第14話 恋人として歩むことは叶わないけれど

 アーノルドたちは、慣れ親しんだ街へ戻ってきた。闇マーケットを行っていた商店は建物ごとなくなっていたが、誰も気にするものはいなかった。


 城まであと少しというところで、マリアベルは馬を止める。アンジェラは少し前から目を覚ましており、やはりぼんやりと宙を見つめるばかりであった。マリアベルがワゴンの中の三人へ声をかける。


「馬車で動くのはここまでがよろしいですわね。住人に注目される前に、馬車を隠して参りますわ。皆様は先に城へ向かってくださいまし」

「あ……それじゃあおれもマリアベルと一緒に行くよ。アーノルド、姉さんを頼む」

「え? あ、あぁ、そりゃあ、もちろん」


 気を利かせてくれたのかと、アーノルドは照れた様子で後頭を掻いた。先に馬車から降り、アンジェラへ手を差し出す。ローレンスはアンジェラの肩を優しく抱いて言った。


「姉さん、おれは後から行くから。アーノルドが姉さんを守ってくれるから、心配しないで」


 ぼう……っとしたままのアンジェラにそう言うと、彼女は緩慢な動きでローレンスを見やり、それからまたゆっくりとアーノルドへ顔を向ける。差し出された手を見つめて、その手に自らの手を重ねた。


「……お城まで、連れていってくれるのよね……?」

「あぁ、そうだ。少し歩くけど、大丈夫か?」

「えぇ。……えぇ、私は……私は、大丈夫、よ。早く……早く、会わなきゃいけないもの……」


 誰に、とは、言わずともわかった。アーノルドは表情を変えずに、穏やかな笑みを携えたままアンジェラの手を握った。ふたりが馬車から降り立つと、マリアベルは再び馬を走らせる。ローレンスがしばらく心配そうにアンジェラを見つめていたが、軽く手を振ってすぐにワゴンの中に引っ込んだ。


「それじゃあ行こうか、アンジェラ」

「えぇ。……あの、アーノルド。お願いが、あるのだけれど……」

「うん?」

「……少し。ほんの少しだけ、なのだけれどね? ……少し、目が、見えにくいの」


 アンジェラの言葉に、アーノルドははっとする。心の病は確実にアンジェラの心を侵食し、様々な影響を見せ始めている。


「だから、その……あなたに、こんなことを頼んでいいのか……」

「……うん、言ってごらん。きみの願いなら、何でも聞くよ」


 そう答えると、アンジェラの表情は安堵の色を見せる。目の焦点があっていないのは、視力が低下してしまっているせいだった。


「お城まで……手を、引いてもらえるかしら……」


 重なったままの手が、遠慮がちに握られる。アーノルドは血液が顔に集中するのを感じて、勢い良く顔を横へ背けた。アンジェラは首を傾げ、疑問符を浮かべる。


「アーノルド?」

「あ。あー、いや、うん! そんなことなら全然、問題ない。エスコートさせてもらうよ」


 わたわたと一人慌てふためき、一度咳払いをして落ち着きを取り戻すと、アーノルドはアンジェラの手を引き、自分の腕へと置く。紳士淑女が隣り合って歩くときにするポーズで、彼女にそういう気持ちはないとわかっていてもアーノルドの鼓動は勝手に早くなった。


「ゆっくり向かうから、ついてきて」

「えぇ。お願いするわ」


 アンジェラの瞳はまだ暗いままで、アーノルドの姿を映すことはない。それに少し寂しさを覚えつつ、城へ向かって歩き出した。

 あの場所へたどり着けばもう、こうして身を寄せ合うほどの距離で共に歩くことはなくなるだろう。彼女が本当にこうして歩きたいのは自分ではなく、ランドルフだ。

 彼がアンジェラに出会って、どういう態度を取るのかはわからない。だけれどこんなに愛されていて、ぞんざいな扱いをすることはないだろうと、アーノルドは思っていた。アンジェラが好いた相手であるなら、悪人ではないはず。アンジェラに酷い態度をとったのは「知らなかった」からだ。ーー当然、それでも許せるものではないけれど。


「アンジェラ。……一つ、聞いてくれるか」

「……なに、かしら」

「きみにはもう……想う人がいて。きっとその、想う人の手を取るのだと思う。……だけど、もし……もし何か、困ることや辛いことがあったら、オレを頼って欲しい。オレは何があってもきみの味方で、きみを守るから」


 秘めた想いは、彼女にはきっと届かない。それでも伝えておきたかった。もし万が一のことがあっても、彼女がこれ以上心を壊すことがないように。


「辛くて悲しくて壊れそうになっても、どうかオレやローレンスのことを思い出して。オレの妹のマリアベルもそうだ。何があっても、必ずきみの助けになる」


 アンジェラがはっと息を飲み、その目に一瞬だけ光が灯る。だがそれは本当に一瞬で、また焦点の合わない暗い瞳に戻ってしまった。しばらくの間があって、アンジェラが小さな声で言葉を紡ぐ。


「あなたたちは……とても優しいのね。優しくて……親切だわ」


 瞬きをして、視線を動かす。アーノルドの顔を見上げて、言葉を続けた。


「……不思議、ね。アーノルド。……あなたの言葉は……なんて、柔らかいのかしら……」


 漏らされる言葉に、ぎゅぅと胸が締め付けられる。できるだけ歩みを遅めたい気持ちがあった。

 このまま声をかけ続けたら、彼女の言う「柔らかな」言葉を囁きかけたら。それで彼女を正気に戻せたりはしないだろうか。ランドルフの元に行かずとも、彼女の心を治せはしないだろうか。


「……あ、あ。……そう、だわ……その、声は……彼の音と、似ているのね……」


 ひくりと喉が鳴った。高揚感は一気に失せて、ただ寂しさと情けなさだけがアーノルドの心を占める。

 彼女が幸せであるのなら、彼女がそれを幸せというのなら――そう思ってランドルフに会うことを決めたというのに、心はずっと未練がましくある。あわよくば、という想いを、浅ましくも抱えたままでいるのだ。


「アーノルド……?」


 黙り込んでしまったアーノルドに、アンジェラが声をかける。アーノルドはふ、と笑って、踏み出す一歩に力を込めた。


「さぁ、城までもう少しだ。しっかりついてきてくれ、アンジェラ」


 アンジェラは薄く微笑みを浮かべて、こくりと頷いた。 

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