第54話 どんな場所、どんな組織であっても

 手を差し伸べたケインと名乗った少年の誘いをアーニャは受ける事にしたようだ。

 ゆうは少し不用心に感じたが、いざという時は戦えばいいかと思い彼女の好きにさせる事にした。


 今回は恐らくアーニャを生き延びさせる事が目的の筈だ。

 これまでの様に派手な展開は無いが、放っておけばアーニャは餓死していただろう。


 どこまでやればクリアか分からないが、とくかく彼女が生きて行ける様に道を探さないと……。

 確かにこれは今までとは違うが中々にハードなミッションだ。


 そんな事を考えながら悠はアーニャ達の後に続き石畳を歩いた。


「その猫、凄いね。マイクを追い払うなんて……」

「うん、私もビックリした」

「ごめんね、助けられなくて……」


 ケインは気まずそうにアーニャの顔色を窺いながら頭を下げた。


「気にしなくていいよ、猫ちゃんが助けてくれたし」

「猫ちゃん……この子は君の猫じゃないの?」

「違うよ。私も今日初めて会ったんだ……」


 そう言うとアーニャは振り返り悠を見て微笑んだ。


「今日初めて……もしかしてこの街の子じゃ無いの?」

「うん……父さんが戦争で死んで、母さんも病気で死んで……この街には親戚の叔母さんを頼って来たんだけど……」

「この街にはいなかったの?」


「ううん、私を養う余裕は無いって……」

「そうか……そう言えば名前をまだ聞いて無かったね? さっきも言ったけど僕はケイン、君は?」

「アーニャだよ」

「アーニャか、いい名前だね……この子には名前は無いの?」


 ケインはそう言うと悠を見た。


“僕は悠”

「……ニャーか」

「違うと思うよ。この子、沢山お話してくれるんだけど……何を言っているか分かればいいのに」


「やっぱり普通の猫じゃないのかも……ねぇ、僕が名前を付けていいかな?」

「うん、いいよ。ずっと猫ちゃんじゃかわいそうだもんね」

「じゃあ……ココはどう?」


「ココ! うん、可愛くていいね!」

「じゃあ、お前は今からココだ。ココ」

“ココかぁ……”


 ケインは笑みを浮かべ名前を呼びながら悠の頭を撫でた。

 悠は年下の子に子供の様に撫でられるは正直複雑な思いだったが、拒絶するのも大人げないと考え素直に撫でられる事にした。


 首の下や耳の付けねを撫でられると、とても気持ちが良く思わず喉がゴロゴロと鳴る。


「わぁ……気性の荒い猫かと思ったけど、凄く人懐っこいなぁ」

“ちっ、違う! これはその、この体の特性であって僕の意思じゃない!! 心を許した訳じゃないんだから、そこんとこ勘違いしないでよね!”

「あっ……」


 心ならずツンデレ女子の様な事を口にしてケインの手を逃れると、悠はアーニャの後ろに隠れた。


「……やっぱり猫は気まぐれだなぁ」

「ココは凄く賢いから、恥ずかしかったのかも」

“そんな事より早く君のねぐらに案内してよ!”


 悠はケインに先に進む様ジェスチャーを使い促した。


「早く連れてけって? ……ホントに賢いね」

「そうでしょう、エッヘン!」

“なんでアーニャが威張るんだよ……”


 悠は誇らし気に胸を張ったアーニャに苦笑しつつ、早く行こうと二人を促した。




 案内された先は川の土手に設けられた下水の排水溝だった。

 悪臭が漂い居心地はお世辞にも良いとは言えなかった。


「ここ?」

「うん、臭いは酷いけど上の人がお湯を下水に流すから結構温かいんだ」

“確かに外よりはマシだけど……余りに不衛生だ……”


 悠は暗い下水道を眺め感想を漏らした。

 縦横三メートル程の半円形のトンネルの脇に補修用の通路が伸びている。

 石で組まれたアーチ状の壁には黒くて素早いアイツが何匹か蠢いていた。


“うう……こんな所に入るのか……”

「こっち、仲間に紹介するよ」

「分かった。ココ、行こう」


 二人が先へと進んだので悠も渋々後へ続く。

 下水道にはアイツだけで無く、鼠や蜘蛛の他様々な生き物が暮らしていた。

 やはり人が暮らすには問題が多い様だ。


 何とか生活を向上させる術を見つけないと、体力の無いアーニャには厳し過ぎるだろう。

 幸い鼠は悠の姿を見て逃げ出したので、自分が近くにいればアーニャが鼠に噛まれる心配はなさそうだ。


 まさかコレを見越して事務員は自分を猫に入れたのだろうか……。


「止まれ。ケイン誰だよそいつ?」


 真っ暗な下水道の奥からヒビの入ったランプを掲げた赤毛の少年が彼と同世代、恐らく十歳前後だろうの少年たちと共に現れた。

 先頭の赤毛の少年は手には角材を持ち、値踏みする様な目でアーニャを睨んでいる。


「ジョー、この子はアーニャ。この子も孤児なんだ」

「……またか……ケイン、悪ぃがここはもう一杯だ。それにそのガキはガリガリじゃねぇか。どうせすぐ死ぬ」

「でも……」

「いいか、お前も分かってると思うが俺達だってギリギリなんだぜ。それともそのガキの代わりにお前が出て行くか?」


 そう言うとジョーは持っていた角材をケインに突き付けた。

 ケインは唇を噛み俯く。

 暫く黙った後、ケインは迷いを振り払う様に顔を上げた。


「いいよ。僕の代わりにアーニャをここに置いてくれ」

“へぇ……”

「ケイン!? だっ、駄目だよう。私は他を探すから」

「いいんだ」


 どんな場所、どんな組織であっても自分の利益をかなぐり捨てて他者を救える者は稀だ。

 悠はケインという少年を少し見直した。


「へぇ……ケイン、お前、この女に惚れてんのか?」

「ちっ、違うよ! 女の子には優しくしろって父さんが……」

「お前の家族を置いて死んじまった親父の事なんかいつまでも引きずってんじゃねぇよ!」

「うっ!?」

「ケイン!?」


 ジョーは吐き捨てる様に言うと角材をケインの鳩尾に突き入れた。


「ケイン、お前は仲間内じゃ足が速くてけっこう使える奴だ。いまなら許してやる、さっさとその女を捨てて来い」

「いっ、いやだ!」

「テメェ!!」

「ケイン!!」


 振り上げた角材を持った手が鋭い爪で切り裂かれる。


「グッ……なんだコイツ……」

“どんなに落ちても人としての矜持は失うべきじゃない……それを無くしたら人は獣と同じだ”


 黒い毛並みのハチワレソックスの猫は、ランプの光を浴びてエメラルドグリーンの瞳をランランと輝かせた。

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