第57話 やっぱり猫が好き

 悠が宮殿に近づくと正面の扉が開き、深緑の軍服を着た男女がぞろぞろと歩み出て来た。

 軍服は昔、映画等で見た事のある太腿がゆったりしたタイプだった。


 悠は見つからない様、とっさに扉の脇の植栽の影に身をひそめる。


「んじゃ、お先っス」

「お疲れ様です」

「ああ、お疲れ。余りハメを外し過ぎるなよ」

「分かってますって」


 彼らは楽しそうに談笑しながら王宮の正門へ向かって歩き去った。

 恐らく仕事を終えたのだろう。

 盗み聞いた所では何処で食事にするか相談しているようだった。


「はぁ……馬車馬の様に働いても評価が上がる訳では無いと何度も言っているのだがなぁ」


 一人残ったピンクの髪の青い軍服を着た女が腰に手を当て苦笑している。

 ストレートのピンクの髪は背中の中程まで、その髪の間から覗く横顔は知的でクールな印象を感じさせた。

 会話の様子から先ほどの集団の上司なのだろうと悠は予想する。


 まぁ、なんにしてもこれはチャンスだ。


 悠は植栽の影から飛び出すと、女の横をすり抜け王宮に忍び込もうとした。


“!?”

「ほう、これは愛らしい侵入者だ」


 完全に隙をついたつもりだったが、女はいとも簡単に悠を捕まえると赤ん坊を高い高いする様に持ち上げた。

 美しいその顔がニヤリと笑う。

 悠は抜け出そうと藻掻いたが、どんなに暴れても掴んだ女の手はビクともしなかった。


“クッ、失敗か……”


 ピンクの髪の女は悠を胸に抱きキョロキョロと周囲を窺った。

 そして誰もいない事を確認すると悠を抱いて王宮の中に入り扉を閉めた。


 その後、彼女はまるで自分が侵入者であるかの様に、兵士の目を掻い潜り自室と思われる二階の一室に滑り込んだ。

 扉の鍵がカチャリと音を立てる。


「……クククッ、これでようやく思いを遂げる事が出来る……」


 女性は欲望に歪んだ笑みを浮かべると悠を再度、目の前に掲げた。


“あの……一体何を……?”


 危険を感じ身を捩るが女の手は万力の様に悠を固定し微動だにしない。


「ハチワレ……ソックス……い」

“い……?”

「いい……やはり猫はいいっ!」


 彼女はそのまま顔を悠の腹に当て深く息を吸い込んだ。


「ぷはーっ、この感じ久しぶりだぁ!」

“こっ、これは噂に聞く猫吸い!? あっ、止めてそんな所そんなに激しく吸わないで!! たっ、助けてぇ!!”


 その後、暫く悠の肉体は女の思うままに吸われ続けた。

 やがて満足したのか彼女は毛だらけの顔で悠に微笑み掛ける。


「はぁはぁ……最高だった。感謝する」

“…………僕は……僕はもうお婿に行けないよ”


 胸に抱かれた悠は両前足を顔に当て切なく呟いた。


「フフッ、なんだその愛いらしい仕草は……そうか、照れているのだな」


 彼女は悠の行動の意味を都合の良いように解釈し、デスクの椅子に腰かけると悠の乱れた毛並みを優しく撫でて整える。

 その間も片手はしっかりと悠を捕らえたままだった。


「すまんなぁ、名も知らぬ猫よ。街に視察に出ても部下の手前、猫を吸う事など出来んし、そもそもゴツイ兵士に怯えて猫は寄って来てくれんのだよ。それに猫と触れ合うこと自体禁止されているしな……」


 どうやら彼女は極度の猫好きだったようだ。

 部下がいるという事は地位も高いようだし、彼女なら協力してくれるかも知れない。


 悠は気を取り直すと先程、ジョーを癒した時の感覚を思い浮かべ右前足の肉球を見た。

 先程と同様、淡い光が肉球に宿る。


「これは……なんで光っている?」


 不思議そうに肉球を見た毛だらけの顔に悠はそっと手を伸ばす。

 光を帯びた肉球は覗き込んだ女の額にピトッと押し当てられた。

 と同時に女の体は淡い光に包まれる。


「何だコレはッ!?」


 女は光に驚き悠を掴んでいた手を思わず放した。

 その隙をついて悠は彼女の膝から素早く逃げ出し女の前にちょこんと座った。


「何も異常は…無い……?」


 両手を持ち上げ自身の体を確認していた女に悠は声を掛ける。


 “ねぇ、ちょっといいかな?”


 声を掛けた悠を女は目を丸くして見つめた。


「まさかお前が話したのか!?」

“そうだよ。ちょっと話を聞いてもらえるかな?”

「いいや、そんな筈は無い……もしかして猫を求める余り精神に失調を!?」


 女は猫が喋る原因を己が内に求め始めた。


“違うから、君は変になってないから”

「確かに聞こえる……いや、そんな馬鹿な事がある訳が……きっと私の心の奥底の願望が幻聴を……」

“いいから話を聞け!!”


 悠は飛びあがると女の頬を肉球で張った。


「あうッ!? 凄いソフトタッチッ!!」

“……君ねぇ……取り敢えず僕の話を聞いてもらえる? 君はおかしくなってないし、この言葉は確実に僕の意思だよ”


 悠は両前足を広げ女に訴えかけた。


「………幻聴だとしても余りに会話と行動が一致しているな……そうか分かったぞ、私の内なる願望によってテレパシー能力が発現したのだな!」


 女は両手を広げ天を仰いだ。


“はぁ……もうそれでいいから話を聞いておくれよぉ……”


 項垂れた悠に女は視線を戻した。


「いいだろう。存分に吸わせてもらった恩もある。なんでも言うがいい」

“……じゃあ、まず名前を教えてもらえる? 僕は……ココ”

「ココか、可愛らしくて良い名だ。私はトレア、占領地域であるロガの統括を担当している者だ」


 実質的にこの地域の支配者である女将軍はそう言うと悠に向かって微笑んだ。

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