第2話
「さて東門に何があるのやら……」
元勇者、現在反逆者のデニスは騎士団の包囲を突破して兵士たちの流れを東に遡(さかのぼ)り、急いでいた。
本来なら西門を除くどちら側にも外へ続く門はあったが、あえて東門に向かっているのはかつての怨敵である魔王の遺言のせいだった。
『我が娘、エメを頼れ。東の門にいる……』
最後の意味深な言葉は、刃を交えたデニスにとって嘘だと思えなかった。
堂々とした立ち振る舞い、危機に瀕しながらも無駄なあがきのない覚悟の在り方、部下の不意打ちを許さぬ誠実さ。どれもデニスを罠にはめようなどという意地の悪さを感じえない立派な立ち姿だったからだ。
「せめてもう数日準備期間があればな……」
デニスとて馬鹿ではない、いつか国王が勇者という自分の功績と立場を嫌って何らかの刺客を送っている可能性は考えていた。しかし、早すぎる。
それに腹心と思っていたヨーゼの裏切り……いや、国王によるヨーゼへの手回しはデニスにとって唯一の誤算だった。
魔王討伐という名誉さえあれば、いくらでも討伐軍を自分の味方にできる。けれども魔王討伐を言いふらす前に、騎士団は勇者の反逆を周知させるつもりだろう。
そうなれば討伐軍を抱き込むのは難しい。例えデニス自身が魔王の止めを刺したと触れ回っても、討伐軍の中で混乱がうまれるだけだろう。
それにデニスは討伐軍に好かれているとは言えない。極力略奪を禁止し、細々とした補給線で兵士達を食いつながせ、ギリギリの心理状態で魔王城攻略を急がせたからだ。
節制とも理性的ともいえる軍隊への締め付けは、そのまま軍を指揮していた元勇者デニスへの不満、という反動になって降りかかってくるだろう。
「俺の計算なら味方と敵は2対8……勝ち目はないな」
デニスは悲観的な打算をしながらも、藁にも縋(すが)る思いでやっと東門の出入り口に到着した。
「うっ……」
デニスが見た東門は山となった魔族兵士の死体の山と、城内へ殺到する目をぎらつかせた兵士たちだ。
今回は魔王城攻略の士気を上げるために、城内での略奪を許可している。そのため彼らには敵兵士だけではなく財宝への欲求で頭がいっぱいになっているのだ。
「まずいな……」
優生の勢いをかい、更に略奪のため兵士たちの流入は止まらず、東門は渋滞したままだった。これでは脱出は困難だ。
「兵士たち! 勇者は我々討伐軍を裏切った! 奴を捕らえよ!」
デニスが迷っている中も、後ろからヨーゼと騎士団が迫ってくる。それに勇者の周りにいる兵士達も怪訝(けげん)な顔をしており、いつ襲い掛かってくるかもわからない状況だった。
「強引に行くしかないか……!」
デニスは覚悟を決めて槍と盾を構えた、その時だった。
「スモークメイズ!」
東門の片隅で小さな演唱が聞こえたかと思うと、デニスの周りに白い煙が立ち込める。それはデニスだけではなく、周りの兵士や後追いしていた騎士団たちさえ巻き込んだ。
「なんだこれは!」
誰の怒声か分からぬ状況では、デニスも守りを固めるしかない。この状況なら兵士も騎士団も混乱しているだろうが、あいにくデニスは方向感覚に自信がなかった。
「こちらです」
急にデニスの腕を掴む別の腕が現れたので、デニスはつい振り払おうとしてしまった。
「アタシは敵じゃないですよ。死にたくなかったら付いてくるです」
白い煙の中から黒いスーツの袖と華奢な手しか見えないが、敵意はないらしい。
それでも相手を疑うには十分すぎる状況だが、そうは言ってもいられないようだ。
「逃げるなデニス! この私の手で引導を渡してやる!」
ヨーゼの大剣による素振りらしき音がだんだんと近づいてくる。これはもう時間がないようだ。
「早くです!」
「ええい! はるか古(いにしえ)なる原神よ、我を助けたまえ!」
デニスは自身の信じる神に祈りを捧げながら自分に差し伸べられた手を握りしめる。すると腕は小さな力でデニスの身体を引っ張り出した。
「こっちです」
デニスは握りしめた滑らかな手の平から、自分を誘導しているのが女性だと分かった。そもそも誘導する声自体が女性らしい高音だった。
だがそれ以外は分からない。何せ煙はデニスが伸ばした自身の手の先すら見えず、一寸先は白雪の闇だったからだ。
ただ足音の反響音から、デニスは女性に小さな抜け道へと誘導されているのが分かった。
「せめてどこに行くか教えてくれないか? それともっとスピードを落としてくれ。こっちは少し先も見えないんだぞ」
「一秒の遅れは命に掛かわるです。生きたければ黙ってるです」
デニスは特徴的な口癖の女性の声とつないだ手を頼りに進み続ける。
しばらく走り続けると、ついにデニスたちは白い煙から抜け出した。
「まだ安全ではないです。走り続けた方がいいですね」
どうやら既に外へと抜け出しているらしく、デニスは土と草を踏む感覚を感じていた。
目の前には遠巻きの討伐軍が見え、後方では東門の喧騒(けんそう)が今でも聞こえていた。
「北の山道を抜けるですよ。体力は大丈夫です?」
「それなら心配ない。だがお前は……エメか?」
デニスは魔王が最後に残した言葉を思い出し、名を問いただした。
「知っているなら都合がいいですね。あんな奴でも気が利くようです」
そう語る女性は長身のデニスよりやや小さく、白い羊のような巻き毛の髪が見えていた。
ただしその髪には2本の黒い角が生えている。それに首筋からは女性の肌が病人のように青白い。その青白い肌は魔族の象徴だ。
身に着けているのは闇のように深い燕尾服に、鮮血めいた赤いネクタイ、更に身の潔白を示すような白い手袋を身に着けていた。
半分だけこちらに見せている顔には縁(ふち)の薄い眼鏡が見える。その顔は10人が10人とも美人と答えるような美形だった。
「アタシはエメ。様子についてはテレパシーで知っているです。初めまして、元勇者さん」
そして最も重要なのは、彼女の黒い瞳孔にはうっすら白い六芒星の印があった。
それはエメが魔族の中でも高位である、魔王の一族である証明だった。
「お前はなんだ? 俺を助けて何の得がある?」
「お礼の前に質問攻めは失礼ですよ。だけど応えるです」
エメは気を悪くしたような素っ気ない顔で質問に応じた。
「アタシは魔王の末っ子、エメ。アナタを助けたのはビジネスのためなのですよ」
「ビジネス? 俺に何を売りつけようっていうんだ?」
「簡単で、そして重要な物です。それはアナタの隠れ家、つまり」
エメはもったいぶった口調でデニスに告げた。
「私が売るのはダンジョン、それとその他です」
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