第9話 姉弟の想い-アンジェラとローレンス-
あの日から、一体どれだけの時間が経ったのか……それすらも今の私には、考えることが出来なかった。
炎に包まれた街を出てからの記憶はあまりに曖昧で、実際に起こったことすらもわからない。
気がついたら私は、暗い部屋の中にいた。
名も知らない男が私に向かって何かを言っていた気がするけれど、よく覚えていない。
――だけれど私を、罪人、と言っていたことだけははっきり覚えている。
罪人。
街を燃やし尽くした竜族。
あの男は私を、そう思っていたのでしょう。私ではないのに、……誰もそれを、信じない。
だってランドルフさえも信じなかった。私が街を燃やしたと思っていた。
前日まで優しく私の手を握って、私の目を見て微笑んでくれた。なのに翌日には恐ろしく冷たい眼差しで、私を軽蔑しきった目で。
なぜそんな目で見るの?
私を想ってくれていたのではなかったの?
あなたの腕の中には、どうして別のひとがいるの?
炎舞は神聖な炎。その用途を間違えると、最悪命も落としかねない。あなたにその話をしておくべきだった。あの事件が起こるより先に、炎舞が何であるのか、教えるべきだった。
そうしたらあなたは、私の言葉に耳を傾けてくれた?
私の身を案じてくれた?
暖かい手を差し出して、私を、抱きしめてくれたかしら。
頭に浮かぶのは、あなたの冷たい目。
化け物と私を罵る声。
愛していたことが信じられないと、憎悪にも似た感情を込めて紡がれた言葉。
きっと、……きっと、話していても同じ結果だったのではない?
あなたはやっぱり私を疑って、私を突き放したのではない?
信じていた。信じていたのよ、あなたを。私の全てを捧げてもいいと想うほどに、愛していたの。
でもあなたは違った?
私があなたを想うほど、あなたは私を想ってはいなかった?
だってあなた、私を化け物と言ったのよ。
私が、親切な優しいひとたちを躊躇なく殺すような女だと思ったのよ。
シンシア。
彼女が来てからあなたは、彼女に振り回されていた。あなたは優しいからシンシアの頼みも断れず、ときに私よりもシンシアを優先していたわね。
でもあなたはいつも申し訳無さそうに謝ってきて、その心は私に向いているのだと暗に伝えてくれたわ。
……それとも。
それとも、それすら勘違いだったのかしら。あなたに想われていると思い込んだ馬鹿な女の、愚かな勘違いだった?
ねぇ、ランドルフ。
私は、ドラグニア国の公爵令嬢なの。王妃様とも仲が良くて、王妃様はいつもこう言っていたわ。
血筋を絶やさないための結婚は必要だ。だけれどアンジェラに政略結婚なんてさせられない。だからお前は、自分が愛したひとを選びなさい。……って。
あなたを連れていきたかった。私の国をあなたに見てほしかった。
ねぇ、なんて愚かなのかしら。
私、あなたと結婚する夢まで見ていたのよ。
弟にも祝福されて、幸せな家庭を築けるのだと思ってた。あなたの身分は知らなかったけど、それも気にならなかった。
愛していたから。心からあなたを想っていたから。
だけど……もう。
どうでも良くなってしまった。
考えるのが面倒になってしまった。
自分のことも、あなたのことも。
弟が私を見つけてくれて、私を、竜族を理解してくれるひとと出会った。
だけれどもう、いいの。もう、どうでもいいの。
あなたに理解されない私には、何の意味もないのだから。
ローレンス――私のかわいい弟。こんな姉でごめんなさい。想う人に突き放されて、生きている意味さえ見失ってしまうような弱い姉で。
もう、どうしたらいいのかわからないの。
この心をどうすればいいのか、わからないの。
少しだけ、休ませてくれる?
何も考えたくないの。何も見たくないの。だから、少しだけ。
少しだけ……。
◇
おれの知る姉さんは、強いひとだった。
公爵令嬢という立場上、悪意を向けられることは少なくない。だけれど姉さんはどんなときでも胸を張って、全く物怖じしなくて。父さんと同じくらいの年齢の貴族に嫌味を言われても、それをさらりと交わして打ち返すようなひとだった。
でも、久しぶりに会った姉さんは、酷く弱々しくて。今まで見たこともない、自嘲めいた笑いを浮かべていて。
聞いていて胸の痛くなる声で言葉を紡ぎ、叫んで、泣いていた。
手紙にも綴ってあった、ランドルフという男。
姉さんと時期を同じくして、同じ街にやってきた貴族。身分まではわからないけれど……姉さんはその男の話を良くしていた。
弟相手に惚気けてどうするのだと思った記憶はある。もちろん姉さんは、そうならないように意識していたとは思うけど。些細な文章からでも姉さんがランドルフに心を向けているのがわかった。
どんな相手でも姉さんが選んだ相手なら、と思っていた。
すぐには認められなくても、いつかはその人を義兄と呼ぶ日が来るのだろうと。
それが、どうだ。
姉さんはその男によって傷つけられた。ひとの前で泣きわめくことなどしなかったひとが、声を上げてしゃくり上げていた。
あの強かった姉さんが。誰よりも凛々しく輝いていたひとが。
姉さんが、化け物?
おれはこの世で、姉さんより綺麗なものを知らない。そのひとを化け物だなんて、良く言ったものだ。
そいつは、姉さんを愛していたの? 姉さんを想っていたの? 本当に?
愛していた人が間違いを犯したかもしれない――そんな疑心が浮かんでしまうのは、状況を考えれば仕方がない。
それでも本当にその人を愛していたら、まず理由を聞くんじゃないのか?
それを言い訳と思うのならそいつは姉さんを愛してなんかない。話を聞かないやつなんて以ての外だ。
うん、わかってる。これはおれの勝手な怒りだ。会ったこともない男に対して、おれはとてつもない怒りを感じている。
姉さんを傷つけて泣かせて、そいつは今どうしている?
まさか姉さんを忘れて、幸せに過ごしているなんてことはないよな?
姉さんのことを想って、自分が姉さんにしたことを後悔して、……そうじゃなければ本当におれは、ランドルフという男を許せない。
だって、
だって、姉さんは、
翌日また、心を閉ざしてしまっていたから。
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