第3話 意外な一面
次の日、俺は駅の近くにある噴水の前で二人を待っていた。約束の時間の午前10時までもう少しだ。
「うー、さぶ……」
さっき買った缶コーヒーも飲み干してしまい、暖を取る物を失くしてしまった俺は、手をすり合わせながら二人の到着を待つ。時間まであと5分になったとき、駅の中から小走りでこっちに向かってくる人影が見えた。小さい体をいっぱいに使って、駅からあふれてくる人の波をかき分けるように向かってくる。
「すいませーん、お待たせしました」
「ああ、浦本さん。おはようございます」
浦本は俺の前まで来ると、小さくお辞儀をする。白いスカートにウール生地の桃色カーディガン。首にまいたチェック模様のマフラーが楽しそうに揺れている。ふわふわとした雰囲気とその身長の低さが相まって、小動物を連想させる。こうして見ると本当に小さい(俺が言うのもなんだが……)。俺が少し見下げないといけないのだから、150センチもないのかもしれない。
「今日は一段と寒いですね」
浦本の口から白い息がもれる。
「そうですね。そういえば、早川さんは?」
「え? 薫ちゃんならいますけど」
「へ?」
「あたしがどうしたって?」
声が聞こえてきたのは浦本の背後、というか頭上からだった。下げていた視線をゆっくりと上に移す。ジーンズに黒いジャケットを着た、ラフな服装の早川が立っていた。
「よ、おはよ」
「お、おはようございます……」
……で、でかい。いや、大柄とかいうのではなく、ただ単に身長が高いという意味でだ。全体的にはすらっとしていて、まるで雑誌のモデルのような体型をしている。そういえば、昨日は座っている姿しか見ていなかったからな。まさかこんな長身だったとは。それに、前に浦本がいるせいか、よりその高さが強調されて見える。
「ん、なんかあたしの顔についてるか?」
「いや、背が高いなぁ……と」
俺は思わず、思っていたことを口にしてしまう。早川は少し困った顔をした後、ため息混じりに話した。
「あぁー……初めて会ったヤツはみんなそう言うんだ」
「薫ちゃん、背も高いけど、それ以上に大人っぽいから、私たち二人で歩いてるとたまに親子に間違われたりするんですよ」
浦本が口に手をあて、くすくすと笑う。俺から言わせてもらうと、あなた自身にも原因があると思うんですが。その童顔とか、身長とか――。
いったい何センチあるのだろう、と疑問を持ったが、それをぐっとこらえて飲み込んだ。さっきの早川の困った表情を思い出したからだ。きっと身長のことをコンプレックスに思っている部分もあるのだろう。それは俺も同じことだ。だから、人にとやかく言われるのは快いものではない。それに、事実を知ってしまえば俺が落ち込む可能性がある。……いや、というか落ち込む。だから、ここは聞かないことにしよう。
そう勝手に決意して、俺たちは歩き出した。
◆
「あ! これなんかどうですか?」
「んー、ちょっと俺には派手すぎじゃないですか?」
そう言って、俺は浦本が選んだ真っ赤なフレームを元の机に置いた。
駅前からメガネ屋までは歩いて10分とかからなかった。視力検査を済ませ、今はフレームを選んでいるのだが、その役目をなぜか浦本が買って出ていた。別に俺は前と同じタイプのものでも良かったが、浦本の行為を無駄にすることもできない。それに、今この状況を少し楽しんでいる自分もいた。
「じゃあ、これは?」
次に持ってきたのは目がちかちかするような黄色いフレームだった。
「これもちょっと……」
俺は特にメガネにこだわりはないが、さすがに赤や黄色といった派手なものは選択肢にはない。しかし、浦本のチョイスは俺のない選択肢をピンポイントに突いてくるものばかりだった。浦本自身は、嬉しそうに次々とフレームを選んでいるが、これは頃合をみて俺が決めたほうがいいだろう。そのうち、店の隅にある虹色しましまフレームを持ってきかねない。
「なあ、これなんかどうだ?」
浦本が今度は金縁のフレームに手をかけたとき、後ろのほうで早川の声がした。手には黒縁のフレームを持っている。
「ほら」
そう言って俺にそれを手渡す。なるほど。前のものとほぼ同じタイプだ。これなら、違和感はなくかけられる。なにより、着せ替え人形ならぬ、『メガネ替え人形』から脱出しなくてはいけない。
「さっき店員に聞いたら、在庫が余ってるし、今日は人も少ないから一時間もあればできるってさ。それに値段も安いし」
選んだ理由は主に最後の部分だろうか。とはいえ、俺の決心は固まっていた。
「じゃあ、これにしようかな」
それを聞いて、隣の浦本は少し不満そうだったが、俺がお礼を言うと、すぐに笑顔に戻った。
◆
メガネができるまでの間、俺たちは近くの喫茶店で待つことにした。俺と早川はコーヒー、浦本はオレンジジュースを飲みながら、出身はどこだとか、大学でどんなことやってるだとか、そんな他愛もない話をしていた。といっても、主に話していたのは俺と浦本で、早川の方は話に適当に相槌を打ったり、質問されたことに義務的に話す、といった感じで、あとはつまらなそうに窓の外を眺めていた。
「ちょっとあたしトイレ行ってくる」
そう言って早川が立ち上がる。その背中を見ながら俺は小声で浦本に尋ねた。
「早川さん、もしかして機嫌悪いんですか?」
「え? どうしてです?」
「いや、なんか雰囲気がそんな感じしてたんで……」
それを聞いて浦本は不思議そうに首を傾げたが、すぐに笑顔に戻り、駅で見せたように手を口に当てて微笑む。
「きっと緊張してるんだと思います」
「緊張、ですか?」
それはあまりにも予想外の答えだった。
「はい。だって、薫ちゃんのコーヒーまだ残ってるでしょ?」
そう言って浦本は自分の隣にあるコーヒーカップを指差した。中にはまだ並々と黒い液体が注がれている。時間的にすっかり冷めてしまっているが。
「緊張すると周りのことに手がつけられなくなるの、薫ちゃんの癖なんです」
そう言ってまた、浦本は口に手を当てくすくすと笑う。多分これが浦本の癖なのだろう。
「薫ちゃん、ああ見えてすっごい人見知りで、不器用なんです。だからたまに人から誤解されることもあって……。でも、根はすっごく優しい子なんですよ。昨日だって、藤川さんに怪我をさせちゃったこととか、メガネを壊しちゃったこととか、本当に落ちこんでたんですから」
浦本は話の最後に「あ、これは薫ちゃんには内緒で」と付け加えた。
俺は殴られた被害者の立場だから、今の話がどうも頭の中でリンクしなかったし、あの不機嫌そうな表情を拭いきれなかったが、それをこの場で言うのはお門違いだろう。まあ、早川と付き合いの長そうな浦本が言うのだ、今はそれを信じよう。
「それに、最近だって人見知りを克服しようってがんばってるところなんですよ」
「へぇ、なにか特訓してるんですか?」
「えっとですね――」
そう言いかけた時、早川がテーブルに戻ってくる姿が見えた。浦本は慌ててジュースを飲むふりをして見せる。
「ん、どうした?」
「んーん、なんでもないよ。あ、もうこんな時間! そろそろメガネできてるころですね藤川さん」
「え? ああ! そうですね」
浦本が立ち上がる。それにつられるように俺も席を立った。すぐ横では早川が不思議そうに浦本の顔を見ていたが、俺たちの後を追うように会計に向かった。
◆
「それじゃあ、今日はありがとうございました」
「いえ、もともと私たちが悪かったわけですし。それよりも、お茶、おごってもらってよかったんですか?」
「わざわざ時間作ってくれたんですから、あれくらいのことはさせてください」
俺たちは待ち合わせ場所だった噴水前に来ていた。つい二時間ほど前にここにいたはずなのに、風景が違って見えるのは、新しく作ったメガネのせいだろう。ものがハッキリと見えるのはこんなに素晴らしいことだったのかと、俺は感心した。浦本の童顔はより鮮明になり、幼さが際立って映る。リスとかハムスターとか、そういった小動物が思い浮かぶ。早川も早川で、こうして見ると、人の顔に鉄拳制裁をお見舞いするようにはとても見えない。浦本とは対照的に、俗に言う美人系に分類されるのだろう。ショートの黒髪が印象的だった。
「そろそろ電車が来る頃ですね」
日が昇り始め、気温が上がったからか、浦本はマフラーを外していた。隣の早川は相変わらずジャケットのポケットに手をつっこんで不機嫌そうだったが、浦本の話を聞いていた俺には少し印象が違って映った。
「じゃあ、私たちはこれで」
「じゃあね」
二人がまた人の波のなかに消えてゆく。それを俺は手を振りながら見送っていた。二人が完全に視界から消えた時、俺の心の中ですっと寂しさがこみ上げてきた。
きっと、もう会うこともないのだろう――。
「ま、いっか」
そう俺は呟いて、噴水の縁に腰を下ろした。
と、急にポケットの中の携帯が震えだす。開いてみると、直弥からの着信だった。
「もしもし?」
『お、大樹、お前今日講義なかったよな?』
「ん、ないけど……」
『よかった。じゃあ、午後から行くぞ』
「行くってどこに?」
『そりゃあもちろん――』
思えばこの電話が、俺の人生の転機の始まりだった。
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