第12話 壊れた心の奥で求めていたのは
「さすが兄様、完璧な見立てですわね」
ぱん、と手を叩き、マリアベルは嬉しそうに言った。
アーノルドがアンジェラのために、と買ってきた服を彼女に着せてみたところ、何の違和感もなくしっくりきていた。赤い髪が良く映え、それでいて淑女の雰囲気もある。当のアンジェラは足元を何度も見やり、首を傾げていた。
「似合って、いるかしら……」
「えぇ、とても!」
マリアベルが即答するとアンジェラは瞳を細めて薄く笑い、そう、と短く答えた。
「ありがとう。嬉しいわ。……えっと、……アーノルド様、に、お礼を言わないと……」
「アンジェラ、『様』は不要ですわよ。兄様はアンジェラにもっと親しく呼んでほしいと思ってますの」
「……でも私、彼のことをほとんど知らないわ……とても親切にしてくれるけれど、……どうしてなのかしら……」
それは兄様が、あなたに恋をしているから。……とは、当然言えるはずもなく。マリアベルは眉を下げて笑うと、アンジェラの手をとって握り締めた。
「聞いてくださいまし、アンジェラ。兄様はきっと必ず、あなたの力になります。あなたのことを理解します。だからどうか、兄様の親切を受け入れてくださいな。疑問を持つ必要なんて少しもありませんの。兄様は好きで、そうしているのですから」
アンジェラは光のない瞳で、マリアベルをじっと見つめた。触れる手はとても暖かく、紡がれる言葉も柔らかで。
きらりと瞬く紫紺の瞳に安堵を覚えた。
「……その……私は、あなたたちのことを良く知らないのに……ロンのお友達、であるとしか……」
「なら、これから知っていってくださいまし。わたくしのことも、兄様のことも。わたくし、竜族のお友達は初めてですのよ。でもずっと、あなたにお会いしたかった」
「私、に……? 友達……私とあなたは、友達、なのかしら?」
相変わらずアンジェラの言葉はちぐはぐで、意思の疎通が出来ているのかかなり曖昧だ。それでもマリアベルはにこりと笑顔を浮かべて、深く頷いた。
「えぇ、友達ですわ!」
じわりと、アンジェラの胸の奥に暖かな感情が広がった。
「友達……そうね、友達……えぇ、それはとても……素敵、ね……? あら……? 友達……? 確か私には……友達が、いたような……」
「……アンジェラ?」
「友達……ともだちが、いたのよ……街で……降りてきた街で、出会ったの……とても親切にしてくれて、……彼、ね、……そう、彼は、私にとてもよくしてくれて、……だから、その……彼は……私、を……」
アンジェラは何度も顔を顰めて、言葉を紡いだ。探るように、確認するようにゆっくりと、跡切れ跡切れに。けれどその顔から徐々に血色が失われ、唇が震える。マリアベルは握っていた手が熱を失うのを感じてはっとした。
「あ、アンジェラ、落ち着いて。大丈夫、大丈夫ですわよ。もうすぐ、ローレンスたちが戻ってきますわ」
「ともだち……? ともだち、だったのかしら……? そう思っていたのかしら? ちがう、……ちがうわ、そうじゃないの。だって彼は、とても、とても優しくて、それで、わたしを、想って……?」
とうとうアンジェラは膝から崩れ落ち、床に手をついた。マリアベルは慌ててアンジェラの身体を支えて、肩を撫でる。
ちょうどそのタイミングで扉が開き、ローレンスとアーノルドが部屋に入ってきた。しゃがみこんだアンジェラの姿に目を見張り、慌てて駆け寄る。
「姉さん!」
「マリアベル、これは……」
ローレンスにアンジェラを任せ、マリアベルは立ち上がってアーノルドの傍へ走り寄ると、アンジェラに聞かせないよう声を潜めて言った。
「発作のような症状なんだと思います。普段は心の奥にある想いが、ふとした瞬間に蘇って彼女の心を蝕んでいる。思い出したくない現実を思い出して、現実だと理解して混乱していますの」
ローレンスに宥められ、ゆっくりと瞬きを繰り返しては深呼吸を続けるアンジェラを見やる。その姿はあまりにも痛々しく、アーノルドは唇を噛んだ。それから黙ってマリアベルにニュースペーパーを渡すと、静かにアンジェラへ歩み寄った。
「アンジェラ」
「……アーノルド、様……」
「様はいらないって。アーノルドと呼んでくれ。……それで、アンジェラ。きみに聞きたいことがある」
浅い呼吸を繰り返し、ローレンスの身体にもたれ掛かっているアンジェラは、先程よりも幾分か落ち着いた様子であった。けれど額には脂汗が浮いて、顔色は良くない。
「私に……」
「そう、きみに。……きみには今、会いたいひとがいる?」
ローレンスがぎょっとした表情でアーノルドを見やる。ニュースペーパーを見ていたマリアベルも驚いた顔で兄を見た。アンジェラはゆっくりと瞬きをし息を吸っては吐き出し、呼吸を整えながら視線を動かした。
「会いたい、ひと……わたし……私が……あいたい、ひと……?」
「兄様、それは……」
歩み寄ってきたマリアベルの手から、ニュースペーパーを取り上げる。アーノルドはそれを広げて、アンジェラに見せた。ーーランドルフ第一王子の顔を。
「……!」
ひゅっ、と息が詰まり、アンジェラの表情が悲しみに歪む。身体は震えて、光のない金色の瞳からは涙が溢れ出た。ローレンスも泣きそうに眉を下げて、姉の肩を強く抱く。
「きみが、会いたい人、だ。アンジェラ。……会いたいんだろう、彼に」
「……っ、あ、……あぁ、……ランドルフ……ランドルフ……っ! えぇ、……えぇ、会いたい、会いたいわ、彼に……ランドルフに会いたい……っ!」
ぼろぼろと涙を零してしゃくり上げ、ニュースペーパーに写るそのひとの姿を見つめる。格好こそ王族のものであったが、その面差しは少しも変わっていない。アンジェラの良く知る、ランドルフの姿であった。
傷つけられたのに、突き放されたのに。
心の奥にはずっと、彼への想いがある。心を壊していても尚、その想いは変わらないままだった。
アーノルドはニュースペーパーを畳み、穏やかな笑顔を浮かべる。泣きじゃくるアンジェラの頭を撫でようとしてすぐに手を引っ込め、代わりに肩をぽんぽんと叩いた。
「会いに行こう、アンジェラ。オレがそこまで、きみを連れていってやる」
肩を叩いた手を引いて、今度は握手を求めるように手を差し出す。涙に濡れたアンジェラの瞳が、ぱちぱちと瞬いた。
「……なぜ……」
どうしてこんなにも親切にしてくれるのか。会ったばかりであるのに、まだ何も知らないのに。彼はどうしてこんなにも優しい目で、自分を見つめてくるのか。
『聞いてくださいまし、アンジェラ。兄様はきっと必ず、あなたの力になります。あなたのことを理解します。だからどうか、兄様の親切を受け入れてくださいな。疑問を持つ必要なんて少しもありませんの。兄様は好きで、そうしているのですから』
マリアベルの言葉が浮かんで、息を詰める。
疑問を持つ必要はないと言っていた。親切を受け入れてくれと。
それが、彼のためになるのだろうか。そうすることで彼への感謝の気持ちを、伝えられるのだろうか。
「本当に……連れていってくれるの……?」
「あぁ、もちろん。きみのためなら」
柔らかく微笑む紫紺の瞳は、どこまでも胸に暖かさを生む。それはいつか見た、「空色の瞳」と同じだった。
アンジェラはこくりと頷いて、アーノルドの手を取る。その手はやはり暖かく、アンジェラの瞳からはまた涙が溢れていた。
「――あ、あと、アンジェラ。すごい今更だしこのタイミングで言うのもあれだけど、……その服、とても似合ってる」
後ろの方でマリアベルが「空気も読めませんの?!」と呟き、ローレンスがぶっと吹き出す。アンジェラはきょとんとして、涙に濡れた瞳のまま薄く笑った。
「ありがとう、アーノルド。……あなたもマリアベルも、とても優しいのね」
アンジェラの手を握るアーノルドの手に、ぎゅぅ、と力が込められた。
本当は、会わせたくはない。なんと言ってもランドルフはアーノルドにとって恋敵である。
だけれどアンジェラの心を治せるのは、彼女をもとの姿に戻せるのはもう、彼しかいない。
時間が経った今ならランドルフにも、アンジェラの言葉を聞く余裕が出来ただろう。彼女は罪を犯してはいないのだ。
自分が間違いであったと、傷つけてすまなかったと彼がアンジェラに心から謝れば、アンジェラの心は治るかもしれない。
そうして……そうして。
彼らは想いを、互いに告げることが出来るようになるのだろう。
付け入る隙などない。願うのは初恋の君の、幸せだけだ。彼女が自分を望まないのなら、この手を引き寄せることは出来ないのだ。
彼女の心よりも、大切なものなどないのだから。
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