第67話 眠れぬ夜は呪いのせい(5)


 冨樫は美桜の手を引いて、無理やりあの死者たちの呪いや怨念の塊に触れさせようとする。

 人の顔が混ざり合って、歪んで、絡み合って大きくなった呪いの塊。


《人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し》


「やめて……!!」


(私が触れば、確かにこれは消えるかもしれない。でも——……)


 美桜は、この身勝手に自分の願いを叶えようとする男が許せなかった。

 命を奪うことになんの躊躇もない。

 自分で殺した、自分が殺して、増やし続けたものを消すために、この男が非道な手口をいくつも使ってきたのが、その塊の一部に指先が少し触れた瞬間にわかる。


 まるでその目で実際に見たように、殺された人たちの記憶が溢れるように美桜の中に流れ込んだ。


《やめて……!! 殺さないで……!!》

《苦しい、苦しい、どうして、どうしてこんなことに》

《誰もこない……こんなところで、どうして……私が————》

《いやだいやだいやだいやだ……死にたくない死にたくない……っ》

《死にたくない……助けてくれ————》

《誰か……! 誰か助けて!!》



 美桜は必死に抵抗したが、呪いを浄化することができるすごい力を持っていても、その肉体はまだ十代の少女だ。

 それも、他の同年代の子たちより背も低く体も細い。

 そんな非力な少女が、大人の男の力にかなうはずがない。


 美桜の手が、塊の中へズブズブと吸い込まれるように入っていく。


「すごい……君の力は本物だ。僕には触ることすらできないのに……————」


 冨樫はこれで、やっと呪いの声から解放されると思った。

 美桜が触れた場所は浄化され、穴が空いているのだろうと……

 しかし————


《人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し》


 声がさらに大きくなって行く。

 蟲によって制御しきれずになっていた声は、消えるどころか余計に大きく冨樫には聞こえる。


《呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる》

《許さない許さない許さない許さない絶対に許さない》


「な……なんだ? 一体どうして——————!? や、めろ……なんだ!? 何をしている!?」


 冨樫が呪いに空いた穴に感心している間に、美桜はもう片方の手で掴んでいた。

 蟲を……————冨樫の耳に、この声が聞こえないように制御してきた蟲を————


「消えるのは、こっちよ」


 爆ぜるように、手のひらサイズの蟲は消える。

 蟲によって音量が抑えられていた呪いの声が、冨樫の耳にダイレクトに響き渡る。

 掴んでいた美桜の手を放し、必死に両手で冨樫は耳を塞ぐ。

 塞いでも意味はないのに————


「一生苦しめばいい。あんたのせいで、こんなにも多くの命が苦しみながら死んでいったの。声を聞きなさい。これはみんな、あんたが犯した罪よ。この声は、あんたが自分で蒔いた種」

「……うるさいっ!! うるさい!!! うるさいっ!!」


 冨樫が両膝をついた隙に、美桜はもう一匹の……アリスの姿をしていた大きな蟲に触れようとする。

 だが、大きな蟲は抵抗する。

 冨樫の命令通り、美桜を殺そうと。

 何度も何度も、目くらましにしかならない呪いを吐き続ける。


「やめろ……!! アリス、そいつはもういい。この声を止めろ!! この声を……この声を止めてくれ!!!!」


 呪いの塊が、冨樫の体に覆い被さろうとしている。

 冨樫を守っていた蟲が消えたことで、邪魔者がいなくなり、呪いは冨樫に絡み付こうとしていた。


「そんなこと、させないわ。あんたを止める。そのために、私はここにいる————」


(そうだ……私は、このために生まれてきたんだ。どうして、忘れていたんだろう————……いや、これもまた運命さだめか)





 * * *




 ————バァァァァァァァン



「な、なんだ!?」


 何かが爆発するような音が二回聞こえた。

 二回目の方が、音は大きかった。


 伊織は驚いて、もう一度中へ入ろうと試みる。

 陸には自分が到着するまで動くなと言われたが、それでも何度も何度も中へ入ろうとした。


(あ……! 入れる!! 入れるぞ!!)


 まだ完全ではない美桜の言霊の効力はいつの間にかなくなっていたのだ。

 これでやっと中の様子がわかる、美桜を助けなければと陸が到着する直前で、伊織は中へ入った。



「美桜!! おい、大丈夫か!?」


 そうして、伊織が見たのは、神々しい光を放つ少女。

 冨樫の体は黒い塊にのみこまれ、もう彼を守っていた蟲はいなくなっていた。


「これは……一体どうなってるんだ? あの蟲、倒したのか?」

「……あぁ、消した」

「じゃぁ、えーと、これで解決なのか? このすごいのはまだ残ってるけど、放っておいていいのか?」

「……そうだな。これはこの男が犯した罪だ。永遠にこの闇の中で、眠れぬ夜を過ごすことになるだろう。神になろうなどと、愚かな人間のすることでしかない」


(え……?)


「み、美桜? お前、その口調……————」


 神々しい光を放つ少女は、どこからどう見ても美桜なのに、その口調、そして立ち振る舞いがまるで別人のように感じる伊織。


「あぁ、お前はこれに触れるなよ。呪われやすいのだから」


(なんだ……? どうなっている————!?)



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