第65話 新たな住処
右前足をアーニャの手に置いた
「ココは優しいね」
“今はこのぐらいしか出来ないからね……”
「そばにいてくれるだけで十分だよ」
そう言うとアーニャは悠を優しく撫でた。
隣に座っていたミリアがアーニャの肩を抱く。
彼女達の様子に室内は一時静まり返った。
場の雰囲気に耐え兼ねたジョーが無理に明るい声を出す。
「とっ、とにかくよぉ、家をくれるって言うんなら見せてもらおうぜ!」
「そっ、そうだね。ココからは貴族の屋敷って聞いてるけど……」
「ふむ、確かにどんな物か知らねば移住も考えられんだろうな……見に行くか?」
「うん! 貴族様のお屋敷なんてきっと豪華なんでしょうね!」
ミリアが少しわざとらしく顔を上げ目を輝かせる。
そんな孤児達の様子にアーニャも少し微笑んだ。
「豪華か……確かに作りは豪華ではあるが、金になりそうな家具や装飾品は全て売ったからな。今は建物と庭が付いた広い家というだけだぞ」
「……将軍さんよぉ、そこは希望を持たしてくれよぉ」
「致し方なかろう。金が足りんのだ」
「せちがれぇぜ……」
「アハハッ」
ジョーが肩を竦めたのを見てアーニャは声を上げて笑った。
それを切っ掛けにトレアは椅子から腰を上げる。
「ともかく家を見に行くか。ついでだ、お前達の住む場所にも案内してくれ」
“トレアも来るの?”
「本国を説得するんだ。孤児たちの窮状をこの目で確認しておく必要がある。紙の上だけでは想像する事しか出来んからな」
“大丈夫なの?昨日、王宮を睨んでいる男を見かけたよ”
「そんな男はこの街に幾らでもいるさ。兵も同行させるから問題ない」
“ホントに大丈夫かなぁ”
トレアはアーニャの前に膝を突くと悠の頭を撫でた。
「ココ、お前は心配症だな。今まで何度も街には視察に出た。兵士がいれば手を出してはこんさ」
“ならいいけど……あっ、首は止めて!ああ……”
首の下をくすぐられた悠は自分の意思に反してゴロゴロと喉を鳴らした。
意識は人であっても肉体にかなり引っ張られてしまうようだ。
そう言えば娼婦のレアーナに入った時、最終的には辛そうなクリスをギュッと抱きしめたくなっていた。
あの時は何だか弱っているクリスが少し切なく愛おしく感じた様に思う。
恐らくレアーナの女性の部分に引き摺られていたのだろう。
それと同様に気を引き締めないと猫の本能に流されてしまいそうだ。
悠はトレアの手を両腕でグイっと押し返した。
「フフッ、拒む姿も猫は愛らしいな……では行こうか」
「あの、この人は放っておいていいんですか?」
立ち上がったトレアにアーニャはロベルトを指差し尋ねた。
「構わん。こいつについて来られると大げさになり過ぎる。馬車を用意させる、ついて来い」
トレアはロベルトを一瞥するとニヤリと笑い扉に向かった。
本当に放っておくつもりの様だ。
いつもはどれだけ小言を言われているのやら。
そんな事を思いながらアーニャに抱かれた悠は、苦悶の表情を浮かべるロベルトに視線を送りながら部屋を後にした。
トレアの用意した馬車はクッションの利いた優雅な物だった。
話を聞けば元はロガの国王が使っていた馬車らしい。
トレアにこだわりは無かったが、権威付けのため使っているそうだ。
その優雅な馬車の前を周囲を鉄で覆った四角い黒塗りの武骨な馬車が先導している。
そちらには護衛の兵士が乗り込んでいた。
馬車に揺られている間にトレアは職業訓練学校について詳しい説明を孤児達に行った。
今はまだ計画はトレアの頭の中にあるだけだが、学校は寄宿舎を兼ねた学校兼孤児院といった様な施設を想定しているようだ。
初期はベベルに運営費用を捻出してもらうつもりだが、ゆくゆくはロガの人々に運営してもらいたいらしい。
「今は我々が国の運営を代行しているが、いずれは独立国としてロガの人々がかじ取りをすべきだと上は考え、実際周囲にそう公言している」
“戦争で勝ったのに占領しないの?”
「それには兵力が足りん。それにもしベベルがこのままロガに居座れば周辺諸国からの非難は免れんだろう」
トレアの言葉にアーニャが答える。
「国が大きくなりすぎるとそれだけで周囲を威圧してしまいますもんね」
「そうだアーニャ。……お前はやはり賢いな……戦争前はベベルと周辺国家の規模はほぼ同等だった。それが今回の戦争で大きく塗り替えられた形だ。今の首相は基本的に国の維持を第一に考える穏健派だ。これ以上の火種は作りたくないのだろうさ」
ベベルの内情は知らないが国土が増えればそれだけ軍隊も多く必要となる。
これまでの大きさで一杯一杯なら当然、ロガに兵力を割いた分、本国の守りは薄くなる筈だ。
トレアの言う首相はロガをいずれ解放すると宣言する事で、周囲に攻め込まれないよう布石を打ったのだろう。
「我々は無駄に国土を拡大したい訳では無い。ロガの王はやりたかったようだがな」
「じゃあ何で首都まで進軍したんだよ?」
ジョーの口調は無意識にトレアを責める物になっていた。
「ベベル側は何度も停戦協定は結ぼうとした。しかしお前達の王は首を縦に振らなかったのだ。徹底的にやるしか無かった……王はよっぽど賠償金を払いたくなかったのだろう」
「賠償金……金の所為で親父は死んだのかよ……」
「そういう事になるな……」
「あっ、あの、屋敷はどのぐらいの大きさなんですか?」
暗くなりそうになった車内の雰囲気をケインの明るい声が打ち消す。
「あ、ああ、大きさか。それは見れば分かる。ほら左前方にある青い屋根の建物だ」
孤児達はトレアの言葉で一斉に窓に寄って屋敷を見た。
「大きい……」
「ああ、デカいな。あれが俺達の家になるのかよ」
「素敵ねぇ……まるでおとぎ話のお姫様のお家みたい」
「凄いねココ……」
“そうだね……あの屋敷なら皆、健康に暮らせそうだ”
馬車の歩みに合わせ近づく屋敷を見ながら悠は小さく呟いた。
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