6
道を歩いていると携帯が鳴る。画面に河辺愛のアイコンが表示された。見たことない女性の手が二つ乗っている。指を横にスライドさせ、耳に当てた。
『もしもし』
「もしもし。どうしたの」
優のことだろうか。携帯の連絡先を知らせるべきだった。彼に教えてないのに、愛に渡すのは不平等だ。今日のうちに教えておこう。
『昨日はほんとごめんなさい』
「もう謝罪は聞いた」
『それじゃ援力に迷惑しか掛けてない』
彼女の負い目は、その場繋ぎの言葉では埋まらない。満足させるために条件を絞り出す。河辺愛の立場。姉、クラスの中心人物。
「ひとつ聞いていいか」
「何?」
「クラスのみんな。俺のことをなんて言ってる?」
通話越しに雑音が交じる。彼女も俺と同じで外にいるのだろう。信号機のついた電信柱に身体の体重を預けた。
「なんとも思ってない」
「ほんとに?」
「あのことを誰だって口にしない。と言うか、望月とか忘れてるよ」
信号が青になり、通行人が先をゆく。白と黒の間を素知らぬ顔で進むにつれ、だんだんと自分の目線が地面に近くなる。蹲って、周りの目を無視するように、自分の足に集中した。
「あいつが一番騒ぎそうなのに」
「ねえ、利一くんの友達だよね」
「利一?」
そういえば忍も話題に出していた。様子がおかしいと言われるが、普段通り俺を攻撃して税に浸っていた。口の端に歯磨き粉のあとが付いているのも変わっていない。
「無断で休んでるんだよね。もう2日になる」
「サボりまくってる俺に言われてもな」
「でも気になるじゃん。昨日はゲーセンで見かけたっていうし。望月が」
学校は刺激ない退屈な生活を強いる。だから、誰が何をやらかしたとか噂は瞬く間に広まるし、興味さえあればクラスで底辺の俺にだって届く。河辺こそ周りの噂を参考に立ち振る舞いを考えている筆頭だ。彼女が利一の名前を出すとか、相当目立ってるわけか。
「でも河辺さんが利一のことを気にするなんて」
「清潔とか勉強を空回りながら頑張ってたのに。最近は全部を投げてたからね。うーん」
「まあ分かった。聞いてみるよ」
アイツのことは嫌いだから訪ねたくない。なるべく探さないままで行こう。
「じゃあ河辺さん。俺はあなたの弟と話すから」
信号機の色が通行可能な青に変わる。携帯を切ろうとしたが、電話越しに待ってと呼び止められた。
「優のことなんだけど」
「何?」
「ありがとう」
家に帰ると俺の話をするらしい。一緒に対戦プレイしたことやゲームショップを回ったこと。最近はマンガを回し読みして、内容を姉に伝えるほどらしい。
「優と馬が合うんだね」
「暇だから一緒にいるだけ」
「優からなにかきいてない?」
「何かって?」
「学校に戻るとか、そんな話」
リビングにいる姉の姿。彼氏と話しながら自分の刺青をなぞる。空いた瞳は俺を急かすように見つめる。時計の針は攻めるような速度でうるさかった。同じだった。やはり、周りは学校のレールに乗り込んでほしいわけだ。
「やっぱ学校に戻ってほしいの」
「……そうだよ。行くのが普通だから」
「行かない理由は聞いてるの」
「検討はついてる」
公園が見えた。優は俺に手を振って出迎える。片手にジュースを握り、ベンチに一つを放置していた。俺は頭で会釈してくぐる。
「言わないよ」
電話を切断する。俺もゲームを取り出して起動させた。
「何の話してたんですか?」
「親が学校に行けってさ」
「僕達は肩身が狭いですね」
対戦ゲームは順当に操作し、二人で対戦を選択する。戦いを行いながら、昨日とは違う彼を体感した。
「テレビでもひきこもり特集とかやってますね。俺、将来どうなるんだろうって怖くなります」
「どうなるんだろうね」
「紡ぐさんでもわからないですか」
「何が正しいなんてわからないよ」
「·····」
「優は、学校に戻りたい?」
「僕は」
普通にしてほしいから登校する。普通ってなんだろう。俺達は何がしっくりくる形を持ってるわけだ。答えがあるから知りたい。
ずっと、婆ちゃんの処遇が離れない。それに引っ張られて頭が冷静になってしまう。学校に行った方がいいのか。彼の未来を思えば学校に行くべきなのか。
「このままじゃダメだって思ってます。かといって、キッカケなんて無いんですけどね」
▼
「つむぐ。これがプリントだ」
担任の先生から茶色の封筒をもらう。中身を見たら小テストや問題と回答の山だった。要望通りにしたら、過去の無視した問題が山になってきた。
「ありがとうございます」
「いいんだ。不良がやる気を出したんだから支援してやるよ」
「不良って」
SWに勉強の資料を頼んだ。すると、SEと担任の先生が回答してこなかった紙を届けにきた。玄関で驚き、気の抜けて中に入れてしまう。
「まあかなりレベルが高くてわからないだろう。その時は学校に連絡しなさい。俺が話を通しとくから」
「良いんですか」
「但し、わかりませんって聞くだけじゃダメだ。色々と試した後に策を聞くんだ。それが覚えるコツだ」
「はい」
「よし」
先生は膝をあげてカバンを持った。背広を手から背中に通し、帰宅の準備をしている。
「先生は帰る」
「もう帰るんですか」
「学校の匂いが苦手だろ。俺は先生だから染み付いちゃってるし、やることやったから帰るよ」
扉の鍵穴を回す外に出ようとした。しかし、逆に鍵がかかってしまい開かない。靴箱側から体を滑り込ませ、片手の慣れた手つきで解放させる。外の涼しい風が体を素通りした。
「じゃあつむぐ。元気でな」
「はい」
扉を閉めて、足の裏についた砂を払う。自分の部屋に戻ってからプリントを机に散らかした。一枚ずつ並べながら、優の本意を読み取りたくなった。
「あれ」
封筒を上からなぞり、1枚の紙がとどまり続けていた。腕を突っ込み、その紙を閲覧する。それは一枚の便箋で、先生の手書きだった。
『つむぐ。困ったことがあったら連絡してくれ。無理に学校に来いと言わない。ただ俺はお前の味方だ。居場所になってやりたいから、何でも相談してくれ』
「熱い先生だね」
「はい。だから、嫌なんですよ」
紙を封筒に直した。先生が正しいから、俺が間違ってることを強く認識させられる。とにかくわかるのは、俺が環境に恵まれている事だ。
「先生と来たらダメだったかな」
「来てくれて嬉しいですよ。俺のことどう思ってるのか、普通に気になってましたし」
机の椅子に座って整頓する。来客用の椅子に乗る先生に声かけた。
「先生。学校に行くのは普通ですか」
「何かあったんだ」
俺は最近の経緯を会話した。河辺愛に言われた普通が頭にしこりとして残っていて、怒りに近くとも当たる相手のいない行き詰まりを吐き出す。
「って訳でして」
「それは河辺愛さんの中の普通だね」
「河辺の持つ普通」
「普通は人によって形が変わると思っている。僕の普通は自分らしく生きられることかな。それが学校に行かないことだって選択肢もある。行かなくちゃいけないって続けても、潰れるだけだからね」
「それは、暗に行かなくてもいいってことですか」
カウンセラーは腕を組んだ。答えに迷っているというより、正確な言葉を紡ごうとしてるような悩みが眉間に現れる。
「君が学校に行ったら喜ぶ人達がいると思う。彼らにとって、それが普通だから。でも、援力紡くんの普通は? なんて書いてあるの?」
君の普通は間違ってないと思う。彼は付け加えて肯定してきた。
「先生。あなたも大変な仕事をやってますね。俺みたいな子供を相手するんだから」
「大変かな。俺は好きでやってるから分からないな。君と話すのは楽しいよ」
「どこが楽しいんですか?」
「君は視点の違った見方ができる。大衆と合致した考えに染まることも出来るのに、自分を見捨てないだろ。だから、引きこもった。それは自分を守るためでしょ」
「ふ、ふふ。先生、カウンセラーっぽくないですね」
「ありがと」
生徒は俺のことなんて忘れている。先生は俺を心配してるから繋がりを保とうとしている。なのに、何を欲しがってるんだろう。この乾きに正確な言葉があるのだろうか。
その後、先生と話す。俺が勉強に手をつけだして、家から離れた。久しぶりにペンを持つから指が痛くなる。現国、数学と徐々に進んでいき、英語に衝突した。うまく頭に入らない。
先生に電話しようとして携帯を開く。もう、夜になっていた。すっかり窓の外は黒を下ろしている。迷惑だろうから、電話帳をスクロールした。
「もしもし」
「もしもし。援力?」
「河辺。少し話していいか」
『何?』
勉強を教えてほしいと話す。それが埋め合わせになるなら、そう言いつつ撮った問題をわかりやすく答えてくれる。噛み砕きながら勉強を勧めた。
「学校に戻るの?」
河辺愛は純粋に聞いてきた。裏表のない言葉で面食らう。時に正直さは人を驚かせる。
「違う。それより、河辺の言う普通ってなんだ」
「学校に行って友達がいること。そして好きな人ができることかな」
「それって河辺の嫌う母と同じだろ。敵ができないように振る舞えって」
「……じゃあ、どうしたらいいの?」
「優に聞いたんだ。このままがいいかって」
勉強を始めた理由は一つだ。俺はひきこもりで遅れている。そんな人間が学校に行けなんて説得力がない。だから、勉強を続けてレベルを近づける。
「あいつはキッカケが欲しいって言ったんだ。だから、気乗りしないけど言ってみる。そのために、筋を通してる。そのための、勉強」
一緒に堕落しようと言ったくせに、結局は関係が深まると相手のことを考えてしまう。何が最善かなんてわからない。彼は俺のお節介を嫌うだろう。これから会わなくなるかもしれない。そのぐらい薄い関係だ。
「河辺愛はそのまま分かろうと努力すればいい。ただ、引きこもる人の気持ちはわからないと思う」
電話を切り、ベッドの方に投げる。ペンを構えて、問題に目を通す。
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