第8話 彼女の心の傷は深く、

 毎日が楽しい日々だった。

 街のひとは親切で、ランドルフがいつもそばにいて。言葉にしたことはなかったけれど、彼の眼差しから仕草からわかる感情で、想い合っているのだと思っていた。

 シンシアはわかりやすくランドルフへの好意を見せて、時にはアンジェラを煙たがることさえあった。

 でも、それでもランドルフは自分を見てくれていた。見てくれているのだと思っていた。

 何があってもそれだけは変わらない事実だと、そう思っていたのに。


「私は彼に、次の日の朝に一人で街のはずれの丘の上に来てほしいと頼んだの」


 炎舞は、二人きりで執り行う儀式。

 愛し合う二人だけが見ることの出来る、美しき炎の舞。

 アンジェラは唇をきゅっと噛んだ。指先はシーツを強く掴んで、表情は苦し気に歪められていた。


「ランドルフは……笑顔で頷いてくれたわ。私の手を握って……とても暖かな手だった。その眼差しも溶けるほど穏やかで、愛しくて……この人の前で舞えることをうれしく思っていた」


 一族に伝わる儀式の話を初めて聞いたとき、自分にもいつか、炎舞を見せたいと思う人が現れるのだろうかと思っていた。

 それほどまで、誰かを深く愛せるのか、と。


「嬉しくてたまらなくて、その夜は気分が高揚したわ。早く朝にならないかと、落ち着かなくて……早くに目が覚めてしまった。念入りに髪をとかして、お気に入りのドレスを身に着けて……今日この心は、彼に捧げるのだと……」


 アンジェラが語る度に、彼女が本当にランドルフという男を深く愛していたことが伝わってくる。

 苦し気に、だけれど彼の名前を紡ぐ瞳は優しくて、恍惚として。アーノルドは無意識に、拳を握りしめていた。


「――外に出たとき、もう世界は変わっていた。街はなぜか私の家だけを残し焼け落ちて、そこにいたひとたちも、みんな……」


 震える体を労わるように、ローレンスが背中を撫でる。アンジェラは両手をぎゅっと握って、きつく目を閉じ息を吸った。


「何が起こったのかわからなかった。私は必死にランドルフを探して……見つけたの。彼が生きていた事実に、泣きそうなほど安堵した。だけれど彼は私に、近づくな、と……大きな声で、そう言った」


 アンジェラの震えは一層強まった。

 ここから先は恐らく、アンジェラの心を壊してしまう事実。アーノルドは思わず声を出していた。


「もう、これ以上は……」


 涙に揺れた金色の瞳がアーノルドを捉え、思わず肩を強張らせる。アンジェラは首を左右に振って、話を続けた。


「彼はその街に起こった全てを、私のせいだと思っていた。私だけ、が、無傷であったから。私が……竜族であったから」

「シンシアという方だって、竜族ですわ」


 アンジェラはまた首を振る。


「彼の中に、シンシアが犯人という考えは一ミリもなかったでしょう。だってシンシアは、傷ついていたのだから」

「じゃあもう、間違いないじゃないか! 街を燃やしたのは……!」


 怒りを帯びた声でローレンスが言うと、アンジェラは今度はふふっ、と笑って、悲しげな表情のままに何度も繰り返し首を振った。次第に笑みを象った唇は歪み、金色の瞳からいくつも涙が零れ落ちる。


「彼は少しも、私を信じなかった……私がやったのだと、私しかいないと断言して、この惨状を引き起こしたのは私だと……! 言い訳など聞く価値もないと、悪魔の話など聞く必要もないと」


 アンジェラの声が大きくなる。赤色の髪を振り乱し、泣き叫んだ。


「私のような化け物を愛したことが信じられないと! そう言ったの!」


 両手で顔を覆い、幾度もしゃくり上げる。マリアベルはローレンスの反対側からベッドに乗り上げると、アンジェラをぎゅうと抱きしめて何度も肩を叩いた。ちらりと兄の顔を見ると、兄の表情は怒りに歪んでいる。拳を震わせて、必死に感情を胸の奥に押し込めていた。


「大丈夫ですわ、アンジェラ。少なくともここにいるわたくしたちは、あなたが犯人ではないという事実を確信してますもの。ローレンスが言ったからではないわ、わたくしの兄様は竜族についてよ~……く、知っていますの」


 泣き腫らした目元のまま、アンジェラがマリアベルを見る。にっこりと笑ったマリアベルは、アーノルドへ顔を向けた。すぐに表情を取り繕ったアーノルドは一度深呼吸をして静かにアンジェラに歩み寄ると、目線を合わせるようにしゃがみ込み膝をついた。


「炎舞がどういうものであるのか、間違えた使い方をするとどうなるのか。オレたちはそれを知っている。その男が断言したというなら、オレもここで断言しよう。街を燃やしたのはきみじゃない。きみではあり得ない」


 アンジェラの目が見開かれ、また涙が零れる。再び両手で顔を覆って、ゆっくりと深く頷いた。



 ランドルフが自分を信じていないのだとわかった瞬間、もう誰も自分を信じてくれる人間はいないのだと思っていた。

 それほどにそのときのアンジェラにとって、ランドルフは全てだった。

 心から愛し、身も心も捧げていいとまで強く想った相手。あんなふうに突き放されることを、誰が想像できただろう。



 その後のことを、アンジェラはゆっくりと話した。

 その場から離れたのはそれ以上ランドルフに責められることを恐れてのことであったこと、そしてランドルフを想う気持ちの奥に小さく存在していた公爵令嬢としての誇りが、冤罪で囚われることを拒否していたということ。

 ひとつの街が焼けて、人がたくさん死んだ。恐らく囚われたら最後、即刻処刑されていたことだろう。

 アンジェラは小さく呟いた。


「冤罪のまま私が処刑されていたなら、国が黙っていなかったと思います。王妃様は私をとても、可愛がってくださいましたから……」

「……あぁ、おれが国を出るときも、王妃様はとても心配していた。……もし本当に冤罪で処刑なんかされてたら……この国はあっという間に、火に飲まれる。ヴァレンタイン家と王家の繋がりはほとんど、家族も同然なんだ」


 竜族が国ひとつを消した。

 それは遠い昔の話ではあるが、今尚竜族の炎の加護は健在であるという。王家に近い存在が冤罪を被ったとなれば、国が動く可能性はゼロではない。


「クラウディアの現王はかなり野心家だと父様が言ってましたわ。もし竜族から行動を起こせば、危険を顧みず無謀にも戦争を挑むでしょうね」

「確かにここ数年の間に、何度か他国へ侵攻を試みているしな……」


 そんな王のいる国が、自国の公爵令嬢を冤罪で処刑した。――戦争が起こってもおかしくはない。戦争とまではいかなくても、ドラグニアはクラウディアへ何かしらの報復行動に出るだろう。

 アンジェラがまた、ふふ、と笑う。


「国と国の安定のために……なんて、そんなこと少しも考えなかったわ。私は……私はただ、あのひとが……ランドルフが咎められることが嫌だった。だってあのひとは、何も……知らないのだもの……」


 アーノルドの胸が強く痛む。

 悪魔だと、化け物だと言われて尚彼女の心はランドルフに向けられている。彼に罵られることを恐れて、だけれど彼の身を案じて彼女は逃げるという道を選んだ。その結果があのニュースペーパーだ。竜族の令嬢は今、地上の人間にとって悪意の対象になっているだろう。


 自分だったら。もし自分が、ランドルフの立場であったなら。

 彼女をこんなに苦しませない。悪魔だ化け物だと、そんな言葉死んでも言わない。


「逃げてからは……よく、覚えていないの。どうしたらいいかわからなくて、国に帰ることも出来なくて……気がついたらあの商人に囚われて……ローレンスの声がなかったら私は今頃……」


 俯いて、唇を噛む。マリアベルはアンジェラの背中を撫でると、ベッドから降りてアーノルドを見上げた。


「今日はもう休ませた方が良いですわ。あとはローレンスに任せて構いませんこと? わたくしたちは別の部屋で休みますわね」

「……あぁ、そうだな。今後についてはまた明日話そう」


 ローレンスはこくりと頷いて、アンジェラの身体をベッドに横たえる。毛布を掛け直し、浅く息を吐き出した。

 アーノルドとマリアベルはそのまま静かに部屋を出て、扉を閉める。眉を寄せて難しい表情を浮かべた兄に妹は、腕を組んで肩を竦めた。


「言いたいことがありそうですわ」

「そりゃな、いくらもある。……あれほど想われていた男が心底憎い」

「嫉妬なんてする立場じゃありませんのに。アンジェラはやっと兄様を認識した段階ですわよ」

「……わかってる。だから黙ってたんじゃないか」

「えぇ、それについては褒めてさしあげてもよろしくってよ」


 ふふん、と胸を張って笑うマリアベルにアーノルドは眉を寄せ、けれど次の瞬間には肩から力を抜いてめいっぱいに息を吐き出した。それからマリアベルの頭をぽんぽんと撫でて優しく笑う。


「……早くわたくしに、アンジェラを姉様と呼ばせてくださいませ」

「気が早いな」

「兄様の恋心の強さを知ってますもの。まさか諦めるつもりはないですわよね」

「どう、だろうな。彼女を不幸にしたくはない」


 淋しげに瞳を伏せて自嘲めいた笑みを浮かべる。マリアベルは眉を吊り上げ、アーノルドの臀部をめいっぱいに叩いた。


「いっ……」

「しっかりなさいませ! もう一度言いますわよ、兄様は今ようやくスタート地点に立ったのです! 勝負せずに逃げるチキン野郎なんて、お呼びじゃなくってよ!」


 アーノルドは慌ててマリアベルの口を塞ぎ、しーっ!と人差し指を立てた。そのままマリアベルの身体を引っ張り、アンジェラたちのいる部屋から離れて行く。マリアベルは不満げに唸っていたが、それ以上何かを言うことはなかった。


 全力の失恋を経験して、彼女が幸せであるなら、と思い込もうとしていた。


 それでも彼女の記憶の男に嫉妬して怒りを覚え、自分なら――と考えた。

 勝負せずに逃げたらそれこそ、本当にチキン野郎だ。幼いころからずっと想い続けていたひととようやく出会えて、それで終わりにはしたくない。彼女との繋がりを、このまま切ってしまいたくはない。


 彼女はまだ、心に深い傷を負っている。

 それを治すことが叶ったら、少しでも自分に意識を向けてくれるだろうか。



 少しでも。少しだけでも。

 アーノルドはそう、自分に言い聞かせていた。

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