第1話-③
それからさらに一年。二年と月日は流れた。カレンが来ることはただの一度もなかった。
きっともう、このまま来ることはないのだろうな。
あの日、こうなるとわかっていたはずなのに、伝えることができなかった。
“『俺はもう、怒ってないよ』”
“『だからもう、いいんだよ』”
たったこれだけのことが言えなかった。
そのことを毎日毎日毎日、明くる日も毎日。後悔し続けた。
でもふいに、それはなんの前触れもなく訪れた──。
「マーくん! マァーくーん!」
その声に俺は一瞬で目を覚ました。
そして、大急ぎで小窓を開けると、居た。
何年ぶりかわからないカレンの姿があった──。
少し、大人びたかな?
そんなことを思ってすぐに、異変に気付いた。
笑ってなかったんだ。
さらにトロフィーや賞状の類も持っていなかった。
手には一枚の紙切れ。
嫌な予感がした。
「じゃじゃーん! 地下迷宮探索隊のリーダーに選抜されてしまいました! えへん!」
「へぇ、すげー……じゃ……ん」
地下迷宮という言葉に嫌な予感は更に増した。
子供の頃、悪さをすると大人たちは口節にこう言った「地下迷宮に連れて行っちゃうぞ!」子供ながらに恐怖したのを覚えている。
つまりはそういう場所。
詳しいことはわからない。……でも、普通の人間からしたら恐ろしい場所であることは確かだった。
そんな嫌な予感は的中してしまう。
普段ならすぐに“帰る”と言うカレンが、帰らずにこんなことを言ってきたんだ。
「それでね、今日は話があるんだ。最後に」
カレンの口から飛び出した“最後“という言葉にいても立ってもいられなくなった。
「今、扉開けるからそこで待ってろ!!」
俺は大急ぎで階段を駆け下りた。
一段目から踏み外しそのまま転げ落ちるだけだった。でも、痛がってるわけにはいかない。
そうして、勢いよく玄関を開け、カレンが話すよりも先に言葉をぶつけた。
「ハーブティーがあるんだ! 一杯、飲んでけよ!」
「……うん!」
カレンは驚いたような表情を見せたけど、ひと言明るく返事をしてくれた。
もう迷わない。ずっと言えなかった言葉を、今日──。
そうして実に、十年ぶりにカレンは俺の家へと上がった。
とりあえずダイニングテーブルに座ってもらい、俺はハーブティーを淹れた。震える手を必死に抑えながら──。
カレンの席にティーカップを置き、俺は前の椅子に座った。
ここまで会話はひとつも無かった。
覚悟を決めて家へ上げたはずなのに、十年という時間の重さを肌で感じた。
そんな沈黙の中、口を開いたのはカレンだった。少し気まずそうにしながらも、意を決したように──。
「えっとね。今日はマーくんにお別れを言いに来ました。それでね──」
最も聞きたくない言葉がカレンの口から出てしまった。
なんとなく、そんな気はしていたんだ。
だから俺はカレンの言葉を遮るように、言葉をぶつけた
「お別れってなんだよ。何かあったらまた報告しに来いよ。……今まで通りに来ればいいだろ」
こんなことしか言えない自分が、情けなくなった。
そうじゃないだろ、俺……。
「あのね。もう、ここには報告に来れないんだ。地下迷宮の探索でね、人類未到達エリアに挑戦するの。いけるところまで行くんだって。皆、張り切ってる。とっても名誉あることだから」
「そう、なのか?」
聞き返してはみたけど、農民の俺には何がすごいのかわからなかった。
「うん。だから、どうしてもね、あの日のことを許してもらいたくて。わたし、このままじゃ死んでも死にきれなくて。嘘でもいいの。だから最後に、お願い……。自分勝手なこと言ってるのは百も承知。それでも……マーくん……お願い……」
今にも泣き出しそうな、儚過ぎる笑顔に怒りを覚えた。
トロフィーも賞状も記念品も勲章も称号もたくさんもらったのに、俺の家にこんなにもたくさんあるのに……最後は名誉のために死ぬのか?
俺は農民だしそっちの世界のことはわからない。わからないからこそ、腹が立つ。
そうして思ってしまったんだ。
嫌だって。こんな別れ方、したくないって。
あの日、俺はカレンに絶縁を突きつけた。
嫌だという彼女に塩まで投げつけて追い出した。
怒鳴り散らして、酷いこともたくさん言った。
いったい俺に何を言う資格があるのか。
“もう怒ってないから大丈夫だよ。地下迷宮の探索、頑張って来いよ!”って送り出してやるしかないだろ。言えよ、俺。早く……言ってやれよ……。
そこまでわかっているのに、
目の前の現実と、馳せる気持ちがなにひとつ調和を果たせずにいた。
気付いたときには、どうしようもない自分勝手なことを言っていた。
「嫌だ。俺はお前を絶対に許さない」
その言葉を聞いてカレンは酷く肩を落とした。
「だよね。そう、だよね……ごめんね」
「謝ったって絶対に許さないからな」
「ごめん……ごめんねマーくん」
「謝るくらいなら行くな! そんなところ行くな!! ずっとここに居ればいいだろ!!」
もうめちゃくちゃだった。
あれから十年の月日が流れていた──。
ずっと言いたかった言葉は、どうしようもなく間違ったタイミングで、間違った言葉で、救いようもなく自分勝手に飛び出していった。
「ごめん……ごめんね……まーく……ん?」
カレンは言葉の意味がわからなかったのか、少し考えるような素振りをすると、「…………え?」と言って俺の顔を見てきた。
もう、どうにでもなれと思った。
一度走り出した気持ちは、たとえ間違いだとわかっていても止めることなんてできない。
俺はお前と、さよならなんてしたくない──。
「行くな!! 地下迷宮だかなんだか知らないが、そんなところに行ったら……俺は……お前を一生許さない!! ずっと俺の側に居ろ!!」
カレンは自らの口を両手で押さえると、信じられないと言った表情でぽろぽろと涙を流し始めた。
その瞬間、やってしまったと思った。
それは初めてみるカレンの涙だった。
どうして俺はこうも、間違えてしまうのか。
十年──。十年だ。時間はたっぷりあったというのに、最悪な形でカレンを傷付けてしまった。
もう怒っていないと伝えれば良かっただけなのに。
彼女の人生を真っ向から否定するような最悪なことを言ってしまった。
今や騎士団長で剣聖の彼女に、農民である俺がいったい何を言い出しているのか。
どうして俺は、笑顔で送り出すだけの簡単なことができないんだよ……。
そんな、後悔の渦にのまれていると、
カレンから思いも寄らない言葉が飛び出した。
「わかった」
その言葉にドクンと鼓動が激しく揺れた。
どちらとも取れるその一言に願ってしまった。
願った先にあるのが、たとえ間違いだとしても願わずにはいられなかった。
だけどその願いは、思うよりも先に叶っていた。
ダイニングテーブルを挟んで座っていたはずのカレンが、俺の膝の上に乗っかっていたんだ。
それはまるで、お姫様抱っこのような体勢だった──。
空間転移なのか間合いを詰めただけなのかはわからない。
確かに感じるこの温かさがカレンの答えだった。
「ぎゅってして。どこにも行かないから、今だけぎゅってして。そうしたらわたし、全部捨てられるから」
俺は迷わず強く抱きしめた。“全部捨てる”という言葉の重みがどれほどのものなのかはわからない。
もう、そんなことはどうでも良かった──。
「どこにも行くな。全部捨てちまえ。俺の側から離れるな!!」
「うん。行かない。ここに居る。……マーくん。マーくんだ。あったかい」
そう言うとぎゅうっとカレンも俺のことを抱きしめてきた。
「ぎゅう……ぎゅう。ぎゅー!!」と、言いながら。
こんなふうにぎゅうぎゅう言ってくる騎士団長様がどこに居るってんだ。
ずっと自分が農民であることを、どこか引け目に感じていた。
でも俺にとってこいつは、剣聖でもなければ騎士団長様でもない。ただの幼馴染なんだ。大切で大好きな、幼馴染なんだよ。
だから俺も抱きしめる。
もっともっと強く抱きしめる。
十年という長い時間を埋めるように──。
こんなにも力強く誰かを抱きしめたことはなかった。
華奢で細くて、強く抱きしめたら壊れてしまうのではないかと思うような体つきだった。
それでも彼女は剣聖で、魔法に長ける才女。
そんな俺の心配などものともしない。
むしろ逆に、俺の息の根が今にも止まりそうだった。
ぶっちゃけ苦しい。死ぬかもしれない。でも、それ以上に心地がいい──。
だが、それと同時に──。
心にひとつの枷が嵌められた。
俺は二度とあの日のことを許せない。
これでもう、絶対に許せなくなった。
許してしまったら言い訳がきかないのだから。
でも、だけど。
十年ぶりに見た彼女のかつてと変わらぬ本物の笑顔は俺の心を温めるに足るもので、
十年という時間を一瞬で埋めてくれた。
そうして──。
「お前の罪は消えない。でも、こうやって俺の側に居れば、いつか許してやる日が来るかもしれない。だから……ここから離れるな!! ずっと俺の側に居ろ!! わかったか!!」
「はい。マーくんの側にずっと居ます!」
告白というにはあまりにも粗末なもので、それを成しているのかさえわからない。
それでも、今──。
俺とカレンは十年の時を経て、結ばれたような、そんな気がした。
たとえ間違いだとしても、
農民の俺には手に余ることだとしても、
もう二度と、お前を離さない──。
◇ ◇
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