8

 ショッピングモールのゲーセンをうろついて、空が追い出すような黒さに染まっていた。互いにバスへ乗り込み、今日は現地で解散する。別々の道を進みながら、俺は過ぎ行く風景を眺めた。


 治安の悪い通りにバスが付く。乗り込む人たちは疲弊した面で並んでいた。その一部になる空想して気分を害する。窓に逃げ場を求め、彼がいた。



「利一……?」



 髪を染めた利一がいた。角張った顔にピンク髪で、行き交う人の波でひときわ目立っている。

 忍や河辺が彼の心配をしていた。確かに外見に思い切りが出ている。何か欠落したのか聞きたくなってしまう。俺は駆け出すようにバスを降りた。



「利一!」



 バスに降りて呼び止めた。彼が俺の声に察知し、顔だけ後ろを向く。



「おお、サボり魔じゃん」



 唐揚げを手づかみで食す。脂ぎった手で服の上から肩を叩いてきた。



「何。お前もソープに行くわけ?」

「は?  ソープ?」



 取り付く島もない刺々しさがなりを潜めている。今は、友達じゃなければ無視する怖さを纏っていた。



「冗談だよ。忍は元気にしてるか?」

「元気だけど」



 手を回し、両肩を掴まれた。彼の口からアキくんと同じ酒の匂いがする。自分の口臭を分かってないのか薄ら笑いを止めようとしない。



「イメチェン?」



 彼は目を上に動かし、自分の前髪を目線だけでなぞる。



「ああ。もう良いかなって」



 力を強め、俺を先に歩かせた。後ろから押されながら、ちょっと付き合えよと言う。



「え、何が?」

「まあイイじゃん。お前引きこもりだから暇だろ」

「いや俺だってやることが」

「いいから」



 この通りは風俗や飲み屋と大人の夜遊びがひしめき合う。皆は自分の欲と真剣だから、子供が歩いても透明な壁として避けていく。親切な人はいるかもしれないが、余計に関わろうとしない。まだ自分には早い気がした。金さえあれば、という言葉が頭について満たされる。根に刻まれた教育的道徳が利一の強引さに拒絶した。



「おい、これ見てみろよ」



 後ろで彼は顎でさした。その先にチラシが縦に並んで配置されている雑誌置きだ。表紙は化粧を飾った女性達。匿名な人々に、笑顔を無償で提供していた。これはソープやヘルスの誘いだ。


 俺を手放し、その手でチラシを触る。ページをめくりながら、俺に広げた。



「な。どんな女がいい?」

「突然やめろよ。そういうの」

「言えよ。この女とかケツ最高じゃね。締まりよさそうじゃん」

「よせって」



 ページを挟み、中指と薬指をくっつけて上下に動かしている。第一関節が曲がるところで、アスファルトの横切る猫に意識を変えた。



「俺はオッパイがでかかったらいいな。パイズリされてえよ。お前ある?  俺はヤラセてえんだよ。女ができたら、起こすときにちんこなめさせるの。絶対気持ちいいよな」



 俺の反応が薄かったからか、その場で力を緩め、アスファルトの上にチラシを捨てた。その上に左足をつけ、連行していく。途中でコンビニの袋が風に遊ばれており、彼は狙い済まして腹を蹴る。中の空気が押し出され、くの字で曲がり、優雅に吐瀉物の床へ落下した。



「女の好み教えろよ。いいだろ男なんだから。シックスナインさせてえな。まんこって臭いのか確かめんの」

「もうやめろって」

「お前純情ぶるなよ。オナニーぐらいすんだろ」



 言いたくない。


 暴露話は人を選ぶ。刺激ある内情を拡散し、俺の境界線が侵される可能性がある。彼は広める信頼があった。シコってるか否かなんて話したくない。



「まあいいや。あそこ行こうぜ」



 次に指定した場所は居酒屋だった。


「1人で行けよ」


 手をつかまれ、服のシワが伸びる。


「お前もこい」


 抵抗したくても、力が強くて逃げられない。


「おい、やめろって!」


 痛がりながら来店し、親切な店員が座席を案内してくれる。不幸にも制服を着ていなかったから、止めてくれる人がいなかった。彼は前に行くよう促すから、硬い椅子の方に行き、利一は柔らかなソファに鞄を置く。



「お前さー。引きこもってる時って何してんの?」



 メニュー表をめくりながら話しかけてくる。お酒を吟味しながら、奢るよと財布を机に捨てた。しかし、考えてみる。変化を探る機会に恵まれた。



「別に。何もしてない」

「嘘つけよ。絶対なにかしてんだろ。ゲームとか?  でも、飽きるだろアレ」



 呼び鈴を押し、店員に生二つと注文した。特に注意冴えなく、裏方に去っていく。



「なら、別のゲームとか見つけたら良い。暇ならネットとか」

「2ちゃんか?」

「いや、知らないけどね」



 俺の生活を目くじら立ててくる。何を差し出せば満足するのだろうか。



「ゲーム貸してよ。データ消すからさ」

「それで、貸すわけないだろ」

「あはは」



 腹の底で別のことを考えているような、浮いた話が続く。算段めいたやり取りに胸焼けがした。



「利一、最近どうしたんだよ。忍が心配していたけど」

「ちょっと色々あんだよ」

「あいつに相談してやれよ」



 めくる手が止まり、深いため息を吐いた。



「忍ってウザイよな。俺が面倒見てやらなきゃみたいな空気出してるよな。俺とお前しか友達いないくせに」

「心配してくれてるんだろうが」


 彼は心配されたいような空気があった。なのに、言葉では拒否を続けている。まるで、駄々をこねる子供みたいだ。何をされたいのか、明確な表現が見つかってないような。


「いや、誰が心配してくれって言ったんだ。俺は俺の好きなように生きてんだよ」

「そうやって意地張るから敵しか作らないんだよ。お前は忍のことを友達が少ないと揶揄したが、お前こそ忍しか居ないじゃないか」


 店員がお酒と炭酸飲料を運んできた。目の前に置かれたドリンクは冷たい汗を流し、俺の顔を反射させる。多方面に移る自分は口が空いていた。


「学校来てないやつが偉そうに言うなよ。学校の内情なんて、いってるやつが話せるんだよ」


 彼は酒の縁を指でなぞった。取っ手を持ち上げ、口つける。喉が上下し、ジョッキを置く。1秒置いて、咳き込みする。


「何がいいんだこんなの」

「なんで頼んだ」

「壁川さんのインスタに上がってた。飲んだら気持ちがわかるかなって思った。でも、飲んだ方がわからなくなった」


 スマホを取りだし、彼女らの動画を見せる。多数の男女が、酒を囲んで踊ったり手を叩いていた。女性の乳房が右端に映り込んでいる。


「なあ、河辺って知ってる?」

「知ってる」

「エロいと思わない?」


 その瞬間、俺は身体が動いていた。席から立ち上がり、頭痛がする。怒りは目頭を熱くさせる。


「何の話してんだよ!」

「みんなやってることだよ。誰がエロいって話すだろ」


 ピンク髪がゆれ、彼の座席がみしっと鳴る。


「マジのやつ? 本命は抜けないって言うからな」

「そんな話してる場合じゃないだろ!」

「いや、俺はこういう話がしたかったよ」

「忍に説明するのかよ。居酒屋でエロ話をしたいから心配させましたって」

「自分のことを棚に上げるなよ。お前だって学校に来てないだろ」

「……」


 座らない俺を押し退けるように、身を乗り出し、机に両腕を乗せる。


「どの面下げて良い奴ぶってんだ。教室のヤツらは見分けつかないんだから。河辺とか俺たちのことなんて分からねえよ」

「わかったような口ぶりはやめろよ」

「じゃあ、お前は教室のヤツらがわかるのかよ。河辺と話したことあるのか? 上っ面じゃなくて価値観の掘り下げするようなものとか」


 教室の情景が浮かぶ。自分から立ち退いた社会の常識が、そこに箱詰めである。分かったことがない。


「内輪ネタで、楽しくないヤツらは追い出して、空回りだと勝手に決めつけて。そんなヤツらの気持ちなんて分からない。だから、紡だって同じ気持ちだろ。疲れるんだよ。学校とか」

「それは」足が痺れて立つのをやめる。「分かるけど」

「だよな。学校って嫌な奴しかいないのに何で行くんだよ」


 そして、片手でジョッキを持ち上げ、黄色い炭酸を飲みきった。空に鈍った天井の明かり。


「俺、学校辞めるんだ」

「は?」

「一緒にやめないか? 堕落しよう。違うことやるんだよ。だって、地獄だろ」

「そんな急に言われても無理だ。気持ちが追いつかない」

「突然来るんだよ。キッカケって」


 キッカケで、優に話したことを連想する。俺が口先だけで進めた堕落する目標。本腰じゃなかった。しかし、いま客観視してしまう。


「こんな歪だったのか」

「だって点数悪いだろ。周りについていけねえだろ」


 彼の言った通りだった。付け焼き刃の勉強で届きそうもない。あとから遅れて歩いた俺は、前を走ってる人までたどり着くことができなかった。もっと頑張るなら、それこそ優とのやり取りさえ捨てないといけない。俺は俺のために頑張れなかった。


「そう。学校に行かない同士の味方。だって人の荷物になるのは嫌だろ」


 初めて、彼の本音を聞けた気がした。学校に行かなくなって、場に合わない風俗街に出て、やっと対等な立場に来たような錯覚がある。しかし、彼は何も変わらず、あとも罵倒するだろう。

 学校は、どう逃げても、追いかけてきた。


『今では学校に行かない子供たちの支援として、アフタースクールなどあります。この制度を活用する手もあります。この、日本の孤独死という問題に立ち向かうため。団結するべきです』


 テレビはうるさかった。いや、俺が注視してるから、また利一の決意を曲げられないから、自分が逃げてるんだ。

 全て避けた先に何があるのだろう。後暗い未来しか連想しない。やはり孤独死だろうか。

 

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