第21話 炎舞の代償 -王妃エスメラルダ-
アンジェラの身体を包んでいた炎は、不意にその火力を失い消えた。宙に浮いたままのアンジェラの身体はそのまま落下していく。
アーノルドは素早く彼女の落下地点まで走り、その身体を受け止める。あちこち切り裂かれ出血したその身体はもはや自分の意思では動かせないほどに弱り、アーノルドの顔は見る見るうちに青褪めて行った。
「……あ、アンジェラ……アンジェラ、しっかり……!」
「姉さん!!」
アーノルドに追いついたローレンスは、彼の腕の中でぐったりした様子の姉の姿にやはり青褪めた。表情を泣きそうに歪め、何度も首を振る。
「そんな、姉さん……! どうしてこんなこと……!」
ふ、と。アンジェラの瞼が震え、少しずつ金色が覗く。アーノルドとローレンスは同時に息を飲み、アンジェラの顔をじっと見つめた。
金色の瞳はゆっくりとした瞬きを繰り返すと、アーノルドとローレンスの顔を交互に見やる。その口元が、微かに弧を描いた。
「よく……無事で……」
「アンジェラ、何を」
「――ごめんなさい、アーノルド……せっかくもらった服……汚してしまったわ」
アンジェラの言葉とその瞳の色に、アーノルドははっと目を見張った。ランドルフに囚われたときに見た色ではない。その金色の輝きは、彼がずっと求めていた「初恋の君」のものだった。
「服……服、なんて……服なんてこれから、もっとたくさん贈るよ。何色が好きだ? アクセサリーも、きみの好みのものを揃えよう」
力の入らなくなった身体を抱きしめて、アーノルドは震える声で言葉を紡ぐ。
重く暗い瞳は、そこにはなかった。狂気の国へ足を踏み入れていた彼女の心は、今ここにあった。
アンジェラがふふ、と笑う。
「あなた……どこまでも、親切なのね……」
ローレンスが驚きに目を見開く。慌ててアンジェラの手をぎゅぅと握り締め、確かめるように呟いた。
「姉さん、……正気に、戻って……?」
「……ロン……ローレンス……私のかわいい弟……心配、かけたわね……」
ぐぅ、と込み上げるものを感じたローレンスは深く息を吸い込み、また強く首を振る。血に塗れてしまった手を両手でしっかりと握り締め、何度も口を開いては閉じ必死に言葉を漏らした。
「全然、……そんな、おれ、……っ、」
今にも泣き出しそうな弟の顔に、アンジェラがまた笑みを浮かべる。
「愚かな、姉を……笑ってちょうだい……? 愛した人に化け物と呼ばれて、心を壊して……それでも私はまだ、あのひとを想っていた。……でもね、……もう、いいの。よー……く、わかったの……」
諦めたような、自嘲を含んだ声。アーノルドが痛々しげに眉を寄せ、アンジェラの身体をそっと抱き上げる。この怪我をなんとかしなければと思っていた。マリアベルの姿を探し視線を巡らせた、そのときだった。
クラウディア国の兵士たちが一斉にざわめき、膝をついて頭を垂れる。
ランドルフが国王を伴って、アンジェラの力によりレイニー国の兵士がいなくなった街なかへやってきたのだ。
アンジェラの姿を見たランドルフが、愕然とする。
「……っ、アンジェラ、一体何が……誰がアンジェラをこんな目に……」
「――まだわからないのか!」
怒りの感情を隠すことなく、アーノルドは鋭く声を上げた。
「竜族の炎舞は神聖な儀式! その行為以外に使うことは許されていない! 神聖な炎で人を傷つけた竜族は炎の誓約によってその身を切り刻まれる……だからあの事件の犯人が彼女であるはずがない! あれだけの人数を傷つけたとしたら、こんなふうに一歩も歩けなくなるのだから!」
ランドルフは呆然とした顔で、アーノルドの腕に抱かれているアンジェラの姿を見つめていた。
その光景はまるで、いつかのあの街のものだった。
炎に焼かれ、人が大勢死んだあの街でランドルフは、「身体中傷だらけの」「歩けなくなった」シンシアを抱きかかえて絶望していた。そして前日と変わらぬ姿のままのアンジェラをその惨劇の犯人であると決めつけ、突き放した。
悪人だと、化け物だと。
一時でも愛したことが信じられない、と。
ランドルフの喉が引きつった音を上げた。見開かれた瞳に絶望の色を映し、アンジェラを見つめ続けている。
「う、嘘だ……そんな、だってあのとき、……」
「だったらもう一度シンシアにお聞きあそばせ。なぜ住人が『焼死』した現場で彼女一人が『傷だらけ』だったのか」
「マリアベル!」
国王たちの後ろから、マリアベルは堂々と歩いてやってきた。すぐにアーノルドたちに走り寄り、傷ついたアンジェラに表情を歪める。
「あなたがたった一度でもアンジェラの言葉に耳を傾けていたら、彼女がこんなふうに傷つくことはなかったはずです。彼女をこうしたのはあなたです。あなたがアンジェラを傷つけたのです!」
彼女は――アンジェラは何度も、ランドルフに話を聞いてくれと言っていた。
自分ではない、違うのだと、繰り返し何度も何度も。だけれどその言葉を、ランドルフは一度も受け入れなかった。再会したそのときですら彼は、アンジェラの話を聞くことを拒んだ。
黙ってしまったランドルフの後ろで国王が、大きく咳払いをした。ずい、とランドルフよりも前に出て、アーノルドたちを一瞥する。
「――ほう。つまり我が息子は、選ぶべき竜族の娘を間違えたという訳か。全く、社会勉強をして少しは成長したと思ったが、まだまだ愚かなことよ。恋や愛に心乱され、見誤るとは。だがまぁ、どちらの竜族が加害者であろうが被害者であろうが、状況は変わらぬ。そこの男。その娘をこちらへ渡してもらおうか」
「……何?」
アーノルドの気が、ざわりと逆立った。
「その娘は交渉材料だ。代わりにシンシア嬢は返してやろう。同じ竜族の娘であるなら、何も問題はあるまい?」
国王の言葉が、アーノルドには理解出来なかった。
代わりに? 誰が、誰の代わりになる、と?
アンジェラはアンジェラでしかあり得ない。だというのに国王は、「シンシア」を差し出す代わりに「アンジェラ」を寄越せという。ざわざわと、黒い感情が腹の奥から生まれてくる。瞳に宿るのははっきりとした敵意だった。
そのときである。
「うわっ!?」
「きゃあっ!」
カッ、と強い光を放った何かが、アーノルドたちの近くへ落ちた。アーノルドはアンジェラを守るように抱き寄せ、ローレンスも咄嗟にマリアベルの頭を抱え込む。
一瞬目眩ましにあったものの、兵士たちは一斉に国王と王子を守るように立ちはだかっていた。
アーノルドがゆっくりと目を開けると、目の前にアンジェラと同じくらい鮮やかな赤が広がる。膝の裏ほどまで伸びた長い赤髪を靡かせ仁王立ちしたそのひとの姿に、一番最初に声を上げたのはローレンスだった。
「王妃様!」
切れ長の金色の瞳はローレンスの声に微かに見開かれ、その視線がローレンスを捉える。王妃と呼ばれた竜族の女性はにかっ、と愛嬌のある笑顔を浮かべると、片手を軽く上げて言った。
「おお、ロン! 偶然だな!」
彼女が身につけているのは淑女のそれではなく、騎士が着るような軍服であった。白い生地に金色の飾緒、黒みを帯びた深く艶やかな赤色のマント。パンツスタイルで足元はブーツと、とても「王妃様」には見えない格好であった。
「しかしなぜロンが……」
切れ長の瞳が、不意に揺らいだ。アーノルドの腕に抱かれているアンジェラの姿に、すぐに笑顔が消える。
「……おかしな書状が届いたから、様子を見に来てみれば。……クラウディア国王陛下。これは一体どういうことだろうか?」
「な、なに……!? まさか、ドラグニアの……」
「ドラグニア国王妃、エスメラルダ・グレース・ドラグニア。以後見知りおけ」
兵士たちはその威圧感に圧倒され、再び地面に膝をつく。クラウディア国王は忌々しげに眉を寄せ、奥歯を噛み締めた。
滅多に地上に姿を見せることのない、ドラグニアの王妃。その雰囲気はまるでひとではなかった。姿形は間違いなく人であるというのに、その背後にある気配にとてつもない恐怖を感じる。シンシアやアンジェラにはなかった、本物の炎の加護。エスメラルダはクラウディア国王をじっと見つめてもう一度尋ねた。
「傷ついた娘というのはシンシアのことではなかったか? なぜあの子が傷ついている?」
「そ、それは、……」
「うっ……」
アンジェラがうめき声を上げて、身じろぎをする。アーノルドは慌てた様子で、エスメラルダに声をかけた。
「王妃殿下! まずはアンジェラ嬢の手当てを!」
エスメラルダの眉がぴくりと動く。アーノルドはアンジェラを抱えたまま表情を引き締め、軽く頭を下げた。
「ソール国第一王子、アーノルド・ラインハルトと申します。事情は全てお話します、ですがまずは……」
言葉を止めてエスメラルダを見ると、王妃はまじまじとアーノルドの顔を見つめ、それからはっとした表情を見せた。疑問符を浮かべたアーノルドにエスメラルダは笑みを深め、くくっ、と笑った。
「お前は、そうか……あぁ、そうだな。まずはアンジーの手当が先だ」
そう言うと振り返り、クラウディア国王とランドルフを見やった。国王はぎくりと怯んだ顔で、ランドルフは依然ぼぅっとしたままである。
「クラウディア国王陛下。書状の件については追って連絡をするが……先に言っておこう。私は我らドラグニアを理解しようとしないものに加担する気はない」
国王の表情が歪む。怒りとも恐れとも見えるその顔にエスメラルダは鼻で笑い、ポケットから光り輝く石――転移石を取り出した。
エスメラルダがトントン、と指先でそれを叩くと、アーノルドたちの身体が光に包まれ一瞬にしてその場から姿を消す。残されたクラウディアの兵士たちはおろおろと周囲を見渡し、国王はぎり、と強く歯を食いしばった。
「ワシは諦めんぞ、ドラグニア……!」
そんな父の声を、ランドルフは他人事のように聞いていた。
ドラグニアも竜族も、ランドルフにとってはどうでもいいことだった。彼の目に焼き付いているのは、傷ついたアンジェラの姿。少しも自分を見ようとしない、彼女の金色の瞳。
どうして。なぜ。
伝えたい言葉があった。全てが終わってから伝えようと思っていた。
だけれど彼女は、消えてしまった。
あの日のように、また。自分の前から、姿を消してしまった。
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