第6幕 エンゼルカチューシャ

「ええーっ!! いのりん、女優さんだったの!? ど、どんな映画出てたの、芸能人に会ったことある? あー、自分が芸能人か。じゃあ、じゃあ、えーとえーと……」

 わたしが悠木イオリだった件は一瞬にして亜実ちゃんに知れ渡っていた。

 伝えたのは遊衣さんだ。秘密にして、と言わなかったわたしが悪い。あーそうだ、わたしが悪いのだ、とほほ。

「女優って言っても本格派。テレビの連ドラとかチャラいのじゃなくて、外国で上映されるようなアートなやつの。橋爪健太郎監督って知ってる?」

 横で遊衣さんが興奮しながら解説している。そんなマニアックな監督を知ってる十代女子がいるわけがない。案の定、亜実ちゃんは初めて脳内に入ってくる部類の情報を処理しきれず、眼をぱちくりさせていた。

 こんなふたりに挟まれるようにして、わたしは休日の大通りを散策している。

 ここは大きな八幡神社に通じる門前町のメインストリートで、朱門あけもん通りと呼ばれている。〈リリーズガーデン〉からは急行で十五分くらいの距離にあり、地域一帯でも有数の目抜き通りだ。東京から進出してきた飲食店や百貨店があり、ファーストフード店やファストファッションのお店も多く、若者から家族連れまで大勢の人で賑わっている。

 そんな楽しいところに、初めて三人で出かけるということでかなり前から浮かれていたのだが、つい先日ばれた例の〝秘密〟のせいで、集合してからずっとうんざりする羽目になっている。

「亜実ちゃん、『一〇〇〇キロのノスタルジー』っていう映画見たことない?」

「あ、はぁ、ないです。レンタルビデオ屋さんにあります?」

「うーん、どうかなー。セルで発売された期間が短くてさ、今じゃプレミアついてるのよねー。配信とかもされてないだろうし。まさに幻の名作なのよ」

 あー、今すぐ難聴になればいいのにー。と思ったが、耳に不自由な人に失礼な空想だったと反省する。

 確かにわたしは『一〇〇〇キロのノスタルジー』に出演していた。ネットで検索すれば、悠木イオリの唯一の主演映画と解説されているのも知っている。

 内容は、その当時に発生した東日本大震災に関連したものだ。地震で行方不明になった母親を捜すために、幼い少女が一人で東北地方を旅して、道中心温まる交流をするという邦画版『母をたずねて』である。監督は、昭和の時代から「家族」をテーマにした作品を撮り続けている橋爪健太郎さん。実に十八年ぶりのメガホンということで話題になったが、それだけ古い人なので公開当時もピンと来た人は少なかったように思う。

 しかもミニシアター系の文芸映画なので、全国でも二〇スクリーンくらいしか上映実績がなかったはずだ。そんな映画を記憶している――いや、観たことがある十九歳女性なんて、この世界で遊衣さん一人しかいないのではないか。

「なにを隠そうイオリはね、その映画で国際映画祭に出て、特別新人賞を取ったんだよ。期待の新星、天才子役登場ってけっこうテレビでやってたし。日本で十歳の女の子が新人賞を獲るのって、初めてのことだったの!」

 メディアはなんでも大袈裟に報道する。その映画が評価されたのも海外のみ。しかも、大震災に対する同情の意味合いが強かったし、もの珍しい「子役のロードムービー」という設定が受けたにすぎない。

「うはー、すごいですねぇ。なんというか、カメラの前で台詞が言えるだけでも尊敬します」

「でもこの映画の直後に辞めちゃったのよね。あそうだ。いのりん、どうして引退しちゃったの?」

 極めてデリケートな話題をどストレートに振ってくる。そんな遊衣さんに罪はないし、あまり無視しているのも躊躇われたが、それを話すことは決してできなかった。

「え、あの、なんとなく……かな」

「はあぁ……」

 ふたりのハモった返事を聞きながら、我ながらなんてサービスが悪いんだろうと悩む。

 でも、本当に大した理由ではないのだ。大した意味がなさ過ぎて、話す価値もないのだ。でもそれをわかってもらうには話すしかなくて、どうにもこうにもチェックメイトなのである。あー、なんとか話題が変わらないかなぁ。

「たまにはなんか話したら?」

 やばい、遊衣さんがキレはじめている。こういう煮え切らない態度が彼女は苦手らしく、わたしは何度か強い言葉で注意されていた。でも、口下手でうまく説明できないことを、演技ではないと知ってもらうのに、子役だという過去がどれだけ邪魔になっていることか。いっそのこと脳味噌をここでぶちまけて、わたしの頭の中はこうなってます、と説明したいくらいだ。

「お芝居の仕事、楽しくなかった?」

 遊衣さんは、不意にそんなことを訊いた。怒っているのではなく、ちょっと気を遣ってるような口調だった。わたしはそっと遊衣さんの顔を覗き見た。

「ごめんね、あたしまたやっちゃった」

 なんとも可哀想な苦笑いをする遊衣さん。反対側から、亜実ちゃんがギュッと袖を握ってくる。やめて、そんなに同情しないで。こういうとき、普通の女の子ならどんな言葉でうまく切り返すのだろう。

「楽しく、なかったことはない。けど。やっぱり大変だったよ、寒くて」

 あー、そんなことを訊きたくないってのはわかってるのに、そんなことしか言えなかった。テレビの番宣で、俳優さんたちがスラスラと映画の見所を語っているのを見ると、正直すごいと思う。アレって、台本があるのだろうか。

「そっかー。実を言うとあたしね、中一の時にイオリの映画見て、ガツンとやられちゃってさ、それから夢を女優から声優にシフトしたの。だって、あんなの絶対勝てないもん」

「え……?」

 遊衣さんはそれこそノスタルジックに空を見上げながら、話しはじめた。

「あたしの好きなシーンがあってさ、駅まで送ってくれた駐在のおじいさんにカナが会釈するのね。あー、亜実ちゃん、カナっていうのはイオリの役」

「あ、はい」

「最初はペコって大きくお辞儀するの。で、頭を上げると駐在さんがとびっきりの笑顔で敬礼してて、それを見たカナがぶわって泣きながら、もう一回頭を下げて、そのままの姿勢で回れ右して電車に乗るの。前も見ずに。そうすると、涙が足跡みたいにホームに残るのね。それがアドリブだってパンフレットに書いてあってさ。バケモノかと思ったよ。小学生の女の子がやる芝居じゃないよね?」

 大興奮の遊衣さん。パンフレットまで買っていたのか。いや、この人あの超長くて眠くなる映画を何回観たのだろう。

 それよりも、彼女がそこまで詳細を覚えているシーンに対して、わたしがなんの感慨も抱いていないことに驚いた。確かにその場面は覚えている。監督に何度も怒鳴られながら、必死になって感情を沸き立たせ、涙を出したことも。

 しかし映画の登場人物・笹野カナの役割が終われば、わたしは元の人間に戻る。それをいつまでも引きずることはなかった。でも、そのシーンを目にした人は今でもそれを当時の感傷と共に思い出す。それがなんだか不思議だった。

「わぁ~、なんかあたしも観たくなってきました~!」

「ああ、貸すよ、貸す貸す。DVDだけどいい?」

 か、貸さなくていい~!! そうやって無理に押しつけても、絶対亜実ちゃんの趣味に合わない映画だから。気を遣って感想を言われるのも耐えられないから!

「なんか、あたしもがんばらなきゃって思えてきました。ようし、描くぞ~!」

 描く?

「そういえば亜実ってマンガ描いてるんだよね。もうできたの?」

 亜実ちゃんがマンガを描くなんて知らなかった。きっとふたりは趣味も共通してるので、シフトが一緒の時にそういう話題にもなるのだろう。

 そのおかげでようやく話の主題が変わる。そう思うと嬉しくて、わたしは久しぶりに自発的に声を出した。

「よかったら見せて。見た~い」

「ふふふ、いいですよ。でもアマチュアですから、素人ですから~」

 そう言いながら亜実ちゃんは素早い手つきでスマホを操作している。今の子はなんでもデジタルで済ませてしまうけど、きっとマンガもパソコンなどで描けるのだろう。

「Pixivに公開してるやつなんで、ちょっと古いですけど、今のところこれが閲覧トップの作品です」

「おお~っ、いいねが一〇〇個もついてんじゃん!」

 ふたりの謎のやりとりのあとに、スマホの画面がわたしの元にも回ってきた。

「は……」

 一瞬なんの絵かわからなくて、わたしの脳が音を立てて処理待ちになった。

 で、数秒後にそれが、ふたりの美少年の〝夜のオコナイ〟を描いてるものだとわかって、首を絞められたようなショックを受けた。

 なにしろ、下半身にはその……細長いモザイクが……!

「あははははは! 亜実も人が悪いな~。絶対わざとでしょ、このページ見せたの」

「ニュフフフフフ。やはりいのりんはノンケでしたか」

 ちなみにわたしだって、インターネットで変な絵を見たことがないといえばウソになる。しかし、身近な友達がこういうのを描いているというのを、事前の覚悟なしに知ったら、耳も赤くなるというものだ。

「亜実はね、腐女子なの」

「〝女子〟?」

 わたしの顔を見てまた遊衣さんが笑う。なんかさっきから妙な単語が飛び交っているが、わたしだけ理解できてないのが相当可笑しいようだ。

「実はレズもいけます。でも、この世界じゃ両刀の絵描きは非難されるんスよ。なんか〝商業〟的というか……そーゆーレッテルを貼られちゃって」

「ああ、わかるー」

 全然わからないけど、今なんかこの子、とんでもないカミングアウトをしなかった?

「あ、誤解してるでしょいのりん。あたしのことLGBTだと思ってません? 違うんですよ、創作の趣味の話です。まぁ、いわゆるフェチというか」

 ますますわからないが、わたしの早とちりということらしい。こんなお昼の大通りで告白するようなことではないのは確かだ。

「で、でもこういうのって十八禁じゃないの?」

「ええ。でも描く方には制限ないんですよ」

 本当に? なんだか日本の闇を見てしまったような気もするが、本人が楽しそうなんだからいいとしよう。でも、こういう絵を細部まで描くにはそれなりの資料も必要なはずだ。そのためにはぜったい規制を破っている。でもそんな亜実ちゃんを〝らしい〟と思った。

 ただ単純に、夢に向かって歩みを進められる人が羨ましい、と思った。

 彼女のおかげで話が逸れて、わたしはようやくとりとめのないお喋りに参加できるようになっていた。口数は少なかったけど、このふたりとお菓子や洋服やお笑い芸人の話題で盛り上がるのが嬉しかった。そしてよく笑った。

 わたしは口下手だけどネクラじゃない。そう自覚できる一瞬一瞬が、わたしにとって幸せなひとときだった。

「でも、なんであたしたちだったんでしょうね」

 不意に亜実ちゃんがそんなことを口にした。

「なんでこの三人が、〈リリーズ〉の〝メイドサン〟なんだろ」

「そういえば、あれから店長、面接とかもしてないよね。従業員増やした方が店開けられるし、儲かると思うのになー」

「それもありますけど、遊衣さんはスタイリッシュだし、いのりんは国民的美少女って感じじゃないですか。あたしなんかちんちくりんのメガネですよ? 採用の基準がわかんない!」

 ちょっと待って、いまなんて言ったの? 国民的?

「いやいや亜実ちゃんも可愛いって! でも確かに共通点が思いつかないよね。あたしが受かってるから女子高生を集めたわけでもないし。メイド服もオーダーだしさ、外見から入ったってイメージじゃないんだよね~」

 そのままふたりは「う~ん」と黙り込んでしまった。

 わたしはその時、不覚にも人間牧場の話を思い出してしまっていた。さっきの亜実ちゃんのフェチの話じゃないけど、いろんな〝趣味〟に対応するためにバラエティ豊かな人選をしたのではないか。

 それに、違法なことに手を染めるなら、対象は少ない方が良い……。

「いのりん、どうしたの?」

「あー、ううん、なんでもない!」

 本当にバカな妄想だ。毎日真剣に紅茶を淹れている伊佐屋さんに申し訳ない。しかし、わたしはあのドキュメンタリーの中の伊佐屋さんも知っている。それは決して、普通の人生を歩んできたとは思えない青年の姿だった。なぜ彼は、若くしてメイドたちの教育係を任されていたのだろう。

 まだまだ彼には、わたしたちの知るよしもない秘密が隠されている気がした。




「さ、着いた着いたー」

 そうこうしているうちに目的地に到着した。大通りに面した多目的ビルの前にわたしたちは立っている。八幡様に近いこともあって、人通りはかなり多い。

 自動ドアの奥に入るとすぐに階段があり、横の壁には店名がずらりと並んだパネルが張ってある。このビルの二階にあるのが、メイドカフェ〈エンゼルカチューシャ〉の朱門通り店だ。

 わたしたちはここで遊衣さんと別れた。彼女は今からここでバイトなのだ。わたしたちはその見学もかねて遊びに来たというわけである。

 わたしと亜実ちゃんは、一度ビルの外に出てから、その隣にある表階段を上っていく。実はそちらがお客さん用の入り口に通じている。さっきの階段は従業員向けのものらしい。

 表の階段の周辺には、可愛らしいコスチュームをつけたメイドさんが立っていて、お客さんの呼び込み――ではなく、割引チケットのついたビラを配っていた。

「同じメイドでも、あたしたちとはだいぶ違いますねー」

 亜実ちゃんが苦笑している。確かにこれに比べれば、〈リリーズガーデン〉の服装は歴史ドラマの衣装と言ってもいいくらい地味で素っ気ないものだった。

 〈エンゼルカチューシャ〉のメイド服は、支店によってアレンジが異なるのが特徴だ。ここの店は、八幡神社が近いこともあって、ところどころに巫女さんの特徴が付け加えられている。スカートはフリルのついた短いものだが、トップスには大きく先の開いた袖がついていて、正式にはなんと言うのだろう――朱色の紐がベルトのように通されていた。

 エプロンには和服のような左前の襟が付いていて、胸には可愛いロゴと名札。名札には、絶対それ本名じゃないでしょ、という奇特な名前が書かれている。ちなみに階段前でビラを配っていた人は『煉華』さん。れんかさん? れんげさん?

 お化粧も強めで、まつげもピンとしてかなり気合いが入っている。これでもかと眼を大きくするメイクが施されていて、黒目も不自然だったからカラコンなのかもしれない。

 きっと男性から見た可愛さを前面に押し出しているのだろう。

 と思ったら、亜実ちゃんも眼をくりくりさせて喜んでいた。ただしこの子のフェチはわたしには理解できないので例外としておこう。

 わたしたちは階段を軽快に昇ってお店に入った。

 入り口には受付係のメイドさんがいて、ここで入場料の八〇〇円を徴収される。高いような気もするが、これにワンメニューとワンオプションが含まれているのだそうだ。

 そして、驚くべきことに入り口が三つ。それぞれテーマが分かれているのだという。

 扉から奥は見えず、そこには筆で漢字が一文字ずつ書かれているだけだった。


『艶』

『幼』

『妖』


 わたしたちはメイド喫茶に来たはずなのに、いつの間にかお化け屋敷にでも入ってしまったのだろうか。『妖』ってなんだ『妖』って。

「はぁ~。迷いますねぇ~。どれにします?」

「え。ま、まかせるよ。亜実ちゃん好きなの選んで」

 亜実ちゃんはトリックを解き明かすときの探偵のように顎に手をやっている。

「んよし。ここは『幼』で! あ、でも遊衣さんは『艶』ルームで働いてるかも。ああっ、迷うなぁ!」

 で結局入ったのは『妖』だった。人に任せといて勝手だが、わたしもその中が気になってしょうがない。

 しかし商売として考えると、これはひとつの工夫だと思う。同じ店でも三通りの種類があると後でもう一度行ってみたくなるし、中が見えないので好奇心もそそられる。確かに「喫茶店」という形態は完全に無視しているけれど。

 わたしと亜実ちゃんは『妖』の扉をくぐって店内に入った。

 ふたりとも、わあっと声を上げる。見事に統一された和風の内装。ちょっと薄暗いけれど、椅子もテーブルも壁も天井も、和紙や木材を思わせる素材が散りばめられていて、ちょっとしたテーマパークに来たみたいな雰囲気だ。

 そして『妖』なところは部屋のあちこちにある鳥居や、お化け風に口が裂けた提灯などに見て取れた。けっこうステレオタイプな妖怪っぽさだが、メイド喫茶だと思って入ると意表を突かれるのはさすがだな、と思う。

 お客さんは男性ばかりではなく、女性もそこそこ入っていた。ただ男性客は一人が多く、年齢に幅があるのに対して女性は若い人中心でグループ客ばかりだった。今日は亜実ちゃんと一緒に来て正解だったみたいだ。

 手近なテーブルに案内されると、さっそくメニューの吟味に入った。

 ちなみに、この部屋のメイドさんは外にいる人とちょっと違っていて、キツネのような耳としっぽをアクセサリーとしてつけている。そこもさすがに『妖』なところなのだろう。

「ええと、オムライスひとつ」

「あ、わたしも」

 メイド喫茶といえばオムライス。と情報番組受け売りの知識で注文する。当然〈リリーズガーデン〉にはないメニューだ。

「オプションメニューもご注文されますか?」

 そう言って、スレンダーで可愛らしいキツネ巫女メイドのウエイトレスさんがメニュー表の下の方を指差した。

 そこには『序』『破』『急』と三種類のオプションが書かれているが、どんな内容なのかは記していない。ただ、『破』と『急』は入場料プラス追加料金がいるようなので、わたしたちはとりあえず『序』を注文した。

 入場時のクーポンはオムライスで使ってしまったので、飲み物はセルフサービスのお水しか選べない。もちろん追加料金次第で注文も可能だが、亜実ちゃんがわたしの分の水も注いできてくれたので、これで済ませようと思う。

「な、なんだか落ち着かないね」

「大人のお店はこんな雰囲気なんだと思います……」

「キャバクラとか?」

「ショーパブかな」

 行ったこともないお水のお店の話題で盛り上がるうち、オムライスが運ばれてきた。

 ケチャップのかかっていないオムライス。知ってる。ここにパフォーマンスで絵を描いたりするのがメイド喫茶の醍醐味なのだ。

「では、『序』の儀式を始めさせていただきまぁす!」

 元気よく宣言して、キツネっぽいメイドさんが穴の開いた型紙のようなものを取り出し、オムライスのタマゴの上に置いた。そしてそこにケチャップ容器の口を当てる。

「大地を守護せし荒神よ、我がやしろに巣喰いし闇を清め、オムライスに美味なるエキスを注ぎたまえ! こーんこん!!」

 完全に圧倒されてしまった。そう言えば部屋に入ってからどこからともなくお祈りのような声が聞こえていたが、このオプションの声だったのだ。

 メイドさんは縦横にケチャップを動かしたあと、さっそうと型紙を外した。すると穴の開いたところだけケチャップが残る。そこには赤く『魂』と書かれていた。

 さらにケチャップの上にスプーンでトウモロコシを散りばめた。どうやらこれで完成らしい。メイドさんはお辞儀をして去っていった。

「写真、撮っていいのかな」

「さっきからバシャバシャ音がしてますし、大丈夫だと思います」

 そう言うが早いか、亜実ちゃんは五枚近くオムライスの写真を撮っていた。

「ああっ!」

 突然亜実ちゃんが声を上げるので、わたしはスプーンを落としそうになった。

「な、なに?」

「コーン、コーンです。とうもろこしでコーン。魂でコン。こーん、こん」

 さっきのメイドさんのかけ声の最後はキツネの鳴き声だと思っていたのだが、そんな意味もあったのだ。これは亜実ちゃん大発見である。でもどうせなら、こういう仕掛けこそ自分が見つけたかったなぁ、と思うがもう遅い。

 ふたりはくだらないダジャレに声を立てて笑ったあと、黙々とオムライスを食べた。

 おいしくないわけではないが、やはり専門店に比べれば劣る味だ。周囲の独特な雰囲気も合わさり、遊園地で食べたビミョーなランチを思い起こさせる。まぁ、うちは家族そろってお出かけすることなんて、数えるほどしかなかったけれど。

「ゆっくりカフェを楽しむっていう空間ではないですね」

「うん、もう出よっか」

 ふたりが席を立つと、突然周囲がざわめいた。どうやら隅っこの席でなにかイベントが始まるらしい。いきなりどこかで太鼓の音が鳴って、皆がそちらに注目する。

「これより、『急』の儀式を始めさせていただきまぁす!」

 そのお客さんはいちばん追加料金の高いオプションを注文したらしい。でもそれって、プラス七〇〇円じゃなかっただろうか。けっこう値が張るサービスだ。

 今度はメイドさんが三人がかりで、身振り手振りを交えながら長いおまじないを唱えている。見ると、お客さんは法被はっぴのようなものまで着せられていた。あれは恥ずかしい。

 メイドさんは踊りが終わると、オムライスに突き刺さった棒状のものに火をつけた。

 ぱちぱちと音を立てて線香花火が燃え始めた。周りのみんなが拍手する。

「たまやー」

「たまやー」

 そう言って相手を讃えるのがこのお店の習わしらしい。さすがにここまで来るとついていけなかった。テレビの密着スペシャルかなんかで見たことがあるが、ホストクラブでシャンパンが出たときはこういう大騒ぎをするんじゃなかったっけ。

 お店の出口で追加料金なしのレシートを渡すと、代わりにポイントカードをくれた。これが貯まるとお気に入りのメイドさんとツーショットで写真が撮れたりするそうだ。他にも人気投票などを行っていて、お店の壁には投票が多い順に写真パネルが飾られている。

「遊衣さんは『妖』のお部屋にはいないみたいですね。やっぱり『艶』だったのかな」

「じゃあ『幼』って?」

「そりゃロリっ娘ばっかり集めたお部屋でしょうねぇ」

「亜実ちゃんみたいな?」

「そーゆー冗談はキライです!」

 亜実ちゃんは珍しくぷんとして先に行ってしまった。誰にでもコンプレックスの一つや二つあるものだ。からかったことはあとで謝ろう。

 ポイントカードの裏には、このお店がプロデュースしているオリジナルアニメにアクセスできるQRコードが記載されていた。描かれている絵を見る限り、男性向けの「萌えアニメ」って感じだった。タイトルは、


『異世界メイド喫茶のオムライスが、スライムでできているってほんとうですか?』


 いやこれって本当にタイトルなんだろうか……。

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