第44話 待ち人来たらず

 とにかくあれが何なのか正体を見極めないとならない。

 ゆうは物置部屋から小ぶりの箪笥を持ち出し天井に開いた穴の下に置く。

 箪笥を足掛かりに穴の縁に手を掛けた。


「よっと……」


 箪笥を蹴って腕の力を使い体を引き上げる。

 光の入らない暗闇の中を何かが動いている気配がする。

 玄関で感じた異臭はさらに強さを増していた。


 ポケットから懐中電灯を取り出し当たりを照らす。

 先程のリンを攫った影が出入りしている為か、蜘蛛の巣が張っているという事は無く予想外に綺麗だった。


 床の強度を確かめると軋んだ音を立てたが、悠一人を支えるぐらいは出来そうだ。


「リン! 無事かい!?」


 周囲を懐中電灯で照らしながら悠が声を張り上げるとくぐもった声が聞こえた。


「リン?」


 悠は軋む床を鳴らしながら声のする方へゆっくりと歩を進めた。

 恐らく屋根裏に上った時点でリンを攫った者には気付かれている筈だ。

 彼女を餌に自分を釣るつもりなら、乗ってやれば何らかのリアクションがあるだろう。


「んんん!!」


 声のした方を照らすと、口を黒い布の様な物で塞がれたリンが柱に縛り付けられていた。

 彼女に駆け寄り口を塞いでいる布を外そうと手を伸ばす。

 するとリンは激しく首を振った。


「暴れないで、取ってあげるから……これは髪の毛?」

「んんん!! んんん!!」


 彼女は顎をしゃくり必死で何かを伝えようとしている。

 それに気付いた悠は振り返り懐中電灯をそちらに向けた。


「!?」


 始めに見えたのは真っ白な顔と、そこから垂れ下がった黒く長い髪の毛。

 次に目がいったのはランランと光る血走った瞳だった。

 古風な着物に似た物を纏った女が逆さまに浮かびながらこちらを凝視している。


「……これはかなり古典的だなぁ」

“貴様もこの館を奪いに来たのか?”

「あっ、話せるんだ」

「んんんん、んんんんんんん、んんんんんんんんん!?」


 リンが藻掻きながら何か言っている。

 だが悠はそれを無視して白い顔の女に問いかけた。


「館を奪いにって言うけど、この家の持ち主は建設会社に変わったみたいだよ?」

“俗世の事など知らぬ、ここは主様と妾の館じゃ……奪うというなら貴様も縊り殺してその血を啜ってくれるわ!!”


 女はそう言うとずるりと床に落ちた。

 一度黒い髪の塊に変化し、それが悠の前で大きく広がった。


「んん!?」


 リンがその異様さにくぐもった悲鳴を上げた。

 大きさは二メートルは軽く超えているだろう。

 両手を広げた人の形に似た漆黒の塊の中心に、白い顔が歪んだ笑みを浮かべている。


「……また話せるけど決裂するタイプか……はぁ、会話は大事だと思うんだけどなぁ」


 ため息を吐きつつ悠は拳を構えた。


“オホホホホッ!!”


 けたたましく笑いながら髪の毛の怪物は悠に覆いかぶさる。

 彼を取り込む様に髪はのたうち、繭のような球体を形作った。


 繭の内部では悠の目の前に真っ白な顔が浮かんでいた。


「君は何でこんな事をしているの?」

“何でじゃと? 妾はずっとここでぬし様の帰りを待っておる、館を失えば主様が帰り付けぬ”

「そう……それで、家に入った人を攫って殺していたんだね……」

“主様と妾の住まいに断り無く踏み込んだのじゃ。当然の報いよ”


 女の姿や口調は時代掛かっており何百年も前の者だと悠には感じられた。

 であるなら恐らく女の言う主様はもう生きてはいない筈だ。


「多分だけど……君の想い人はもうこの世にいないと思うよ。君も天国に行った方が……」

“何を言うか!? 主様は必ず迎えに来ると言うたのじゃ!! あの方は約束を違える方では無い!!”

「……やっぱり説得は無理か」

“妾を惑わす愚かな男よ、言うた通り縊り殺してくれる!!”


 屋根裏では繭に飲まれた悠を見てリンが必死で藻掻いていた。


「んんんん!! んん!! ……んん?」


 どうにか束縛から逃れようとしていたリンの声が、焦りから疑問へと変わった。

 髪の毛で出来た球体の表面がモコモコと波打っている。

 やがてその隙間から光が漏れ出し、耐え切れなくなって弾け飛んだ。

 白く眩いヒカリが真っ暗な屋根裏に溢れ、リンの瞳を焼く。


「んんんん!?」

“ギャアアアアアア!!!”


 悠を覆っていた黒髪が塵となって崩れ落ち、そこから弾かれる様に真っ白な体が飛び出した。

 光は屋根の一部を吹き飛ばし、太陽の光が屋根裏に差し込んだ。


 陽光に曝された女は、目を両手で押さえ痛みで悶えた。

 その体からは白い煙が立ち上り、体のあちこちが霞の様に揺らいでいる。


“ああああああぁ、焼ける、妾の髪がぁ顔がぁ!! 焼けて、焼けてしまう!!”

「一体何が……あれ、髪の毛が……?」


 気が付けば口を覆っていた髪も、リンを柱に縛り付けていた物もいつの間にか消えていた。


“おのれぇ……おのれぇ……数百年、この地に暮らす妾をようも、ようも……”


 床に転がった女は両目から血を流しながら空洞となった暗い目で悠を睨んだ。


「先生ぇ……何がどうなったんですかぁ?」


 リンが目を眇めながら悠に歩みより尋ねる。

 握った右手を見つめた悠は不思議そうに首を傾げた。


「それが……髪の毛が迫って来たから正面にあった顔を思い切り殴ったんだ。そしたら光が溢れて……」

「えぇ……女子の顔をグーパンしたんですかぁ……最低ぇ……」

「最低って……君も殺されそうになってたのに……」

“おのれぇ……おのれぇ……”


 悠は徐々に消えつつある女に歩み寄ると、膝を突き語り掛けた。


「君にも君の言い分があるんだろうけど、侵入者を問答無用で殺すような存在は看過できない」

“ここは妾の館ぞ……わらわと主さまの……主さま……ずっと…お待ちして……”


 女は誰かを求める様に手を伸ばした。

 悠は思わずその手を握る。


“ああ……やっと迎えに来てくれたのですね……主さま……ミツはずっと……ぬし…さまを”


 歪んでいた女の顔が穏やかで優しい物に変わる。

 悠の掴んだ手から光が漏れ出し、浄化される様にミツと名乗った女は消えた。


「……消えた。先生、霊能力は無いって言ってたのに」

「僕にも何が何だかサッパリだ……でもあの娘は成仏出来たみたいで良かったよ」


 そう言うと悠は少し悲しそうに笑った。

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