第46話 月は見えずとも(5)


「黒い虫?」

「うん……蜘蛛に羽が生えたような……大きな蟲」

「……ただでさえ気持ち悪いのに、羽まで生えてるのかよ」


 美桜はベッドに横になったまま、ポツリポツリと何を見たのか伊織に伝え始めた。

 だが、残念なことに伊織は虫が超苦手だ。

 特に蜘蛛なんて見たら叫び出したくなるくらい。


 伊織はすでに薬の効果が切れて、陸についているその気持ちの悪い蟲の姿を直接見ることはできないため美桜の話から想像するしかないが、想像しただけでゾワッと鳥肌がたった。


「それも……大きいのよ。人間の手のひらくらい……」

「ひっ!」


 思わず変な声が出てしまう。


「……そんなの見たら、俺も気持ち悪すぎて失神するな」

「あれがなんなのか、考えてたの。どこかで見たことがあるなって……そしたら————……」

「そしたら?」


 美桜はその先を言わなかった。

 伊織に話してもいいのか、わからなかったからだ。


 伊織がどこまで美桜の過去について知っているかわからないが、美桜が芸能界から消えた理由が富樫にあることまでは知らないだろう。

 富樫が人殺しであること……それも、かなり多くの人間を殺めている可能性が高いことは、あの霊が見えていた美桜には明らかなのだが……見えない人間からしたら、子供の戯言たわごとでしかない。

 警察が占いなんてオカルトを信じて、捜査するわけもないし、美桜は散々な目にあったが、富樫はその後も順風満帆で今ではすっかりハリウッドで活躍する日本を代表する俳優になっている。


(いくら事実だとしても、きっと証拠も何もない……それに、もう二度とあの人には関わりたくない——)


「……言えないのか?」

「————もう、あのことは思い出したくないの。……だから、聞かないで。あの転校生とも、なるべく関わらない方がいいと思う」


(あの蟲が気になって他は見ていないけど、もしかしたらあの転校生も、人殺し……なのかもしれない)


「……あぁ、俺もあれは関わっちゃいけないやつだと思う。なんかムカつくし。でも……あいつ、どうしてお前の名前知ってたんだ? 知り合いなのか?」

「それは……私も知らない。あんなのが憑いてるなら、印象に残ってるはずだけど…………」


 富樫と同じ蟲が憑いている同い年の男なんて、美桜は出会ったことがない。

 もしも以前に会っていたなら、覚えているはずだ。

 小日向陸という名前にも、全く聞き覚えがなかった。


 中学は女子校だったし、小学校は生徒の数が少ない学校だった為、みんなの顔と名前を美桜は覚えている。

 親戚にも、小日向という名前の人はいないはずだ。


(どうして、私のこと知ってるんだろう————)



 * * *



 その日の夜、とある神社にて白いパーカーのフードをかぶった少年は、賽銭箱の上に腰掛けながら、鼻歌を歌っていた。


「陸様、機嫌がよろしいようですね。どうかされましたか?」

「あーわかる? いいことがあってね」


 黒服の男に向かって、陸は嬉しそうに言った。


「ミオちゃんに会えたんだ。あれはやっぱり本物だよ——僕と同じ、こちら側の人間だ」

「それは良かったですね……」

「まぁ、余計なおまけもついてきちゃったけど」

「余計なおまけ……?」

「ほら、月島家の長男……呪いの依頼が本家に来てただろ?」

「……あぁ、月島伊織ですね。ちょうどその件でお話があったのです」


 黒服の男は、懐から一枚の紙を取り出す。

 陸はそれを受け取ると、嬉しそうな表情から一変不機嫌そうに口を尖らせた。


「また失敗したの? ほんと、使えないね本家の奴らは」

「ええ、それで陸様に協力していただきたいと。ちょうど、月島学園に転入なさいましたし……」

「ふーん……まぁ、いいけど。僕の方法でやるから、余計な手出しはしないように言っておいて。もしも僕の邪魔をしたら————あいつらみーんな殺しちゃうからね」


 一見女の子にも見える可愛らしい顔つきで、恐ろしいことを口にする主人に、黒服の男はゾッとしながら深々と一礼する。


「……かしこまりました」


 この男にも、少しは霊感がある。

 だからこうして、おとなしく陸に仕えているのだ。

 下手に機嫌を損ねたら本当に殺されると、知っているから————





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