心の中を決めつける人たち
鍍金 紫陽花(めっき あじさい)
第一章 1
「すみません。質問があるのですが」
携帯ゲーム機から目をそらして、低い声のするほうを向く。肩までかかる髪にカチューシャをつけ、ピンク色のゴシック系を着た人だった。声の印象では身長の高い男性だったのに、格好は女子だ。俺はなるべく動揺を隠して、唾をのむ。
「この喫茶店ってどこにあるか分かりますか?」
彼の右手に破られた紙が握られていた。広げて見てみると、鉛筆で線路がかかれ、その上に喫茶店と書かれ丸印がついてある。
「ここなら分かるよ」
「ほんとですか! 実は携帯の充電がなくなって困っていたんです。メモを取るので教えてくれませんか?」
「いや、俺が案内しよう」
俺を口説こうとする顎の長い男性を消した。真っ暗な画面のままで鞄に直す。
「ちょうど暇していた。俺も駅に用事があるから付いていきたい」
不安そうに彼は見つめていた。確かに、俺だって彼の立場なら複雑な心境のまま断り方を考えていたはずだ。どれだけ暇かと言うとこの湿った公園でベンチに寝そべって、ゲームをプレイしているぐらいだ。それを言っても、信頼を一瞬で獲得できるわけがない。
悩みながら、鞄を弄った。スマホと財布の二つを指で挟んで、敗れた紙の上に乗せる。
「怪しい人間じゃない」
「怪しい人間ですよね」
困っているし、そう口で含みながら彼は携帯とスマホを追い返した。その足取りで、公園の出入り口に進むから、後ろからついていく。
公園から出て、俺たちは二人並んで歩いた。隣の彼は嘆息を吐く。
「まあ、別についてきて良いですけれど」
「いいのか。財布だした意味ないな」
「その言い方だと語弊が生まれるのでやめてください。あなたは第二中の人間ですよね」
校章のついた襟を指しているのだろう。俺は端が錆びて、丸みが跡形もなくなったところを撫でる。
「姉も同じ学校にいってますから」
なら、言及したいことがあるはずだ。通りがかる老人も学校に行かないのかと質問してくることがある。聞かれてもいいように休校中だと言い訳を頭で用意した。
「姉の名前は河辺愛です。知ってますか?」
髪はシュシュで結んであり、気の強そうな目をしている。彼女はクラスの中心人物だ。周りに人がいて、行動が肯定される。人生において有利な面を複数持ち合わせていた。
「覚えていない」
「そうですか……。そういえば、名前を言ってませんでしたね。河辺優です」
「俺は援力績(えんりき つむぐ)だ。援助に力に、紡ぐと書く」
彼はよろしくお願いしますと挨拶をしてくる。礼儀正しい姿に親の教育の成果が分かった。その後で公園の話を蒸し返してくる。
「つむぐさんは何のゲームが好きなんですか?」
「え、どうして」
「だって、公園でゲームしてたじゃないですか」
彼に会う前はゲームをプレイしていた。その姿から話を広げようとしているわけで、まだ幼いのに良識ある人柄だ。ただ、恋愛趣味レーションゲームをプレイしてたとは発言できない。
「ポケモン」
「ソードシールドですか?」
「そうそう人気だよな。あれやってた。育成していた」
「ほんとですか! 僕もゲーム好きです。特にストーリーとか面白くて」
それからポケモンGOがまだ流行っていると言った話し合いをした。まだ街を歩くとプレイしている人間がたくさんいて、ホットスポットが特殊な場所に指定されているだの。彼の捕まえた色違いのポケモンを見せてもらった。それ以外にも彼はゲームについて詳しかった。FGOもプレイしているらしく使用キャラの話やエピソードで盛り上がる。
「でも、よくあの喫茶店がわかりましたね」
「生まれた時からこの街に住んでるからね。いろんな道がどこに通じてるのかもわかる」
「なんか探偵みたいですね」
「俺は地道な作業が好きなだけ」
嘘だ。家に居場所がなくて人通りの少ない道路を歩き回ったら覚えてしまった。この街のマップは地図のように、正確な進み方を編み出せる。
「電車賃ある?」
「持ってます」
「一緒に券を買っとくから後で渡して。その方が早いでしょ」
二人は電車に乗って二つの駅を通りすぎた。女装の彼を誰が見ている気がしたけれど、俺はなるべく意識の外に追い出す。奇異の目で見られてることより、不安に輪郭が揺れる彼の様子がきになった。何をそんなに覚悟してるのだろう。
「優くん」
「何ですか?」
「スマホはアンドロイド? 充電器貸すよ」
「いえいえ、そこまでして頂くのは」
「そうか」
余計なお節介だった。人に頼られたいときはなんて対応が正しいのか。
「あ、やっやっぱり貰おうかな」
気遣いを読まれたのか目を泳がせてる。年下に空気を読ませて恥ずかしい。
カバンから猫型の充電器とコードを渡した。それに繋いでると、目的地に到着する。それを片手に、二人で外に出た。
駅前の日差しは目にあたって痛みを感じる。太陽の光は俺の気持ちより沈殿させた。目が慣れてからビルの一階に指をさす。
「あそこだよ」
「·····着いちゃった」
「優くん?」
「え、ああ。はい」
心ここに在らずといった様子だ。彼は横に立ったままで動こうとしない。後ろから俺たちのために波が割れている。邪魔になりたくなくて、近くのベンチに座ろうと袖を引いた。
「行こう」
「いや、はい」
仕方がないのでゲームを起動した。彼に見えないよう両腕をあげながら、男のキャラを攻略する。甘ったるいセリフが俺を口説こうとした。
「紡さんは聞かないんですね」
「何を?」
「どうしてこの場所に来たかったのか。僕がなぜ女装をしてるのか。どうして喫茶店に入らないのかの三つです」
「言うの?」
俺は家族から学校に行かない理由を言いたくない。それと同じで、誰でも聞かれたくないことだってある。
「すみません。変なこと聞きましたね。もう行きます」
立ち上がった。その足震えていて、今にも膝から崩れ落ちそうだ。勇気を持たないと起こせないことが待っている。ゆっくりとした足取りで喫茶店に近づく。その痛々しさは見たことある。
姉が東京へ行こうとしたとき、両親と揉めた。喧嘩に熱が入り、家を飛び出るときの後ろ姿。今と似た光景だった。
「あ、あの! 優くん」
俺は声を張り上げていた。周りの目が俺に集中している。何を始めたと動画取られたらどうしようか。そう思いつつも動かなくちゃダメだった。
「お」
「お?」
足が冷えて、お腹に痛みが走る。
「お腹痛い……」
「ええ?!」
腹を抱えて縮こまった。すかさず彼は俺の背中に手を回す。慌てた様子に先ほどの震えは飛んだ。なるべく小さく短く言おう。文章を頭で遂行する。
「行かなくていいよ。行きたくないなら」
彼は察知した様子で目線をそらす。
「もう行く約束をしてしまいました」
「辛い約束なら破ろうよ。間違ってしまおう」
「悪いこと言いますね」
肩に右手を置く。力がこもった。
「そうだよ。俺はひきこもりで世間から間違った存在なんだ。そんなやつに頼ったのが運の尽きだ。俺は悪い人間だから、みんな堕落してほしいと願ってる。君は俺のせいで間違えるべきだ」
めちゃくちゃな理屈だった。なぜ彼を俺は入れ込むのか。いや、俺は誰でも入れこみたいだけ。寂しいから人と話していたくなるし、相手した人を好きになってしまう。俺は話しかけてきた彼を気に入ってしまった。話しかけられただけで、俺は認知されたと舞い上がったんだ。
「アハハ。あはははは」
次第に笑いだす。背中を曲げつつも、俺から手を離さない。
「あの喫茶店に父親が待ってます。自分の息子が女装するのが好きなんて知らないでしょう。俺は俺を知ってもらうために、勇気を出して声上げたんです。このために何回も練習したわけですよ。それをやめろなんて」
「また違う日にすればいいだろ」
限界だ。腹痛が足の力を奪って、地面に座らせる。彼のスカートが額に当たった。
「本当に、変な人ですね」
俺を立ち上がらせてお手洗いに連行した。時間が経ってから、二人で来た道を戻る。
帰路の空気は最悪で、会話の一つさえ起きない。ただ義務的な会話をしなくちゃという緊張は失せていた。
帰りにコンビニで課金するためのカードと飲料を購入する。その間も彼は黙っていた。
電車から出て、かの公園に戻る。湿った地面に二人の足跡が残っていた。滑り台もないから子供が寄り付かない。木々の下はペットボトルやビニール袋が捨てられていた。
それを眺めつつ、彼はぼつりと呟く。
「何のために行ったのか分からなくなりましたよ」
俺はコンビニで購入した炭酸飲料を手渡した。
「これを買いに行ったお出かけということで」
「はーあ。父さんになんて言い訳しようかな」
「お腹が痛くなったので帰りますとか」
「それ貴方の理由でしょ」
「腹痛を馬鹿にするなよ。これで何日も学校を休めたんだから」
そこで俺たちは別れた。
ただ浪費した1日が過ぎる。そのまま自分の家に帰り、鍵穴に鍵を通した。
「ただいま」
「ああ、おかえりなさい。つむぐくん」
姉の彼氏が俺を出迎えた。灰色のタンクトップ下にあるタトゥーが目を引く。リビングの扉は開けられており、姉がソファーでくつろいでいた。
「つむぐくん。駅前で唐揚げ買ってきたんだ。食べない?」
「要らないです。母さんにあげてください」
「ねー、アキくん帰ってきてー」
「わかったわかった。ごめんね紡ぐくん。歴造語に入れとくから食べてね。冷やしても美味しいから」
「はい」
部屋の扉を開けてベットに入った。布団を頭まで被って体を丸める。外はまだ明るいから眠くなってきた。
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