第10話 乱橋 その3

 傷の男も他の男もまったく反応できなかった。

 速度ではなく、そんな事態など起こらないだろうという隙を突かれた。


『親父』は倒れ、そのまま起き上がらない。


「逃げて!」


 まだ正気を保っていた、交わっている娘たちが、その隙に動き出す。

 開けっ放しの扉を抜け、裸のまま距離を離す――。


「この、アマぁッ!」


 はっとして状況を把握した傷の男は、反抗した一人の娘の口を塞ぐように掴む。

 そして持ち上げた。彼女の足は地を離れ、ぶらぶらと揺れる。


(ど、どうする!?)


 乱橋は動けなかった。

 あの娘を助けたい気持ちはあった。しかし助けたら自分たちはこれから先、生きていくのは困難になるだろう。仲間にも危険が及ぶ。だったら、今はおとなしくしているべきだ。


「助けて……」

 隣にいた娘がそう懇願した。

 一人だけじゃない。裸で座らされている全員がそう願った。


 泣きながら。

 乱橋に助けを求めていた。


(でも、俺は……)


 多くの人間の命を背負っている。

 助けることはできなかった。


 すると、がんっ! と地面を打つ音。

 さっきの娘が、傷の男に叩き付けられた音だった。


「い、たぁッ……!」


「お前一人の力でどうにかできるとでも思ったのか? 

 残念だったな。あまり大人をなめるなよ?」


 ちらり、岳谷を見る。彼は選んだ娘を背にして庇っていた。


 岳谷も動けないでいる。

 しかしそんな彼が一瞬、ぴくりと反応する。


 乱橋は岳谷の視線を追う。

 するとさっきの娘に、拳銃が向けられていた。


(…………ッ!)


「ひっ――!」


「今更、後悔しても遅ぇよ。親父にかましたドロップキックは、どうあっても返せねえ。

 これは示しだ。トップに逆らったヤツの結末がどうなるかくらいは見せておかねえとな」


 傷の男が指に力を入れる。

 拳銃が弾を撃ち出すまで時間はない。

 それでも彼女の目に闘志は宿っていた。


「誰があんたらなんかに屈するか、バーカ!」


 その言葉が引き金だった。

 銃声と同時。


 乱橋が娘を掴み、横にずらしていた。


 銃弾は娘の横に落ちる。

 彼女が今までいたところに突き刺さる。


「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」


 乱橋は傷の男が持つ拳銃を蹴り抜いた。

 からん、と落ちる拳銃は岳谷の足元に落ちる。


「悪い岳谷……」

 乱橋は岳谷を見ない。

 ただ一言。


「手伝え」

「分かった」


 行動は早かった。岳谷は得た拳銃で周りの男たちを撃つ。

 ちょうど傷の男を抜かした全員を倒した頃には、弾は無くなっていた。


 かちゃかちゃと弾切れを示すサインの後に、岳谷は縛られている娘の元へ行く。

 持っていた折りたたみナイフで縄を切る。


「あんたも手伝ってくれ!」

 岳谷の手によって既に解放されていた娘が返事をして手伝う。


 縛られていた娘たちは解放された者から順に部屋から出ていく。

 それを見ていた傷の男は乱橋だけを睨み付ける。


 飼い慣らしたと思っていた家畜からの反抗に、相当、苛立ったらしい。

 額の血管が浮き出ている。握り締めた拳は自壊を起こしそうだった。


 そして困ったのは乱橋だ。

 思わず出てしまったはいいが、どうすればいい!?


(いや、勝つんじゃねえ! この娘を逃がすんだ!)


 優先度を把握し、行動を起こす。


「おいあんた――」

「前!」


 よそ見をした瞬間、拳が飛んでくる。


 鼻っ柱を殴られた乱橋は後ろの壁に激突した。

 数メートルも飛ぶ程の威力に反抗する闘争心が、折られる。


「が、ああ……」

「この、馬鹿!」


 娘の罵倒に返せない。あの状況でのよそ見は死に手だろう。


「ガキが。格好つけてんじゃねえよ。銃がなければ実力は一緒だとでも? 

 不良とヤクザの違いは武器の種類の違いか? ちげえよ。

 武器がなくとも変わらず強いのが大人だ。プロってのは、状況に左右されねえ」


 傷の男は駆け出す。

 娘を跨いで行こうとしたのが彼の失敗だ。


 娘が足をかけ、傷の男を転ばせた。

 男は手をつくが、自分の脚力から出た勢いを殺せず、顔面を壁に激突させる。


「来て!」

 

 呼ばれた乱橋は鼻を押さえながら娘を追いかける。

 縛られていた娘たちはもういない。全員、逃げ切ったらしい。


「岳谷も……」


 上手く逃げ切れたらしい。姿が見当たらない。


「おい、あんた」

「なによ!」


「これ……」

 乱橋は着ていたパーカーを渡す。


 が、「大丈夫」と言われて返された。

 そのまま裸でいられるのはこちらとしては視線の位置に困るのだが。


「これでいい」

 近くにあったカーテンを体に巻いていた。確かにそちらの方が全体を隠せる。


「外まで行けばこちらのもの。

 さすがに全員は解放できなかったけど、まともな思考ができない娘は諦めるしかないわ」


「あんたは、なんなんだ……?」


 乱橋は聞いた。単純な疑問だった。

 ただの一般人が、あんた大胆なこと、できるわけがない。


「一般人よ」

 嘘だ、と思った。

 あんな大胆な事をできるのは、特別な人間だけだ、と信じたかった。


「許せなかっただけ。助けたかっただけ。見ているだけは嫌だったから」


「普通は動けねえだろ、あんな状況で。あんたは、死んでいたかもしれねえんだぞ?」


 乱橋がいなければ、死んでいた。

 偶然、弾が逸れるなんて奇跡、漫画でもそうそうないだろう。


「……さっきは、ありがと。あなたの言う通り、私は死んでいたかもしれない。でも、動かなくちゃと思ったし、私はできると思った。あの状況で動いて全員を助けられる思った」


 考えが甘い。でもその甘さが、現状に繋がる。


「一週間ほど前よ。なぜだかは分からないけど、私の中の迷いが消えていた。

 一晩、寝ただけで、大きく成長できているような気がした」


「なんだそりゃ」


「こればっかりは、実際にそう感じないと分からないわよ。

 でもそのおかげで、私はさっき、動く事ができた」


「…………」


 乱橋には分からない。

 あの状況で動ける人間の気持ちなんて分からない。


 後悔ばかりだった。

 これで乱橋と仲間たちは、ヤクザに狙われ続けることになる。


「あなたはどうするの?」

 娘の言葉に乱橋が返す。


「戻るよ」

 徐々に速度を落として、娘が止まる。


「どうして?」

「みんなを巻き込めない」


「戻ればあなたは殺されるわ」

「それで仲間に危害が及ばないのなら」


 変わらない決意に娘は諦める。

 娘にとってはなんの事だか分からなくとも、自然と声が出た。


「生きたまま眠って。あなたはそれで変われるはずよ」


 そう言って娘は走り去る。逆の方向へ、乱橋は歩き出した。


 戻ってきた部屋に、傷の男と『親父』がいる。


『親父』は電話をしていた。


「ああ、来い。お前の玩具がある。ああ、好きに壊して構わない」


 そう言って電話を切った。


「坊ちゃんですかい?」

「ああ、ひと眠りしてから来るそうだ」


 すると乱橋に気づいたらしい。傷の男が近寄ってくる。


「よくもまあ、顔を出せたもんだ。

 賢い選択だが、だからって罪が軽くなるわけじゃねえぜ? 

 加算されねえだけだ。現状は変わらん」


 鳩尾に拳が入る。乱橋の目が開かれた。


 そのまま蹲る。横から衝撃。思い切り蹴られたらしい。


 意識が朦朧とする。さっきのダメージも効いている。


「楽しみにしとけよ。坊ちゃんとの遊びは楽しいぜぇ?」


 それで最後。

 乱橋の額が地面に叩き付けられ、意識が暗闇に落ちる……。


 ―― ――


「――ようこそ監獄プリズンへ! 面子からして、あんたはネタ枠ね!」


 目が覚めてから出会ったオレンジにそう言われた。


 状況把握よりもまず先に。



「夢の中でも俺ってそんなキャラ……?」



 そんな弱々しいツッコミが出た。

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