第13話 愛舞 その2
「あたしは高校でもバスケ部だったんだぜ。まあすぐにやめたけど」
「それは意外かも。舞なら運動神経が良いから、色々なスポーツに手を出しそうなものなのに」
九の予想は当たる。
とは言え、様々なスポーツに触れるのはバスケ部をやめた後のことなのだが。
「中学であれだけやってたんだ。
期待もされてるし、もっと強い奴がいるって、わくわくするもんだろ?」
バスケをやめた九からすれば全てに同意はできない。
が、わくわくするという点は共感できるので頷いた。
「そのわくわくも、長くは続かなかったけどな」
愛舞の目が冷めていく。
「あたしの実力は知ってんだろ? 中学時代じゃ飛び抜けてたが、さすがに高校に入ったら人並みくらいなんじゃねえかと思った。けど、結局、同じだった」
髪をかきあげる。
「もちろん、最初っからそうだったわけじゃねえ。
一年の中では飛び抜けていたが、三年には簡単には勝てねえ」
九や当時の愛舞は知らないが、
その時のバスケ部の三年は、新入部員の愛舞との一対一の勝負に、まったく余裕がなかった。
愛舞は二年という経験の差を、対等まで、既に潰していた。
「練習したぜ。必死にな。三年になかなか勝てなくて、悔しさをバネにして。
あたしは数日後にもう一度、勝負を挑んだ。
一対一。あたしは三年の先輩に圧倒的な差をつけて、勝っていた」
「……でも、努力したから当たり前なんじゃ」
「あたしは喜んだぜ、そりゃあな。けど、負けた方からしたらどうだろう?
新入部員にあっさりと負けたら、居心地が悪くなるだろ?」
「でも、舞は一度、負けてるし」
「あたしが必死に練習しているのを全員が見てる。たったの数日だ。
たったの数日の努力であたしは先輩に差をつけて勝てるようになっていた。
先輩の数年の努力を、あたしは数日で負かしたんだ」
「…………」
「いやー、きついよなあ。『舞ノ舞は天才だから』と言い訳ができねえもんなあ。
あたしが呼吸を荒く、汗だくになっている練習風景を見ているんだから。
努力の結果としか、言いようがねえ」
それでも愛舞が天才なのは変わらない。
天才が努力をすれば成長も早いだろう。
だが、努力からの勝利という流れができてしまっている以上、
当時の三年生は言い訳ができなかった。
負けを認めるしかない。
「あたしは三年生のポジションを奪う形となる。努力して、勝ったのに、あたしは全員から敵のように見られてた。いま同じ状況になったら構わず生きていくんだが、当時はショックだったなあ。頑張ってんのに、報われるのはプレイの中だけってのは」
入部して数日で、愛舞は一人になった。
「あたしがバスケ部をやめたのは、別にそれが理由じゃねえよ。勘違いすんなよ?
これでやめたら『いじめられたから逃げました』みたいなだっせえ理由になるだろ」
正確にはいじめられていたわけではない。
逆に、誰も手出しはできなかった。
チームのエースを潰すチームメイトはいなかった。
一年も二年も三年も。愛舞への扱いが、掴めなかったのだ。
「あたしがバスケ部をやめたのはあたし自身の強さだよ」
なに言ってんだコイツは? みたいな顔を九がする。
「まあ聞けって。別に中二病みたいな事を言い出したわけじゃねえ。
好きだけどな、中二病も。あたしは本当に、強過ぎたんだ」
「えっと、待って。ちょっと待って。……自慢が入ってる?」
「おう、自慢自慢。あたしより強いヤツなんていねえだろ」
その断言に九は言葉を失う。
どうしよう、コイツ、どうしようもない。
「あたしより強いヤツなんかいねえよ。だからみんな壊れちまう。
あたしが少し真面目にやろう思ったら、肉体的にも精神的にも、破滅する。
あたしのせいでどれだけのヤツらがバスケをやめたと思う?」
九は重く捉えない。愛舞の言い方も、軽そうに見えたからだ。
根性がない生徒が愛舞を見て才能の違いに絶望し、勝手に潰れたのだと思った。
「二人くらい?」
「八十三人」
その内の五十人以上が怪我。残りが心の傷。
「あたしとプレイ中に接触して、怪我をする奴が多かった。
相手が鍛えていないから? 体が弱いから? ちげえだろ。中学も高校も必死に練習しているヤツらだ。体つきを見れば分かる。プレイが素人じゃないと示してる。
でも壊れる。簡単に。バスケ人生が閉ざされるような怪我を負う。あたしのせいで」
あたしのせいで。と愛舞は繰り返した。
「そりゃあ、やめるわな。将来有望な選手の多くがあたしのせいで潰れるってんなら、あたしがやめれば増えないわけだ」
「舞は、それで良かったの?」
「別にバスケに固執してたわけじゃねえ。興味は八方に散乱してる。
萌え萌えの言う通りに、色々なスポーツをやったぜ? バスケとは違って素人スタートだ。
そう簡単にゃあ、バスケと同じようにはならねえだろうと思った」
九はツッコまない。この際、萌え萌えでも構わない。
「だが同じ。ソフトボールもサッカーもバドミントンも、あたしが少し練習して本気でやれば、バスケと同じ結果になる。一つ、廃部にまでしちまったこともある。
人数が少なかったからな。あっはっは、めちゃめちゃ責められたな、あの時は」
笑う愛舞の目は笑っていない。
「本気を出さなくちゃいいって思うだろ? そのわりに、手加減したら相手は怒りやがる。
『真面目にやれ!』ってな。その言葉に応えて本気でやったら、いつも通りだ。
壊れて、また責められる。どうしろってんだよ」
「気づかせないように舞が手加減すれば……無理か。
舞の性格じゃあ、すぐに調子に乗っちゃうもんね」
「よく分かってるじゃん、萌え萌え」
九は、はあ、と溜息を吐く。
萌え萌えについてではない。
愛舞の高校時代の話について。
……全然、重いじゃないか。
人の人生を壊した経験を何度もしている。
責められるつらさを味わっている。
本気を出してはいけないと、愛舞はそれ以来、やりたい事を封印している。
「その様子じゃ、舞より強い人はまだいないんだろうね……」
「いねえな。もうスポーツはやってないから、会う事もねえんだろうけど」
「やってみる気はないの? 今なら会えるかもよ、最強と」
「会えるかもしれねえな。さて、その間にどれだけのプレイヤーが壊れるのかね?」
九はなにも言えなくなる。簡単に払える犠牲ではない。
「そゆこと。だからあたしは、テニスはできねえよ」
「でも、テニスサークルは、お遊びだよ? それくらいなら、できるんじゃないの?
元々、本気でやるようなものじゃないし」
「九もさっき言ってただろ。あたしは調子に乗りやすい。
間違って本気を出してしまった時、お遊びでやっているヤツの方が危ない」
鍛えているプレイヤーと、ただのお遊び大学生。
愛舞の本気に耐えられる方がどちらかなど、言うまでもない。
「…………」
ぎりっ、と九は歯を食いしばる。
「なにイラついてんだよ。同中だが、九には関係ねえことだろ?」
「友達なんだから関係してるじゃん」
「はっはっは、漫画みてえな展開だ。で、九はあたしを更生させようとでも思ってんのか? 『テニスを一緒にやりましょ、あたしなら舞の本気を受け止められる!』ってか?
やめとけよ。あたしが本気で打った球を受けたら、九の手首が吹き飛ぶ」
いくらなんでもそれは、と思った九。だが愛舞の目が本気だ。
「吹き飛ぶってのは、言い過ぎか。
まあ、現実味ねえしな。なって、はずれるか、折れるかだな」
どちらにせよ信じられるわけがない。
九にとっては愛舞のトラウマの克服は気の持ちように思えてしまう。
今までの話を聞く分には、本気を出してしまうと相手を壊してしまう……、
確かにスポーツをし続けるのは遠慮した方がいいかもしれない。
でも、個人競技ならば、制限がないのでは?
「記録系ねえ。ああ、徒競走とか? それも結局は、相手の心を折っちまうし」
「それは相手の心が弱いだけ。舞は悪くないよ」
「でもさあ。なんか、嫌じゃん?」
分かった。九は確信する。
愛舞は、優し過ぎる。
勝負は勝負だと、割り切れていない。
人のこれからに、意識が向き過ぎている。
「もういいか?」
愛舞は、もう話す事はないと言うように立つ。
「舞」
「なんだよ、お節介はもういいだろ」
「舞のやりたい事をやりなよ」
「あたしと同レベルの奴がいるものならなんでも」
それは愛舞と同じレベルの者がいなければなにもしないという意味だ。
愛舞は人に優し過ぎるがゆえに、自分に厳しい。
自縛がきつ過ぎる。
「舞は強いね。でも、舞より弱くて強い人もいるんだよ」
「だったら連れてきてみせろ。あたしは壊れない奴にしか興味ない」
そして食堂から出ていく愛舞。
九は一人、残されたまま机に突っ伏した。
「連れてこれるわけないじゃん」
九はわしゃわしゃ、と髪の毛を荒くかく。
―― ――
食堂から静かな庭へ移動。読みかけの本を読むためだ。
人目のつかない木を見つけ、寄りかかる。
運動系サークルの準備運動の声が聞こえる。
それをBGMにして、本を読み始める。
数分。たまに記憶がない。どうやらうとうとしていたらしい。
何度か耐えるが限界だった。本を優しく置き、愛舞は目を瞑る。
あっさりと、愛舞は眠りに落ちた。
―― ――
「監獄へようこそ。お姉さん、楽しんでいってね!」
目が覚めるとオレンジがいた。なんとなく、抱きしめる。
「へっ、は、ええッ!?」
「あたしでも楽しめんのー? じゃあ最強を用意しろやこら」
抱きしめているオレンジではないオレンジが、口を歪める。
どんな要望も叶える。
愛舞の希望は、あっさりと通った。
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