第9話 乱橋 その2

「思ったよりも遅かったな」


 顔面に、熊にでも切り裂かれたような三本傷を持つ男が乱橋たちを待っていた。

 鉄格子のような門の前で仁王立ち。黒いスーツと青いワイシャツ。

 真っ暗な周りの風景に溶け込みそうなものだが、威圧感が男を強調していた。


「で、どうだった?」

「これ、回収忘れの札束です。あとは、写真などですね。他にはなにもなかったです」


 乱橋は男に鞄を渡した。


「ふぅ、ご苦労。んじゃまあ、上がっていけや。少しくらいもてなすぜ」

「いや、俺らは……」

「いいから来い。面白いもんを見せてやる」


 男の上からの眼光に、二人はそれ以上の拒否を示せなかった。

 歩いていく男の後ろをついていく。


 見た目、普通のビルだった。

 事務所と書かれた部屋を目指し、三人は廊下を歩く。


「面白いことっていうのは……」


「ああ、今度お前らにもやってもらいたい仕事なんだ……。

 うちの親父の趣味でな。若い子が好きなんだよ。お前らと同じくらいの年の娘だ」


 嫌な流れだ、と乱橋は思う。

 岳谷もなにが言いたいのか分かったらしい。顔を歪めていた。


「聞こえるか?」


「?」

 乱橋は耳を澄ます。微かに聞こえてくる喘ぎ声。


 一人だけではない。複数人の娘の声が聞こえてきた。


「あん? なんだ、捨てられたヤツもいるのか」


 男の視線を追うと、廊下に三人の裸の娘が寝転がっていた。


 眠っているわけではない。目は開いているが、眼球の動きがおかしい。

 どこを見ているのか分からない目だった。


「うっ」

 岳谷が鼻をつまんだ。乱橋も腕で鼻を塞ぐ。


「ったく、そういうことはトイレに行ってしろっつうんだよ。なあ、お前ら」


 顔面傷の男は寝転ぶ娘、三人を足で退かす。

 ぴちゃぴちゃと液体を踏み散らしながら進んだ。


「おい、行くぞ。ああ、気にすんな。靴なんてどうせなにをしたって汚れるもんだ」


 ゾンビのように、体を少しづつ動かしている三人の娘を跨ぐように二人は進もうとした。

 そこで乱橋の足が、がしっ、と掴まれる。


「いっ!?」

 乱橋は咄嗟に足を乱暴に振り回して拘束を解く。


 逃げるようにしてその場から離れた途端、一気に罪悪感が芽生えてきた。


「……ありゃあ、いま助けたところで、手遅れだ。充分、使われちまってる」

「…………」


「あんなのがまだ中にたくさんいるのか……? おいおい、もしかして、俺らにあの娘たちを調達して来いとか言うんじゃねえだろうな!?」


「その通りだよ。なんだ、意外と鋭いじゃねえか」


「!?」


 二人は言葉を失う。


 顔面傷の男が、振り返らずに言ったのだ。


「お前らと同じ年頃の娘だ。俺らよりもお前らのが調達は上手いんじゃねえかと思ってな。

 ま、成功しようが失敗しようがどっちでもいいんだがな。

 任せられるのならお前らに任せた方が俺らが楽なだけだ」


 適材適所、と顔面傷の男は言う。


 これができなければ他の仕事を任すだけ。

 どっちにしろ、乱橋たちが請け負うのは進んでやりたくはない仕事だ。


「ついたぜ。お前ら、親父にきちんと挨拶しろよ」


 心の準備もまだの時点で、男が扉を開ける。

 中に入ると、数人が既に事を起こしていた。


 ひと月に一度くらいしか会わない『親父』もそこにいる。


「ん、粋久いきひさか。いきなり消えるから驚いたぞ」

「嘘つかんでくだせえ。俺がいなくとも事務所は回ります」


 確かにな、と『親父』は笑う。すると乱橋たちに気づいたようだ。


「そうか、お前らを迎えに行っていたのか。

 ……ご苦労だったな。それで、もう慣れたか? 死体処理も案外、楽なものだろう?」


 腰を動かしながら『親父』は言う。


 自分たちと同じくらいの年頃の娘の喘ぎ声が耳に残る。


「まあ、最初よりは随分と、慣れましたね……」

「お疲れ様です」


 すぐに答えた乱橋とは別で、岳谷は挨拶を忘れずにする。

 挨拶の有無で顔の傷の数が変わるなら、やっておいた方がいい。


「そうか。まあ、慣れるまではまだ大変だ、頑張れよ」


 言葉は優しい。向けられる表情も柔らかいものだった。

 少し歳の離れた叔父さんのような親近感を抱くが、

 乱橋たちは気を緩めることはできなかった。


 真面目なサラリーマンのような体型と顔。

 ヤクザのトップに君臨しているとはとても思えない。


 しかし、乱橋たちは見ている。

 自分たちのチームのリーダーを目の前で殺したのは、この男なのだ。


 ごくりと唾を飲み込む乱橋。すると『親父』が言う。


「そこで見ているのも退屈だろう? 好きな娘を選べ。お前らにもヤらせてやる」


 二人はなにも言えない。


 もちろん乱橋たちも男だ。そういうことに興味はあるし、したいとも思っている。

 だが、嫌がっている女の子にそんなことはできないし、この場でするなんてできない。


 それでも断れないのがつらかった。


「……はい」

 震えながら言い、足を動かす。


 既に交わっている男女のペアの間を抜けて、辿り着いた場所には、数十人を越える娘たちが、裸で座っていた。手足は縛られている。隠すこともできない自分の裸をなんとか隠そうと、全員が丸まるようにしていた。


「……そりゃ、望んでるわけねえよな。今ヤってる奴らは、薬漬けか」

「今から、俺らも……」


 岳谷はなにも言わないが、ようするに、そういうことだろう。


「早くしろ」


 すると顔面傷の男が急かしてきた。選ぶ時間もあまりない。

 岳谷はたまたま目についた娘を選んだらしく、

「ごめんな。悪いようにはしないよ」と安心を与えていた。


 それで安心できるかは分からないが。


「くそっ」

 乱橋も見回し、そこで一人の娘と目が合う。


「…………」


 その娘は一人だけ、歯を食いしばっていた。

 怯えている娘が多い中で、一人だけ、闘志を燃やしていた。


 乱橋は選ぶ。その娘の縄を解いた。


「ありがと」


 娘は駆け出し、


 一直線に『親父』に、ドロップキックをした。

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