第3話 取説はちゃんと読もう

 それから何度も死ぬうちにこの女性の名前がひとみで、自分はしょうという源氏名のホストだという事が分かった。

 彼女は三十二歳のOL、どうやら翔の勤めるホストクラブに通う内、翔(この場合自分だが)に本気になってしまったようだ。


 ゆうは瞳に殺される事でかなりナーバスになっていた。

 今までは銃や拳法使いだった為、比較的楽に死ねていた。

 だが、瞳は非力な女性であり、死ぬ為には何度も刃を受けないとならない。


 その痛みに耐えるのは正直今までの二つより辛かった。


「瞳、僕はホストだ。幾ら君を愛していても仕事として別の女性の相手をしないといけない」

「嘘よ!! どうせ私もお金の為にいる大勢の中の一人なんでしょう!?」


「……違うよ。本当は君だけを見ていたい。でも僕は何の才能も無い駄目な男だ……出来る事といえば女性に奉仕する事だけ……誓うよ、君を幸せに出来るだけのお金が貯まったらホストからはキッパリと足を洗う」


 瞳は一旦手にした包丁を降ろし潤んだ目でこちらを見た。

 焦ってはいけない。

 ここで彼女に包丁を手放す様に促すと方便だと思われ刺されてしまう。


「ほんとう……?」

「……ああ」


 悠は彼女の目を真っすぐに見つめた。

 本来であれば包丁に注意を向けたい所だが、目を逸らせばそこで終わりだ。


「信じていいのね?」

「勿論だ。この世で僕が愛しているのは君一人だけだよ」

「ああ、翔……夢みたい……でも駄目なの、ねぇお願いよ。愛しているなら一緒に死んでくれない?」

「えっ? 何で……?」


 悠は上手く行っていた事が振り出しに戻った事でかなり慌ててしまった。


「私ね、店に通う為に会社のお金横領しちゃったの……」

「横領……ちなみにいかほど……?」

「二千万……」

「にっ、二千万!?」


 絶句している悠に瞳は続ける。


「捕まったら長い間刑務所に入る事になるわ……そんな事してたら私おばさんになっちゃう。ねぇだから一緒に」


 どうする、どうする、どうする!?

 考えろ考えるんだ悠!


「……待つよ」

「待つ……? だって……」

「面会に行くよ。それで君が罪を償ったら一緒に暮らそう。丁度いいじゃないか、君が罪を償っている間に僕は一生懸命働いてお金を作る。そのお金で二人で幸せになろう」


「翔……」


 悠は一瞬、このその場しのぎの言葉が自分の意識が去った後、どういう結果をもたらすか考えた。

 きっと自分が入っている翔という男は刑務所に入った瞳を忘れ、またホストとして荒稼ぎするのだろう。


 それでは余りにこの瞳という女性が悲しすぎる。


「……やっぱり駄目だ」

「えっ……」

「瞳、横領は会社にバレてはいないの?」

「う、うん、多分……」

「よし……」


 瞳は突然先ほどまでと態度の変わった翔(悠)に茫然としている。

 そんな彼女を置いて悠は部屋の中を家探しし始めた。


「翔……何を?」


 翔はかなりハイクラスなマンションに暮らしている。

 ホストとしての人気も高いようだ。


 ならきっと……。


 悠はやがて目的の物を探しあてた。

 通帳と印鑑。

 それは金庫などには入っておらず、無造作に黒いチェストの引き出しにしまわれていた。

 額を確認すると三千万程入っている。


「これを使ってお金を返すんだ。横領出来たんだからコッソリ返す事も出来るだろう?」

「翔……いいの?」

「いいよ。君を幸せにする為に貯めたお金だもの」


 瞳の手から包丁がスルリと抜け落ち渇いた音を立てた。


「いいかい、バレないよう慎重にやるんだ。大丈夫、君なら出来る。僕と心中しようとした勇気があるんだもの」

「翔……なんだかいつもの貴方じゃないみたい……」

「そうかも……しれないね……」


 悠はそう言うと少し悲し気に笑った。

 多分、生き残ればまた場面が変わる筈だ。

 そうなれば瞳と会う事は二度と無いだろう。


 悠は覚悟を決めて先ほどから考えていた言葉を瞳に告げる。


「……瞳、僕たち別れよう」

「どうして!? 愛してるって言ったじゃない!!」


「愛してるさ!! でも二千万は大金だ。バレていないと思っていても会社は動いているかもしれない。君はなるべく普通の生活を送った方がいい。……そうだ、恋人を作るといい、恋人がいればホストクラブに通っていたのも、寂しさからだと思ってもらえる筈さ」


「そんな……私は翔がいれば……」


「瞳……僕も辛いんだ。でももし僕たちが関係を続けていれば、お金の事を勘ぐる者もいるかもしれない……君が捕まるような事になれば僕は……生きていけない……」

「ああ、翔……」


 瞳は悠に駆け寄ると抱きついて彼に唇を寄せた。

 悠にとっては初めてのキスだったが、その味は漫画で読んだ様な甘酸っぱい物ではなく酷く苦い物だった。


 上手く行くかは分からないが、これで彼女が翔を忘れ別の人と幸せになってくれれば……。


 そう思い瞳のメイクの崩れた顔を見ていた悠の視界は再び切り替わった。

 彼の前には囲炉裏の火が揺れ、その揺らめく炎の向こうにほうかむりをした、ザ・村人という感じの男達が並んでいた。


「吾作どん、あんただけが頼りなんじゃ。あの熊、月喰らいを退治してくれ。頼む、この通りじゃ」


 ザ・村人達はそう言うと悠に向かって頭を下げた。


「くっ、熊……マジかぁ……せめて人にしておくれよぉ……」

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