第50話 猫とアーニャ

 見上げた星の世界に向かう船の姿が薄まりゆうは巨大な壁に挟まれた裏路地にいた。

 周囲に見える物は全てが巨大で自分が小人になったようだ。


 いつもの習慣で右手に目を落とす。

 肉球の付いた手は明らかに人では無く自由に爪が出し入れ出来た。

 その爪の付いた手先は白で手首あたりから黒い毛で覆われている。


“これはまさか……”


 視線をそのまま自分の体に向ける。

 腹は白い毛に覆われ、足元には黒色の尻尾が自分の意思を反映して揺れていた。


“やっぱり、これは……猫!?”


 今まで人からは外れた事が無かったのに、猫は完全に想定外だ。

 大体、猫でどうしろというのだ。

 一体どうやって未来を変える様な影響が与えられると言うのか!?


 まさか、あの事務員、僕の態度が気に食わなくて無理矢理、獣にしたんじゃないだろうな。

 だとしたら完全な裏切りだ。

 確かに態度は悪かったかも知れないがこっちはちゃんと仕事はこなしていた筈だ。


 よし、いいだろう。そっちがその気なら……。


 悠の思考がダバオギトをどう料理するかにシフトしかけた時、彼の隣に薄汚れた服を着た栗色の髪の痩せた少女が壁に背中をこする様にしゃがみ込んだ。

 思考に集中し過ぎて接近に気がつかなかったようだ。


“なっ、何!?”


 その巨大さに思わず声を上げると少女は悠に向かって笑みを浮かべた。

 頬骨が浮いた憔悴しきった顔で無理に笑う少女に悠の胸は問答無用で締め付けられる。


「ハハッ……ごめんね、猫ちゃん……驚かせちゃった……みたいだね……少しだけでいいから……休ませてもらって……いいかな?」


 悠は勿論だと首をブンブンと縦に振った。


「フフッ……言葉が……分かってるみたい……私はアーニャ……君……お名前は?」

 “僕は悠……それより君、顔色が悪いけど大丈夫かい?”

「わぁ……いっぱい鳴いたね……もしかして……凄く長い……お名前なのかな?」


 クッ、やはり言葉は理解出来ても意思の疎通は無理か。

 そうだ、筆談なら! 悠はこれだと手を打った。


 しかしその直後すぐに肩を落とした。

 ドラゴンと戦った時、言語の壁にぶつかった事を思い出したからだ。


 人の様に手を打ち、その後、肩を落とした猫(悠)を見て少女は目を真ん丸に見開いた。


「君は不思議な……猫ちゃんだね。もしかして……サーカスに……いたとか?」

“残念ながら、サーカスはまだ経験ないよ。それよりアーニャはホントに顔色が悪いな、ちゃんとご飯は食べれているの? ひどく痩せているけど……”


 問い掛けと同時にアーニャのお腹がクゥと可愛く鳴った。


「えへへ……聞かれ……ちゃった」


 アーニャは悠を見て照れ臭そうに笑った。

 悠は笑ったアーニャを見てその場を離れた。


「あっ、猫ちゃん……嫌われちゃったかな……」


 勿論、悠は彼女を嫌って等いなかった。

 照れ笑いを浮かべた顔が余りに痛々しく、思わず駆け出していたのだ。


 彼女の為に食料を確保しないと。

 悠の頭はそれで一杯になっていた。


 路地裏を抜けて大通りを目指す。

 大通りには沢山の露店が軒を連ねていた。

 規模から見てここはかなり大きな街のようだ。


 とにかく何か食べる物を。


 そう思ったが今の悠は金など当然持っていない。


“ごめんなさい!”


 悠は謝りながら店先にぶら下がっていたソーセージに牙を立てた。


「あっ!? この泥棒猫ッ!!」


 店主らしき髭面のおじさんが悠に向かって石を投げた。

 少女の元へ戻ろうと必死だった悠は、慣れない獣の体という事もあり避ける事が出来ず石は後頭部に直撃した。


「あんたやり過ぎだよ! いいじゃないかソーセージの一つや二つ!」

「いや、まさか当たるとは思わなくてよぉ……」


 そんな声を聞きながら悠は意識を失った。


 目が覚めた時、街は既に赤く染まっていた。

 悠は樽の上に置かれたクッションの上に寝かされていた。

 飛び降りると気付いた店主が悠に声を掛ける。


「おっ、目が覚めたのか?悪かったなぁ。こいつは詫びだ」


 店主は頭を掻きながら、大振りなソーセージ一本乗せた木皿を悠の前に置いた。


“くれるの? ……ありがとう!!”


 悠は店主に頭を下げると、ソーセージを咥えアーニャの下へ走った。


「……あの猫、俺に頭を下げた?」

「馬鹿な事言ってないでさっさと店じまいをするよ!」

「おっ、おう」


 店主は首を傾げつつ妻の言葉に従い、店じまいを始めた。

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