第19話 彼の決意、彼女の覚悟

 アーノルドたち三人は、アンジェラとは別の牢へ閉じ込められていた。


 ローレンスは膝を抱えて座り、マリアベルは難しい表情を浮かべて腕を組み、アーノルドは牢の中をうろうろと歩き回っている。それから鉄格子をがしりと掴んで、ぐいと顔を寄せた。


「誰も居ないのか!」


 大声で呼んでみる。だが当然、返事はない。


「兄様、少しは落ち着いてくださいまし」

「これが落ち着いていられるか! アンジェラは今どこでどうしてるんだ? あんな精神状態でこんな寒い場所に放り込まれてるのだとしたら、オレはランドルフ王子を許さない!」

「あら。そうじゃなくてももう、許す気なんてないのではなくって?」


 マリアベルが澄ました顔で言う。アーノルドはぐっと息を詰め、拳に目いっぱいの力を込めた。

 妹の言葉の通りだった。ランドルフがアンジェラにした行為は、もはや許されるものではない。

 知らなかったから、わからなかったから。街が焼かれた事件当時は、ランドルフの態度も仕方のないことであったように思う。もちろんそれが、彼女を傷つけていい理由にはならないが――ランドルフでなくとも、竜族を知らないものが同じ目にあったなら恐らくは、間違いなくランドルフと同じ態度をとっただろう。

 だが本当に彼女を愛していたというのなら、なぜ彼は彼女を知ろうとしなかったのだろうか。わずかでも「彼女のせいではないのではないか」と考えなかったのだろうか。

 アーノルドは、アンジェラを強く想っている。だから彼女を知ろうと思った。竜族という特異な存在を、理解しようとした。

 だからこそ、ランドルフの思考や行動は、アーノルドには理解が出来ない。愛しているのになぜ、と思ってしまうのだ。


「人には人の愛し方があるんだってわかってる。でも、……だとしても、オレは、」

「……おれ、姉さんとはあいつと一緒になって欲しくない」


 ぽつりと、ローレンスが呟く。膝をぎゅぅと抱きかかえ、眉を寄せて辛そうな表情を浮かべながら言葉を続けた。


「姉さんの手紙にいたランドルフは、すごいいいやつだった。姉さんは彼が自分の理解者だと言ってて、一緒にいるととても楽しいんだって言ってた。でも、それって本当だったのか? 理解者が姉さんを化け物だなんて言うのか? 罪人だと決めつけるのか? 姉さんがあれだけ必死に違うんだと言ってるのに、あいつは少しも話を聞こうとはしていなかった!」


 マリアベルはローレンスの肩を撫で、小さく頷く。視線をアーノルドに向けて、眉を寄せた。


「兄様、気づいてらして? ランドルフ王子の視線に」

「視線?」

「えぇ。兄様がアンジェラを宥めようとしていたときです。……いえ、それだけではありませんわ。兄様の存在に気づいた瞬間からその目は、憎悪に塗れていました」


 その眼差しを思い出し、マリアベルはぶるっ、と身体を震わせた。

 ただアンジェラのそばにいただけの、見も知らぬ男相手にランドルフは恐ろしいほどの憎悪の眼差しを向けていた。


「あれはまるで……狂気、のようでしたわ。あの男のそばにいたらアンジェラは、取り返しのつかないほど心を壊してしまうかもしれない……」


 ローレンスとアーノルドは息を飲み、顔を見合わせる。その表情には焦燥感が滲んでいた。呼吸が上がり、先程よりも落ち着きがなくなる。視線をうろうろと動かし、何度も鉄格子の向こうへ視線を向ける。

 何とかここから出る方法は。アンジェラを助ける術は。

 考え込んでいる矢先、遠くから笑い声が聞こえてきた。声は男性のもので、どうやら二人の兵士が歩きながら何か話し込んでいるらしい。牢屋の中は声がよく響くため、男たちの気配が近づくと同時にその会話ははっきりと聞こえてきた。


「そういえばお前、聞いたかよ。明日のこと」

「明日? 明日ってお前、レイニー国のお偉いさんが来るんだろ? 話し合いがどうのって」

「それがさ、物見の話によると大量の兵士を連れてこっちに向かってるらしいんだ。まるで戦争でもおっ始めるのかって具合に」


 ローレンスが声を上げそうになり、マリアベルがその口をばしっ、と抑えた。


「えぇ!? マジかよ、陛下はどうするつもりなんだ?」

「――さっき捕まえた竜族の女がいただろ? あれを利用するらしい」


 アーノルドは目を見開き、一歩足を踏み出す。マリアベルは兄の様子を気にしながら、男たちの会話に耳を澄ませた。


「竜族には炎の加護がついてるんだ。それを利用して、一気に燃やしちまおうって話さ。今日の夜には街に非常事態宣言が下されるって」

「うへ、おっかねぇ。あの女、あんなに綺麗な顔してそんな力を持ってやがるのか」

「どれだけ綺麗な顔してようが、化け物は化け物だろ」


 アーノルドの表情から感情が消える。だが拳は強く握られ、ぶるぶると震えていた。ローレンスもマリアベルも、その顔には怒りが滲んでいる。だけれど今、その感情を爆発させるわけにはいかなかった。

 大声で暴れて警戒されてしまえば、脱出が困難になる。怒りの感情を兵士に向ければ、万が一のとき彼らの「協力」を得ることも難しくなる。

 全ては、アンジェラを救うため。

 男たちの声が次第に遠くなり、何も聞こえなくなった頃。誰ともなく深くため息をついて、唇を噛んだ。


「……姉さんを、利用するって……」


 最初に言葉を発したのはローレンスだった。金色の瞳は信じられない、とばかりに揺らいでいる。


「兄様、レイニー国は確か」

「ソールの隣にある、貿易が盛んな国だ。以前からクラウディアとの関係が良くないという話は聞いていたが……」

「まさか……まさか姉さんの『炎』で、……それを、退けようと……?」


 兵士たちの話に嘘がなければ、そういうことなのだろう。クラウディア国はアンジェラの、竜族の「炎の加護」を用いて勝とうとしている。ローレンスが拳で地面を強く叩いた。


「あ、あいつら……! 姉さんを殺すつもりなのか!?」


 マリアベルが小さく首を振る。


「彼らにその意識はありませんのよ。炎舞を理解していないのですから」


 理解する気もないのだろうと言うことは、言うまでもなかった。原因は、恐らく国王。王族に近ければ近いほど、竜族の力を脅威のものとし、「戦争に使える最強道具」と捉える。そして敵であろうが味方であろうが、炎の加護を持った竜族は「化け物」でしかないのだ。


 アーノルドの腹の奥に、黒い感情が湧き出てくる。それは憎悪だった。クラウディア国に――ランドルフ王子に抱いた、明確な感情。


 アンジェラが望むなら、彼女が求めるならと思いここに連れてきた。だけれどそれは間違いであったと、今ならはっきりとわかる。

 彼にアンジェラの心は治せない。アンジェラの幸せは、ここにはない。

 彼女がそれでもランドルフがいいと願っても、もうそれを叶えてやりたいとは思えない。


 彼と引き離すことで、彼女の心が治らないままでもいい。

 ローレンスとマリアベルと、三人なら彼女の心を癒やすことが出来るはずだ。

 どれだけ時間がかかってもいい。彼女のためになら、時間など少しも惜しくはない。

 今までもずっと、彼女のために生きてきた。彼女と出会うことを夢見て、彼女と並んで歩く未来を夢見て。


「マリアベル、ローレンス」


 呼ぶ声に、二人が顔を上げる。アーノルドの紫紺の瞳には強い力が宿っていた。


「もう、躊躇わない」


 身を引くつもりでいた。想いを秘めたままでいるつもりだった。だが彼女の想い人を見て、つくづく考えが変わった。

 想う力だけを言うのなら、自分の方が。彼女が彼を想うより、彼が彼女を想うより、自分が彼女を想う気持ちの方がずっとずっと強いのだ。

 マリアベルは安堵の表情を浮かべると嬉しそうに瞳を輝かせ深く頷く。ローレンスは言葉の意図がすぐには理解できておらず、不思議そうにアーノルドを見ていた。


「期待してますわよ、兄様」

「あぁ、任せておけ。……だが、まぁ、とりあえず」

「えぇ、とりあえず」

「ここから脱出する方法を考えないとな」


 悲観している暇はない。

 アンジェラの心を、命を守るために。――まだ一つも伝えてはいない、想いを告げるために。

 決意を固めた一行であったが、無情にも時間だけが過ぎて行き、翌日。



 アンジェラは非常事態宣言が下され人の姿が見えなくなった街の中に一人、薄く笑みを浮かべて立っていた。

 落ち着いた赤色のドレスに、同系色の靴。

 彼女はその姿のまま敵軍を迎え撃つ「兵器」として、そこに在った。

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