第16話 彼は未だ、彼女を知らない
城の前につくと、アーノルドは表情を強張らせた。
門の前には鎧を纏った二人の兵士がおり、警戒するようにこちらを見ている。
「兄様」
マリアベルがローレンスと共に、足早に近づいて来る。アーノルドはこくりと頷いて、アンジェラを伴ったまま門へと歩いて行った。
「何用だ」
背筋を伸ばし、威圧するような眼差しで兵士は四人をじろりと眺める。アーノルドはマリアベルに手を差し出すと、その手の上に王家の文様のついたリボンを置いた。
「ソール国第一王子、アーノルド・ラインハルト。ランドルフ王子に拝謁を賜りたい」
「ソール国の……?」
兵士たちは顔を見合わせ、それからじっとアーノルドの顔を見やる。手元の文様をもじろじろと無遠慮に見つめ、ちらりと隣にいるアンジェラにも視線を向ける。それから何事か言葉を交わすと、一人の兵士が城の中へと入っていった。
「貴様が本当にソール国の王子であるのか、こちらでは判断がつかない。ただ、その女。竜族のものが訪ねてきたら王子を呼ぶようにと言われているため、少し待つがいい」
アーノルドは短く息を吐き出し、マリアベルにリボンを返した。
「まぁ、この格好じゃ無理もないか……」
「格好つきませんわね、兄様」
それから間もなくして、城の方から一人の男が走ってくるのが見えた。ニュースペーパーに乗っていた男と相違ない風体――ランドルフ・オルブライト。その男が真っ直ぐに走って来ていた。
アーノルドの身体が強張り、指先が冷えていくのを感じる。アンジェラの瞳にはまだ、ランドルフの姿が映っていない。
とうとうこのときがやってきた。彼女とランドルフを、出会わせる瞬間が。
アーノルドはなるべく平静を装い、ランドルフの到着を待った。
ランドルフは浅い呼吸を繰り返し、アーノルド達の目の前で立ち止まる。信じられないものを見る眼差しで、アンジェラを見ていた。
「アンジェラ……まさか、きみなのか……」
呼ぶ声に、アンジェラの身体がぴくりと震える。目の前にいる男がランドルフだとすぐには認識できず、何度も瞬きを繰り返した。
「アンジェラ? アンジェラだろう? 僕がきみを見間違えるはずがない」
何度も呼ぶ声が少しずつ、アンジェラの心を刺激していく。アーノルドの腕に添えられた手には、微かに力が込められていた。それに気付いたアーノルドはアンジェラのその手をそっと撫で、静かに声をかけた。
「アンジェラ。……ランドルフ王子だ。きみが、会いたいと願った……」
ランドルフの眉がぴくりと動く。彼には今の今まで、アンジェラ以外の姿が見えていなかった。アンジェラに触れるその男に初めて気づき、その瞳は冷たく細められた。
「誰だ、貴様は」
「え、あぁ、オレは……」
「――ランドルフ?」
小さな声だった。力なく、震えてさえいるその声にランドルフははっと顔を上げて、アンジェラへ歩み寄った。
「アンジェラ、僕だ。ランドルフだ」
口元を緩ませて、優しい声をかける。アーノルドは彼もまた、アンジェラと会いたがっていたのだと察した。
「……ランドルフ……ちがう……ちがうわ……ランドルフは……」
アンジェラの声の音が変わる。見る見るうちに表情が歪んで、顔が青褪めた。
「アンジェラ?」
呼ぶ声に弾かれるように顔を上げて、頭を振った。
「ちがう、私はっ……わたしは、やってない……! やめて、やめ……わたし、わたしをっ、そんな冷たい目で見ないで!」
アンジェラは髪を振り乱しながら悲痛な声を上げ、アーノルドの腕に必死に縋り付いていた。予想外の様子に、アーノルドは慌ててアンジェラの肩を撫でる。
「アンジェラ、大丈夫だ。落ち着いてくれ、誰もきみを責めてなんかいない」
会いたいと言っていたはずなのに、この反応は。
まるで「ランドルフ」自身がトラウマになっているような雰囲気であった。
「ちがうのよ、わたしじゃない、わたしじゃないのに、どうして、どうしてぇえ……っ!」
泣きじゃくるアンジェラに、ランドルフはただ呆然としていた。アンジェラに何が起こっているのか、全く理解していない。ただ彼女が、別の男に縋り付いている姿が心底気に食わない。奥歯をぎり、と噛み締めた。
「あんたのせいだ!」
ローレンスが勢い良くランドルフに掴みかかった。怒りに満ちた表情で胸ぐらを掴み、がくがくと揺さぶる。
「あんたが姉さんをあんなふうにしたんだ! あんたが姉さんを信じなかったから、あの事件を姉さんのせいにしたから! だから姉さんは心を壊した! あんたのせいで姉さんは!」
「無礼者!」
控えていた兵士が、ローレンスを取り押さえる。ローレンスは乱れた服を直しながら顔を歪め、兵士たちに押さえつけられたローレンスを睨んだ。
「……あの事件は彼女のせい以外にあり得ない。現場も見てないやつが良くもそんなことを言えたものだ。姉さん、ということはきみがアンジェラが良く話していた弟か? 姉を庇いたい気持ちはわかるが、軽率な発言は慎め」
その言葉にアーノルドがはっと目を見開く。どく、と鼓動が強く鳴り、冷や汗が滲んだ。
「……ランドルフ王子。王子はまさかまだ、彼女があの街を燃やした犯人だと……?」
ランドルフの言葉が信じられず、尋ねる。ランドルフはふん、と鼻を鳴らして言った。
「僕はあのときあの場所にいた。炎に包まれたあの場所で街の住人は全員息絶え、僕も傷つきシンシアも傷だらけだった。無事なのは彼女だけだった。いつもと変わらない姿なのは、アンジェラだけだったんだ!」
「何も学んでいませんのね」
小さな声で呟いたマリアベルの眼差しには、呆れが含まれていた。
馬鹿にされたのだと感じたランドルフは益々表情を歪め、チッ、と強く舌打ちをする。
「この者たちを牢へ。竜族の娘だけは別の場所へ隔離するように」
「な、ちょっと待て! オレはソール国の……」
「ソール国王子の名を騙った不届きものの可能性がある。本当に隣国の王子であるなら、それなりの手続きのあと訪れるのが筋であろう。国王陛下の書状のひとつでもあれば信じてやっても良かったがな」
ランドルフの言葉も最もで、マリアベルはすでに諦めた様子でため息をついていた。聡い彼女は今ここで暴れることが決して得策ではないことをすぐに理解したらしい。他の兵士たちが全員を取り押さえ、城の中へと引きずられて行く。アンジェラはその間ずっと「ちがう、ちがうの」と呟いていた。
だけれどランドルフは、そんなアンジェラを見ることもなく背を向けて前を歩いている。アーノルドの心に、重い不快感が滲んでいた。
あの事件からそれなりの時間が経っている。なのにランドルフは未だ、竜族の儀式について何もわかっていない。
事件の犯人が彼女ではあり得ない理由を、わかっていない。
アンジェラの心を壊しておいて、――彼女に想われておいて。
どうして彼女を理解しようとしない? どうして手を差し伸べない?
彼女はあれほどまで、ランドルフを求めていたというのに。
アンジェラ。
きみの幸せは、本当にそこにあるのか?
きみのためにと思ってとったこの行動は、間違いだったのだろうか。
アーノルドの心に、ふつふつと怒りが込み上げる。
だがこれ以上、迂闊な行動は出来ない。
「兄様。今はアンジェラを助けることだけを」
「……あぁ、わかってる」
兄妹は小さな声でこそりと言葉を交わし、頷き合う。アーノルドは深呼吸をひとつして、ほとんど横抱きに抱えられるように運ばれているアンジェラを見て唇を噛んだ。
ランドルフを見て、はっきりとわかった。
彼女の心を治すのは、癒やすのは――あの男ではない。
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