2

 窓からぽつぽつと音がする。飛び跳ねるように起き上がって、遮光カーテンを思い切り開けた。

雨が蛇口をひねるような勢いで降っている。


「よりによって今日かよ」


 帰り道に公園で時間をつぶそうと言ってしまった。雨のせいで行きたくないが約束は守らないといけない。いやでも、彼は来るだろうか。雨の中じゃ服も汚れて来ないかもしれない。

 ベッドに座りなおした。とりあえずゲームを起動する。画面が白い光に包まれて、ピンク色に囲まれたゲームのロゴが出てきた。登場する男性キャラの説明欄を眺めながら、頭では言い訳を考えている。


「ねえ、開けるよ」


 扉越しに姉の声がした。対応遅く、携帯の画面を閉じられずに、開かれてしまう。背を向くと、姉が突っ立っていた。


「今日もアキちゃん来るから」


 服の腹に画面を隠す。腹痛を装いながら、指の感触で電源を落とした。


「見た?」

「ん、何が」

「見ただろ」

「さあ」


 そのまま扉を閉められた。廊下の冷たい風が背中から触られる。肌が逆立って、床に拳で強くたたいた。


「嘘つくなよ!」


 声が反響して、自分の耳に帰ってくる。この恥ずかしさに行き場がなくて、料理するときに包丁を握ったような高揚感と共に、部屋から逃げ出す。


 リビングのソファーに姉が和んでいた。片手に携帯を抱え、テレビにはYouTubeの動画を流している。動画作成者が友達との約束をわざと破り、何時になったら帰るのかといったひどい内容だった。それを見ながら姉は電話をかけている。


『どうでしょーか。シロくん、まだいます!  まだいます!』

「ねえアキくん。いつ来るの?」

『俺だったら帰ってるわ。シロって抜けてるよな。学生時代にに虐められてそう』


 動画は俺たちはいじめを反対しますという注意書きのテロップ。屈服したように姉は甘い声を出している。電話を持つ手から見えるアキと同じ入れ墨。


 思わず、居場所はここじゃないと思った。

 携帯と小銭、ゲーム機を鞄に詰めて、公園に向かった。



 公園に彼の姿はなかった。

 よく寝そべったベンチや草むらの隠れ場、どこに足を運んでも人の影ひとつなかった。

 豪雨にさらされながら、靴から上着まで湿っていく。折りたたみ傘も心もとなく、力を緩めると使い物にならないほど破壊されるはずだ。


「帰るか」


 雨の勢いは増し、非難する場所を探した。近くのコンビニを目視して、駆け足で来店した。傘を外に立てかけて来店する。立ち読みコーナーに足を運ぶと、目の前に小さな男子が遮った。

 床のタイルから目線をあげる。小学生ほどの男子が通行の邪魔をしていた。


「つむぐさん」


 優の声だ。今日の彼は女装を解いていた。顔も化粧を施していないから彼だと分からないはずだ。


「優。あれからまた雨とか最悪だな」

「あの、つむぐさん。ごめんなさい」

「どうしたの」


 飲料コーナーを背に人が来る。俺と同じ学校の制服を着ており、女子だった。


「あれ、同校じゃん」


 河辺愛がいた。気だるそうな垂れ目が心をしんと冷やしてくる。激しめな着崩しは以前と変わらなかった。


「外に出れるんの」

「え、っといや」

「え?  援力くんだよね」

「は、はい」


 髪を片手で分けて、右耳の外に収める。こちらが申し訳なくなるようなため息をはいた。


「ならちゃんと言えっつの」

「は、はあ」

「優。このヒト援力くん。たぶん気が合うよ」


 優の謝罪の意味がわかった。そして、なぜ彼女を覚えていたのか。

 俺は彼女のあけすけな性格が苦手だった。誰かと話すのに疲れてる様子で机でもよく寝ている。そのくせに美貌があるから人に好かれていた。先生のお気に入りグループに所属している。


「ど、どうも」

「なんかね。コイツが待ち合わせすんだつってうるさいんだよね。この雨の中出るとかやばくね?  なあ?」


 立ちっぱなしだけど腰を揃えて話が始まってしまう。彼が待ってるのは俺だけど、説明が思いつかなかった。それは優も同じで、切り出し口を探るように口を開け閉めしてる。


「援力くんは何?」

「俺はただ……、立ち読みしようかなって。家のなか暇だし居心地悪いから」

「ぶっははは」


 共感を得たくて優の背中を叩いてる。彼は迷惑そうにしつつ、雑誌から手を離した。


「なら学校行けっての」

「そうかな。そうかも」

「援力くんは変だね」

「変、かな。あまりわからなかった」

「あーあ。まあいいや。なんかお腹空かない?」


 イートインスペースは誰も滞在していない。ホットスナックを購入し、彼女はタピオカを吸いながら距離を開けて隣に座る。優は窓際の席に移動させられた。


「家に居心地悪くて引きこもりってウケるね」

「まあ色々あって」

「なら学校に来た方が楽しいじゃん。援力くんだって友達がいないわけじゃないし、ほらアレ」


 指を空にかき混ぜながら片目を細める。何かを思い出そうとする素振りが独特だ。


「忍たちか」

「アイツらも心配してたよ」


 友達は俺のことを覚えてるだろうか。だってノートも書き取ってないし、忘れ物を貸すことさえできない。俺といても痛い思いするだけだ。


「私も家は嫌だ。なんかぜんぶ変になってくんだ。あそこにいるとね」

「大変そうだな」

「ありがと。んで、学校は友達いるし最高ってなるんだよね」


 どうして俺に関わろうとする。弟と俺の繋がりをわかってるわけじゃないだろうし、意図がわからなくて怖い。


「ねえ、うちの弟も引きこもりなんだよね」

「ちょっと姉さんやめて」

「はーあ。男子ってわかんねーな」


 教室の光景を思い出す。白い目を向けられたこと。俺のことを言われてると自意識過剰になって、呼吸の仕方を忘れる。友達の気遣いが空回りした。俺がいるから全てが当てはまらない。透明にならなければいけない。初めからゼロだったように、跡形もなく。


「学校や家も居場所がない。この虚脱感は友達がいても埋まらないものだと思う」


 こべりついたような感情をヘラで削って、形状と状態を報告するためにメモするみたいな、神経の疲れる質問だった。でも、言葉にするべきだと判断した。彼女のためじゃなく、俺のためにもなりそうだ。だから、優の将来の不安を溜め込んだような表情に触発されたわけじゃない。


「弟さんも同じとは言わない。でも、互いに理由なんてわからないと思う。わかっていたら行動するだけだから」


 ホットスナックの油が指に染みていく。それは既に冷めていて、雨に殴られた温度と同じだ。このまま冷たいものを持っていたら心が腐りそうだったから、歯に挟みかじり切る。だらだら口から垂れてきた。


「ねえ、援力。聞いていい?」

「なに?」

「女装にも欲情するの」

「おい」

「冗談だって」


 河辺愛はSNSのアカウントを本名で登録してるような人間か。自分と相対しないわけだ。


「つむぐくんはホモじゃないでしょ」

「ああっ」

「ふふん。ちょっとトイレ」


 彼女が席を立って、椅子一つ挟んで彼がいる。


「ほんとふつつかな姉で」

「いやいや優くんのことを考えてる良い人だって」

「良い人が複雑な事情の方につっかかったりしません」

「あはは」


 そう言えばと、俺はカバンから一枚のチラシを取り出した。父親が見る朝刊から引き抜いたものだ。これなら互いに興味が出ると用意していた。


「え、何ですか?」

「これ中古のゲーム屋。新しく開くから行ってみない?」

「見せてください」


 膝で付近の場所に移動し、隣に来た。折りたたんだチラシを伸ばした。千円の数字がよれている。


「ルンファク3ありますか?」

「3DS持ってるの」

「任天堂のゲームは1通りあります。全部マリオですけど」

「ああ、親が持ってたパターンか」

「実家から持ってきたとかで物持ちがいいですよね」


 君の姉は立派な人だ。自分の弟を気にかけて、コンビニまでついてきた。俺の姉は自分の彼氏が家族に認められるために自分のことしか見てない。

 お手洗いから彼女が戻ってきた。手の水しぶきをスカート下に落としている。


「あ、座ってんじゃん」

「移動する」


 優が元いた席に落ち着く。悪戯したいと頬が緩み、濡れた手を押し付けて弟をその場に置いた。


「いいよいいよ。優たのしそうだし」


 いや、俺こそ自分のことを考えているじゃないか。俺の姉は面向かって学校に行けと呼びかけない。優しい放置を長続きさせている。河辺愛みたく行動を促すことだって出来た。子供の俺は逆切れで迷惑しかかけていない。アキくんだって風貌が怪しいだけで、優しい根っこを持っている。俺だけが変化を恐れていた。家に居場所がないのは、俺だけが変われていないから。

 街を歩くのは、杖をつく老人やジャージ姿のニートとすれ違って、衰退の匂いが安堵するからだ。


「つむぐさん聞いてます?」

「あ、ごめん。聞いてなかった」

「だからアプリのゲームって、ゲームって感じしないですよね。別の媒体というか、3DSやswitchはゲームをプレイするぞってなるけど、アプリは惰性というか」

「優の話は難しくて分かんねーっ」

「姉ちゃんもゲームやれば」

「優のおすすめするヤツあるなら」


 三人で屯して、ゲームの話や学校の事情を語った。いろんな人間が好き嫌いに揉まれて忙しない。俺もあの中に戻るのか。そう思うと身震いした。やはり、時間が止まってほしい。


「あ、優くん。言い忘れてた」

「なんですか?」

「明日、学校に用事あるから会えない」

「え!  裏切り者!」

「待って待って」


 月一で学校に訪問する。行き先は教室ではなく相談室だ。そこで大人と話をする。


「無駄じゃないですか?」

「先生曰く、学校に慣れるところから始めようって」

「めんどくさっ。普通に教室のくればよくね」


 その後、俺にも姉が大変と話した。互いに愚痴を言い合えば、姉の主張が飛んでくる。押し問答が続くうちに、二日後に公園で、と別れた。

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