第59話 犬派な男

 ゆうを部屋から追い出したトレアは緩んでいた表情を引き締め服に付いた毛を払うと、ツカツカとドアに歩み寄った。

 鍵を開けるとデスクの椅子に深く座り足を組む。


「入れ」

「失礼します」


 ドアを開け現れた男は椅子に座っているトレアを確認するとデスクの前に立った。

 深緑の軍服を着た黒髪で背の高い丸眼鏡をかけた男だった。

 眼鏡の奥の切れ長の瞳が男の優秀さを物語っている様に感じられる。


 その眼鏡の男はトレアを見ると深いため息を吐いた。


「何処に隠したのです?」

「隠した? 何をだ?」

「……お顔が毛に塗れております」


 男に指摘されたトレアから一瞬で余裕が消えた。

 目が泳ぎ顔から汗が噴き出す。


「将軍、何度も申し上げておりますが、民衆に不満を抱かせないよう貴女は優秀で非の打ちどころの無い支配者で無ければなりません。猫と戯れている所をこの国の人間に知られれば、その支配者像が崩れます」

「分かっている! だが猫は私にとって癒しなのだ!」


 開き直ったトレアは椅子から立ち上がり両手をわななかせながら訴える。


「……私も将軍が節度を持って猫と接するのであれば禁止したりは致しません。しかしアレは余りに見苦しい」

「クッ、見苦しいだと……猫との時間が私にとってどれほど大事か貴様には分らんのだ!」

「ええ、分かりませんな。私は犬派ですので」


 男はトレアの訴えを一刀のもとに斬って捨てた。


「ロガを最低限、安定させ本国に戻った暁には好きなだけお戯れになればよろしい。私も将軍のプライベートな時間まで干渉するつもりはございませんので」


「それに何年かかると思っている……」


「そうですな……最短でも後二年は必要でしょうな。それも何も無ければですが」

「二年……」


 勢いを無くし項垂れる様に椅子に腰かけたトレアに男は追い打ちをかける。


「さて、ご理解いただけた所で、出して頂けますか?」

「出す?」

「猫ですよ。どうせデスクの引き出しか私室でも隠したのでしょう?」

「フンッ、子供ではあるまいしそんな所に隠すか」


 余裕を見せたトレアの様子に男は無表情に言う。


「ふむ、もう逃がしたようですな」

「……ロベルト、貴様のその余裕に満ちた顔をいつか存分に引きつらせてやるからな」

「ええ、楽しみにしております」


「チッ……覚悟しておけ……まぁ、それはそれとしてだ。恐らく近日中に猫を連れた子供が何人か訪ねてくる筈だ。その内の一人はアーニャ、金髪で青い目の娘だ。私の名を出すだろうから来たら王宮へ迎え入れろ」

「アーニャ? 何者です?」


「孤児だそうだ」

「孤児? 何故孤児が……」


 珍しく困惑した様子のロベルトの顔を見て、トレアはほんの少し溜飲を下げた。




 宮殿から抜け出した悠は庭を抜け、正門から忍び出た。

 見張りの兵士の一人が一瞬、悠に目を向けたが彼はすぐに視線を正面に戻した。

 まぁ、猫が王宮に忍び込んでいても、それを追って持ち場を離れる者はいないだろう。


 正門を抜けて夜の街を歩き下水道を目指す。


 街は活気に溢れている様に感じられたが、トレアのお膝元という事もあるのだろう。


 王や貴族は処刑されたとジョー達に聞いたが、国民を振り回し死んで終わりというのは悠にはなんだか無責任に感じられた。

 その後始末をさせられているトレアがいささか気の毒だと悠は思う。


 そんな事を考えながら街を歩いていると、路地の影から王宮を睨んでいる男が目に入った。

 男は大砲の並んだ城壁を忌々し気に見つめると、路地の暗がりに姿を消した。

 平和に見える街にも憎しみの火種はくすぶり続けているようだ。


 一応、トレアに報告しておくか。

 悠は男の特徴を記憶に刻むと下水道への歩みを再開した。

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