第20話 炎舞、その真実 -嫉妬の末に起こったこと-

 カツカツと、足早に何者かが近づいてくる。アーノルドが顔を上げると、スカートの裾をたくし上げた女性が息を切らせて鉄格子の向こうに立っていた。髪は乱れ汗が滲み、化粧は滲んでいる。くすんだ赤色の髪と金色の瞳で、その存在が誰であるのかすぐに察した。


 アンジェラが話していた、もうひとりの竜族の娘。


――全ての元凶とも言える存在。


「きみは……」


 シンシアはびくりと身体を強張らせ、ひくりと喉を鳴らす。その手には鍵が握られており、アーノルドは瞳を細めた。彼女は肩で呼吸を繰り返しながら、酷く覚束ない手付きでその牢の鍵を解錠すると、鈍い音を立てて扉を開いた。


「は、早く! 早く出なさいよ! あの女、……アンジェラ・ヴァレンタインを早く止めなさい! レイニー国の軍勢がもうそこまで来てるのよ、国王はアンジェラの力を利用するつもりなの!」


 三人は顔を見合わせたが、迷っている暇はなかった。すぐに牢を出て、シンシアに向き直る。


「……あなた、一体どういうおつもり?」


 マリアベルが尋ねる。


「いいから早く、アンジェラを止めに行きなさいって言ってるの! は、はやくしないと、大変なことになるのよ!」


 ヒステリックに叫ぶ彼女に、マリアベルは冷たい眼差しを向けた。それから手をひらりと振って、アーノルドたちに言う。


「兄様、ローレンス。アンジェラのことは頼みましたわ」

「マリアベルは、」


 ローレンスが聞くも、マリアベルは返事をしなかった。黙ってシンシアを睨みつけている。アーノルドはローレンスの肩を叩くと、そのまま出口に向かって走り出した。ローレンスは少しだけ躊躇ったものの、すぐに後を追って走り出した。


「な、なによ、あんた……」

「わたくしはマリアベル・ラインハルト。ソール国第一王女ですわ。そしてアンジェラの『友達』ですの」


 シンシアの顔が先程までよりもずっと悪くなった。そわそわして、落ち着かない様子である。


「友達なら、あんた……あ、あなたも早くアンジェラのところに行ったら、」

「えぇ、行きますわ。わたくしのやるべきことが終わったら、ですけれど」


 マリアベルの言葉に違和感を覚えたシンシアが顔を上げた刹那、マリアベルはシンシアの手首を強く掴み、そのまま自分の後ろの空間――三人が囚われていた牢屋の中へ、シンシアの身体を放り込んだ。倒れ込んだシンシアが顔を上げたときはすでに再び鍵がかけられ、その鍵をマリアベルが手にしていた。


「……はぁ?! 一体何のつもり!?」

「その質問はわたくしの方が先にしましたわ。……だけれど理由なんて、聞くまでもありませんわね。アンジェラが炎の力を用いれば、『炎舞』で人を傷つけるとどうなるのか……それがバレてしまったらあなたの計画が台無しですものねぇ」


 なぜそれを知っているのか、というように、シンシアは愕然とした表情でマリアベルを見上げた。


「わたくしたちがアンジェラを助けに行っている間に、逃げるつもりだったのでしょう? 全ての真実が明らかになる前に、姿を消すつもりだったのでしょう。――そんなこと、絶対許しませんわ」

「そん、……そんな、そんなことっ、あんたには関係ないじゃない! 私とアンジェラの問題よ!」

「お黙りなさい!」


 確かに自分は第三者で、直接的な関係はない。

 だけれどアンジェラは、兄の初恋の君だ。アーノルドがずっと探し続けていた、大切なひとだ。その彼女を傷つけた。彼女にとって一番最悪な方法でシンシアは、アンジェラから何もかもを奪ったのだ。

 シンシアが何もしなかったら、そもそもの出会いもなかったのかもしれない。そしてアンジェラは兄ではなく、ランドルフを選んでいたのだろう。

 それでも、心を壊してしまった彼女を見てしまうよりは。絶望に瞳を曇らせたその顔を見るよりは。兄はきっと、記憶にある美しい笑顔を携えた彼女を求めていたはずなのだ。


「あんなことをしでかしておいて、アンジェラに罪を被せて、それがばれそうになったら逃げる? そして今度はどなたに取り入ろうと言うのかしら。誰の大切な人を奪おうとしているのかしら!」

「うるさい! 王族のお姫様に、落ちぶれた男爵家の娘の気持ちなんかわからないでしょ! 華やかな服を着て贅沢な生活をして……あの女もそうだった! 公爵家の令嬢ってだけでチヤホヤされて、王家に囲われて……だから陥れてやろうと思ったのよ! 私が持っていないものを全て持っているあの女から、あの女が一番大切にしているものを奪ってやったのよ!」


 マリアベルの表情は、冷たく凍てついていた。


 彼女は王族の娘として、それはそれは大変な努力を重ねてきた。マナーも世界情勢も、社交界での振る舞い方も。惰性で王族であることなど出来ない。王族として、貴族として生まれたからにはその家に対する責任が伴う。中にはその地位を鼻にかけて豪遊するような愚か者もいるが、そういった貴族はいつか必ず崩壊する。

 そして王族も貴族も、その努力を決して表に出すことはしない。ゆえに嫉妬や羨望の眼差しを、いくつも向けられてきた。

 シンシアのように嫉妬に駆られて愚かな行為に及ぶ存在は、決して稀なものではないのだ。


「あなたはランドルフ王子に取り入って、おそらくはその妻の座を狙っていたのでしょう。彼と結婚すればアンジェラが持っていた全てのものを手に入れられると思っていた? 綺麗な服を着て美味しいものを食べて、遊んで暮らせるとでも?」

「そ、そうよ! あんたたちが邪魔さえしなければ、あいつがとっとと処刑されてしまえば私は幸せになれるはずだったのよ! 伯爵や公爵たちの機嫌を伺っているだけの惨めな生活をしなくて済んだのに!」

「本気でそう言っているのでしたら、心底愚かですわね。国がなぜ国として機能しているのかわかっていらっしゃるの? あぁ、わかっていないからそんな夢みたいな話をしているのですわね……あなたから見た公爵家や王族は、それはそれはきらきら輝いて、毎日楽しく遊んで暮らしているように見えるのでしょう。……あぁ、わたくしあなたのことが気の毒に思えてきましたわ」


 わざとらしいまでに深くため息をついて肩を竦める。化粧が滲んでしまったシンシアの顔が、屈辱に歪んだ。


「ご自身の野望のために『傷つく』勇気、それを他の部分に活かすことが出来たらあなたは幸せになれたのかもしれませんけれど」


 爵位や地位が上がるほど、その場所で生きるための努力が必要になる。彼女は王妃の位置になったとして、恐らくはきっと幸せにはなれない。不相応な立場に壊れて行くだろう。


「まぁこれこそ、わたくしが口を出す問題ではありませんわ。これ以上あなたの夢を壊してしまうのは悪いですもの。――わたくしたちはこれからアンジェラを救い、あなたの悪事を暴きます。そのあとのことは、わたくしの知るところではありませんけれど。精々最期まで、夢をご覧あそばせ」


 マリアベルは華麗な、だけれどその場所には不釣り合いなカーテシーを決めてシンシアに背を向ける。そして一度も振り返らずに、その場を離れていった。

 鉄格子の中に取り残されたシンシアは唇を震わせ拳を振り上げると、何度も床を殴りつけた。


「何で! 何であの女ばかり!! ドラグニア王家も、ランドルフ様も!! どうしてアンジェラばかり見るの!」


 身分が違っていれば、自分はもっと持て囃されたはずだ。ランドルフどころか、もっと他の国の子息たちが求婚していたかもしれない。王妃になれば綺麗な服を着て好きなものを食べて、身の回りのことは全部世話係にやらせて、欲しいものはなんだって手に入る。


――そう、シンシアにとって取り入る相手はランドルフでなくても良かった。アンジェラの想う相手がランドルフであったから、それを奪ったまでなのだ。

 アンジェラからランドルフを奪うところまではうまく行っていたというのに、その先に全く進まなかった。ランドルフの心はアンジェラに向けられたままで、一度としてシンシアに向けられたことはなかったから。


「アンジェラ……アンジェラ!」


 人の気配のない地下牢の中、彼女はずっと呪詛の言葉を吐き続けていた。



 






 街の門の向こうに、鎧を纏った兵士の姿が見える。

 そしてアンジェラの後ろにもまた、鎧に身を包み盾を構えた兵士たちがいた。


「おい、本当に大丈夫なのか?」

「さぁ……でもランドルフ王子が、攻撃は彼女に任せろと……」


 兵士たちが交わす言葉も、アンジェラの耳には届いている。

 あの事件があってからの記憶は酷く曖昧で、ちぐはぐで。音が聞こえていないこともあり、視界はずっとぼやけ続けたままだった。


 それは恐らくずっと、ランドルフが自分に向かって言った言葉を受け入れたくなかったから。彼が自分を「化け物」だと言った事実を、なくしてしまいたかったから。


――だけれど。

 だけれど、もう。

 聞こえないものはない。見えないものはない。

 あの言葉は、あの冷たい眼差しは、ランドルフが間違いなく自分に向けたものなのだ。

 アンジェラは薄く笑みを携えたままだった。


「なんて……なんて愚かなのかしら……」


 呟いて、目を伏せる。

 恋に溺れて心を壊し、弟たちを危険な目に晒してしまった。彼らは無事でいるだろうか。今もまだ心配しているに違いない。

 アンジェラの脳裏にふと、紫紺の瞳が浮かぶ。

 とても優しい色。いつか見た空色の瞳と同じような……それよりも穏やかで暖かな眼差し。

 もっとしっかり見ておけば良かった。あんなに焦がれていた空色よりも今は、その色を望んでしまう。


「来るぞ!」


 兵士が揃って身構える。アンジェラはゆっくりと目を開けて、片方の足の爪先を地面についた。

 愛するひとに全てを捧げるための、炎舞。愛したひとはそれで人を傷つけろと言った。


「これは、あなたのための炎舞じゃないわ」


 指先に炎が灯る。その炎は一瞬にして、アンジェラの身体を包み込んだ。

 ドレスの裾を掴みお辞儀をし、顔を上げる。地面を強く蹴ると、その身体は炎を纏ったまま高く飛び上がる。両方の兵士からどよめきが上がり、安全な城の中からそれを眺めるクラウディア国王はにたりと笑う。その隣にいたランドルフの口元にも、笑みが浮かんでいた。




 炎舞が始まった。




 彼女の身体は軽やかに空を舞い、纏う炎はまるで天女の羽衣のようにも見えた。

 レイニー国の兵士たちが思わずそれに見惚れていると、アンジェラが彼らに向けてそっと手を差し出す。刹那、炎が勢い良く吹き出し兵士たちを襲った。炎は一気に燃え広がり、次から次と兵士たちに傷を負わせていった。


「うわぁあああ!」

「あ、あれはまさか、竜族!」

「クラウディアのやつら、竜族を味方にしたのか!」


 慌てふためく敵国の兵士の姿に、クラウディア国の兵士たちはぎこちなく笑って顔を見合わせた。竜族の炎の力を目の当たりにした彼らは、改めて竜族が「化け物」と呼ばれる所以を悟った。レイニー国の兵士が自分たちの立場であったら、あの炎の力を前にどう太刀打ちしていいかわからない。彼らの持つ武器では決して生むことの出来ない強大な力を、一人の娘が操っている。

 アンジェラの操る炎の勢いは衰えず、兵士たちはもう何人も倒れ、地面に伏していた。果敢に向かってくるものもいたが、空を舞うアンジェラ相手に為すすべもない。


「……ん?」

「え、おい……」

「あれは、どういうことだ……?」


 不意にざわざわと、アンジェラを見上げる兵士たちが疑問符を浮かべて言葉を交わす。それはクラウディア国、レイニー国、どちらの兵士も同様だった。


 地面にぽたりと、血が落ちる。


 見上げると炎を纏ったアンジェラの身体のあちこちに切り割いたような傷がつき、そこから血が流れていた。ドレスも破れ、血が滲んでいる。

 レイニー国の兵士たちは誰一人、アンジェラに攻撃を仕掛けてはいない。武器を向けるまもなく、炎に追いやられてしまうためだ。

 だから彼女がなぜ血を流しているのか――そこにいる誰も、わかっていなかった。当然、国王も、王子も。


「っアンジェラ!!」


 叫ぶ声に、アンジェラは顔を向ける。アーノルドとローレンスが必死な形相で走ってこちらへ向かって来ていた。

 彼らが開放されたのだと知ったアンジェラは、安堵に表情を緩ませた。

 しかしそのときにはすでに、何十人もの兵士たちがアンジェラの炎によって傷つき倒れ、そして。

 神聖な儀式に用いる炎舞を持って人を傷つけたアンジェラの身体もまた、炎の誓約によって酷く傷ついていた。



 街を燃やしたのは、「ただ一人」無事であったアンジェラではない。

 ただ一人「傷だらけ」だった、シンシアこそ街を燃やし住民を殺した犯人なのだ。

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