縛命令を出すと父に向き直りはっきりと告げた。


『僕の花嫁はアンジェラ以外あり得ない』


 国王は当然、怒りの表情を顕にした。だけれど狂気しか宿していない息子の瞳に説得は不可能であると判断し、条件を出した。


『一月以内にかの令嬢を見つけ、結婚を取り付けるのだ。それで貴様の愚行は忘れてやる』


 言われるまでもなく、ランドルフはアンジェラを探して取り戻す気でいた。シンシアのことは、殺さなければどう利用しても良いと言われたため牢に入れたままぎりぎりのところで生かしている状態であった。食事は水と少量のパンを朝と夜のみ、当然湯浴みなど出来るはずもない。防寒に与えられたのはぼろきれのような布のみだ。


「……ねぇ、きみ。シンシア・ビアズリー。僕がきみを、どれほど恨んでいるかわかる?」


 口許に笑みを張り付け、だけれど少しも笑っていない瞳でシンシアを見る。シンシアはひくりと喉を震わせて、目を反らした。


「きみが現れなければ僕は、今もアンジェラと一緒にいた。きみがあんなことをしなければ僕は、アンジェラを疑わずに済んだ。きみがあの男たちをこの場所から逃がしたから、アンジェラはあの男に連れさらわれた。……ねぇ、わかってる? きみの存在がどれほど……どれほど、邪魔なのか」


 ガシャン! と強い音を立てて、ランドルフが鉄格子を蹴った。シンシアの身体が強く跳ね、直後ぶるぶると震えだす。ランドルフの目にあるのは明確な殺意だった。彼はシンシアを生かしておくつもりなど、毛頭ないのだ。


「きみが、きみさえいなければ……! きみのせいで僕とアンジェラは引き裂かれたんだ! 愛し合う僕たちが離ればなれになってしまったのは、きみがいたからだ!」


 この鉄格子がなければ今、シンシアは生きてはいなかっただろう。国王の命令など今はもう、ランドルフにとって何の意味もない。

 ただ彼はアンジェラを取り戻すことだけを考えていた。アンジェラとの未来だけを考えていた。


「僕がどれだけ迷惑そうにしていても、アンジェラとの約束があると言っても、きみはしつこく付きまとってきたよね。今思うと何であの時点で始末しておかなかったんだろう、僕とアンジェラの仲を邪魔するやつなんて、生かしておいても仕方がないのに! きみも、あの男も、すぐに殺しておくべきだった!」


 殺気を帯びた眼差しだけで、射殺されてしまいそうな気さえする。シンシアはガチガチと奥歯を鳴らして、必死に身体を縮こまらせていた。


 この狂気をどこに隠していたのか。あの街にいるときは、――街が燃えてしまうまでは、その狂気は少しも見えなかった。だから利用できると考えた。アンジェラに心を向けている、高貴な身分のお坊っちゃま。アンジェラを傷つけ、あわよくば彼女の後釜に収まることが出来れば……そんなふうに思っていたというのに。


 今目の前にいるこの男は。

 狂気に身を投じておかしくなってしまったこの男は、あまりにも危険だった。


「……アンジェラが見つかったら、僕がきみを処分してやる。皇太子に首を斬られるんだ、栄誉なことだろう?」


 はは、と乾いた声で笑ったランドルフはしかし、次の瞬間にはその表情から一切の感情を無くして言った。


「本当は首を斬る程度じゃ収まらないんだけどさ。爪を剥いで八つ裂きにして……火炙りに出来ないのが残念だな。竜族の炎の加護とはすごいね、きみのようなゴミにも与えられるんだから」


 にたり、と上がった口角。人を人とも思っていないであろう、その顔。

 いっそ今すぐに殺してくれた方が楽になれるとさえ思った。アンジェラが捕らえられるその日まで、恐怖を抱いて生きて行かなければならないのなら。


「安らかに死ねると思わないことだ。きみがアンジェラを傷つけた分だけ……いや、それ以上にきみは傷つくべきだ」


 ランドルフにはもう、冷静な判断はなにもできない。

 アンジェラを奪うもの、アンジェラとの仲を邪魔するものはすべて悪。ただそれだけである。

 恐怖に気を失いそうな様子のシンシアに、ランドルフは何の感情も抱かずにその場を離れて行く。



「ゴミクズに構っている暇なんかないんだ」

「アンジェラを早く見つけてあげなきゃ」

「彼女も僕の迎えを待っている。……僕のだけの、アンジェラ……」



 濁った空色に真実は映らない。

 彼の目にあるのは、過去の幸せな現実と――あるはずのない未来の、妄想。

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