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喫茶店のメニュー表を見るまで30分かかった。中にある絢爛なケーキや珈琲の中で、判断力を失っていく。後先考えたら安い飲み物だけでいいのに、プライドや喜びが邪魔をしている。
今日は優と出かけていた。片目を隠した彼は、長袖の服を着込んでいる。フリルの着いた衣装は、日に日に豪華になっていく。優の指示で喫茶店に集まっている。
「この店ってこんなに高かったんだ」
優に格好のつかないところを見せたくない。いや、もう出会いから印象は悪かった。それこそ兄の威厳なんて微塵もない。だが、ケーキを奢りたかった。
「ほんとにココで良かったの」
「もう良いんですよ。ここに何の未練もないです」
父親と女装した彼が遭遇する予定だった。紡という部外者が来てしまったと思うのは、自意識過剰に入るか。せめて河辺家が女装した彼の組み合わせではないか。
「ねえ、これみてください」
袖をまくり、髪の毛をかきあげる優。隠されていた腕下や目横に、青い痣が発生していた。わざと化粧をしていないで見せびらかす。痛々しい傷が哀しい流れを物語る。
「父がやったんです」
彼は、自分の親と外見のことで話した。自分の好きな趣味のこと。母親や姉が格好を考えているのか。自分の立場と学校との関係。
「父は女装を見た瞬間に、車へ押し込めました。それだけで答え分かってますよね」
「そうか……」
拒絶は青く形となり、彼に痛々しい跡を残した。青い痣が大黒柱の答えだ。
「条件を出してきました。女装を許す代わりに学校に行けって」
「……」
流石は、会社の重役を担ってますよね。力なく笑う彼は置かれている状況を遠くに収めた。
「ちょっとは許してくれると思ってた」
彼のやり場のない瞳が揺れている。その揺れ方に、利一のやり取りを思い出す。彼は退学しようと提案してきた。将来に具体性なく、一緒に堕落していく。自分が何を言ってきたのか、やっと分かってきた。
「あれ、紡さん。何かありました?」
「おまたせしました。注文の品です」
店員の手がテーブルの上に伸びていき、珈琲や商品が並んでいく。その奥で、優が俺を見つめている。
「どうして、そう思うの?」
「いつもなら『やめた方がいい』って言うじゃないですか?」
カップを持ち上げ、啜ってみる。苦味が入り込み、珈琲を一口でやめた。ミルクをつまんで、珈琲のなかに入れる。混ざる様子を追っていたら、優が話し始めた。
「紡さんの友達ですから分かります。ほかの友達と過ごした日付は少ないと思いますが、彼らより密だったと思います」
「学校を行かなくていいと言ったのは、行って辛い思いをするぐらいなら逃げた方がいいと思ってるから。あと、堕落して欲しかった」
「最初にも聞きましたよ」
「でも、今は違う。俺は優の女装を見てきたから分かる。可愛いを無くさないために努力してるところとか。出かける時に化粧直してるし、服も手入れしてる。均等になってほしくないと思ってる」
「よく見てますね」
「優と俺は色々あったから」
ふと顔が降りていた。携帯をいじってるのかと思ったが、前髪を片指で撫でている。
「学校は、可愛い自分になれないよ」
「優は可愛いよ。俺なら知ってる」
「うぇあ。あ、はい……あ、ありがとうございます……? ありがとうございますですね」
頭がお湯のように暑い。興味本位で茹でた鍋に突っ込んだことあるが、同じだ。俺は恥ずかしい言葉を発してしまった。
「学校は均等にしてくるじゃないですか。俺はいつか、自分の女装を否定するようになるんじゃないかって、怖いんです。やっと、見つけた自分なのに」
「染まらないように、互いを覚えようよ」
優は親に認められるために、自分の個性を人質に取られている。気休めの同意が正解じゃない。彼を介して、少しだけ歩み寄れた気がした。人に対して。
「俺は女装した優を覚えている。否定される場所に行くなら、俺は肯定するよ。可愛いよ、君は」
結局は学校に行く必要がある。その当たり前から逃げることなんてできなかった。優は女装で自分を知っていく。俺は引きこもって何を得たのだろう。人間関係が綻びて失った。
いい事なんて一個もない。ただ、学校に行っても自分をすり減らした。
「学校に行っても、お互い話しましょうね」
肘を立て、小指を出してきた。彼の意図した通り、似た動きをして、手を出す。指切りげんまんをする。
「ああ。俺は暇だし相手になるよ」
「約束ですよ」
『約束だから』
彼のふざけたようで真摯な願いが、昔に破った約束を思い出す。新しい約束が捨てたはずのことを拾い上げてしまった。俺が最低な人間だと再確認させられる。どうしたら正解だったんだろうなんて、今にすると傲慢だ。
「そうですね。学校の中に居るときは、紡ぐさんのセリフを思い出すかもしれないです」
▽
途中に飲料を購入した。小銭を落として地面を這い蹲る。公園の地面は、雨のぬかるみを草の合間に隠してるから、右足で踏んでしまう。あれから運がついていない。あるいは動揺して、失態を晒した。
「はあ……」
帰宅し、玄関の鍵を回す。俺は足の指を玄関でもんでいた。すると、リビングから姉の声がする。
「ねえ聞いたー?」
頭の中で携帯ゲームのキャラを想起する。彼らは俺に言い寄って手篭めにしようとした。非現実な彼らが嫌な関わりを遠ざける。
「ねえ、返事しなって」
「何だよ」
「聞こえてんじゃん。無視するなよ」
鞄を雑に肩から離し、床に押し付ける。
「早く言えよ」
「婆ちゃんが急変したらしいよ」
腰が浮いた。壁に手をつけ、早歩きでリビングに進む。そして、姉の言葉を聞き返すことにした。
「ほんと?」
「さっき聞いた。ベットから転落したらしい。またレベル落ちるかもよ」
話したばかりだ。テレビに笑ったり、俺の事を否定もせず傾聴してくれた。婆ちゃんの人格がレベル付けされる。下がるという言葉に、良い意味は含まれていないだろう。
「もう先も長くないかもね」
「そんな事言うなよ! まったく見舞いに行かないくせに」
「今から行くからいいじゃん。用意しときな」
婆ちゃんの先が長くない。冗談でも聞きたくなかったし、現実でもその空気はある。婆ちゃん自身も悟ってるだろう。
「もうなんか、疲れたな……」
やがて母親が迎えに来る。2人で車に乗り、病院に向かった。婆ちゃんの親戚も集まってきてるはずだ。
俺は車に揺られながら、学校のことを考える。あそこは人を決めつける最悪なところだ。
『え、紡ぐってホモなの?』
心の形を決めつけてくる。
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