第12話 眠る天敵

 駿河さんはあれきり、キッチンから出て来ていない――。

 よほど悔しかったのか、ずっと、なにかを作っている。それは紅茶かもしれないし、そうではないかもしれないし、なんでも可能性はあるだろう。

 呼ぶことも考えたけれど、今は彼女にとって、料理人として、壁にぶち当たった、みたいな心境だろう……、料理人としての、レベルアップのための試練みたいなものだ――。

 だからここで呼び止めて、彼女のステップアップのためのタイミングをずらすことはしたくない。そもそもで、呼ぶほどの用事があるわけでもなし――、

 今は自由時間みたいなものなのだから。


 自由時間――、だから各々がなにを自由にしてもいいのである。ここでティータイムをしていたのも、それだって自由時間の内容なのだから。

 ……えっと、そう言えば、よくは覚えてはいないけれど、そろそろ、かな――。

 ちょっとしたイベントみたいなものが、クルーズ船内であるはずだけれど、まだ、そう言った連絡はきていない。


 なので自由時間は継続――好きに動いても構わないのである。

 だから彼女の、「――ちょっと、外にでも出てこよう……ずっと、ここにいたから、さすがに飽きたし」といった言葉と行動も、おかしなことではない。

 普通の思考回路で、誰も文句が言えない正論と言えるものだ。


「――あんまり、大きく動かない方がいいんじゃないのか?」

「うるさいわね――仕事も持ってきてくれない、わたしの後ろをただついてくるだけの、邪魔で仕方ないあんたが、わたしに指図しないでくれる?」

 彼女の言葉にはトゲしかなかった。

 言われた男性は、「……そうだな」と言い返すことなく肯定した。恐らくは、正常で不完全な人間ならば、腹の内では怒りに満ちていて、ストレスが沸騰しているだろう――、いつ彼が爆発してもおかしくはない。

 だが、爆発したら色々と面倒事が控えているし、仕事生命が奪われてしまうも同然なので、理性があるのならば、きっと彼は大丈夫だろうけど――少し、心配。


 彼女は少し以上に、人に厳しい――それは自分も含め、生命あるものに、厳しいのだ。ただそれは全て、好意からきているので、それをやめろとも、力強くは言えないのだけれど。

 あと少し、ほんの少し、僅かでもいい……少し――少しでも弱めてくれれば、大きく変わるのだけれど、彼女はきっと、変えないのだろうな、と思う。


 それが彼女の生き方なのだから――個性なのだから。

 まあ、マネージャーである彼は、彼女のそういう性格のことは知っているだろうし、あの好意しかない罵倒に似た文句も、ずっと聞いているのだろうし、だから慣れているのだろうし、言われてもへっちゃらなんだろうし――私の余計なお世話でしかない。勝手な心配なのだろう。


 それでも心配なのは心配で、心の片隅にどれだけ安心できる要素があったとしても、心配してしまう。だから彼女が外に景色を見に行くと言い、当然、それについていく彼もいて……彼、彼女、二人きり――その二人の中に、乱暴で大胆に、無理やり行方野さんが、

「じゃあじゃあ、あったしもー! さてさて行こうぜ、えつらっきー!」と言って、二人の間に割って入ってくれた時、本当に、心の底から安心した。

 行方野さんがいるのならば、大丈夫――心配事など、綺麗さっぱりなくなっていた。


 あれだけ慣れ慣れしい、そして罵倒などきっとものともしないメンタルを持っている行方野さんならば、彼女の個性も受け止めることができるだろう――。個性で言えば、迷惑度で言えば、彼女よりも行方野さんの方が質が悪いのだから。

 彼女は少し体験をした方がいいだろう――絡まれる、その圧倒的なうざさを。

 鬱陶しさを。避けられない、脅威を。


「え、えつらっきーって……! そんなのっ、どこで――」


「いいから行くぞ、えつらっきー。景色は待ってくれてはいるが、その細部は待ってくれないんだよ。今こうして無駄にしている時間、景色を見るための船は動き、貴重な角度も失われてしまっている。ベストショットのためにもう一回乗船するもの嫌だろう? だから早く行こう、早く行くぞ早く早くダッシュだ!」


 行方野さんは彼女の頭を脇で締めながら、ずるずると引っ張って行く。

 そしてこの大広間から、廊下へ――その後ろを、冷静な表情で出ていく、男性。


 ……あれにも動じないというのは、うん――鍛えられているなあ、と思う。

 誰に鍛えられたのか……状況だろうか――ならばその状況の発端である、きっと、彼女に。

 あの、損をしているだろう性格の彼女に、自然と自覚なく鍛えられたのだろう。


 貴重な人材だった。

 彼は、きっと、大抵のことでは動じない。

 動じるとすれば、それは――言葉にしたくない状況くらいだろう。


 行方野さんと彼女、そして彼――三人がいなくなって、大広間の人数は当然のように三人が減った。駿河さんは大広間にはいるけれど、キッチンにいるのでいないものとしてカウントしていいだろう。だから部屋は広く感じ、静かになり、寂しく感じた私も、どこか観光でもしていようかなと思い立ち上がろうとした時、ぐいっと、手首が掴まれて引っ張られた。


 立ち上がったのに強制的に座らされた。がつん、と、大きな音が鳴り、少しの痛み――尾てい骨でも打ったのだろう……痛みはそこからきている。

 それでも地味な痛みで、派手さはなく、だから声も痛みに関しては出なかった。深刻な怪我ではないのだろう――、怪我とは言えないものかもしれない。

 とにかく声は出たけれど、それは驚いただけであり、こう言ってしまうのは、警察官としては、冗談でも言いたくはないのだけれど、それでも表現すれば、犯人は一人しかいない――分かってはいても思わず口に出してしまう。


「――数珠里さん!?」

 彼女はにっこりと――いやにんまりと、笑っていた。

 イタズラが成功した時の、面白がっている表情だった。

「もう、驚かさないでくださいよ――心臓が止まるかと思いましたよ……」


「こんなことでショック死とか、やめてよー?」

「それは……はい、大丈夫だとは思いますけどね――」

「うーん、でも今ので心臓が止まりそうだったんでしょー? じゃあ今から言うことは、心臓が飛び出しちゃうものなのかなー?」

 数珠里さんが言うことだから、ただの冗談なのだろうと甘く見ていたけれど、それのせいかもしれない――どうせ数珠里さんだから、どうせ冗談なのだろうとなめていたからこそ、そのギャップで、驚きが増したのかもしれない。


 しかしそうでなくとも、やっぱり私は驚いたのだろう――心臓が止まるほどに、心臓が飛び出すほどに、ギャップなんてあろうとなかろうと、どっち道、変わらずに私は驚いたはずだ。


 ぎゅっと掴まれた感じ――心臓を、ぎゅっと。


 数珠里さんに握られた感じだった。


「――涼綺ちゃんは、こっちの人?」


 片手で拳銃を作った、数珠里さん。

 ばーん、と言って、撃つ。


 それは――ガンマンの可能性だってあった、スナイパーの可能性だって、連結してスパイの可能性だって、ヒットマンの可能性だって、ただのおふざけの可能性だって――いや、それだけはないと、数珠里さんの表情と直感で分かったけれど……。

 なぜこうも思いつく可能性が、殺す側が多いのかは、やっぱり対となるのはただ一つしかないからで、そっちを思い浮かべたくないからだけれど、やっぱり、そっちの可能性だって――、あるわけで。


 ――警察なんじゃないの?


 数珠里さんの行動と言葉はそう言っている。そう質問している。

 私は呼吸が一瞬、止まった――きっとそれだけで充分だったのだろう。数珠里さんは、その私の反応で確信しているはず――ああ、警察なんだな、と。

 ばれたからなんなのだ、事情を説明すれば数珠里さんだって理解してくれるはず、もしかしたら協力してくれるはず……。

 それに、あの子を守りやすくなるはず――なんて、そういうことじゃない。


 ただの民間人である数珠里さんを巻き込んでしまった――これで、数珠里さんは安全ではなくなった。危険を、匂いでもなんでも、薄らと感じさせてしまったのだ。それだけで、私は警察官失格である。こうなってしまえば、私は、仕事からはずれるべきなのだ――。

 いや、さすがにそれは、あの子のことがあるからできないし、したくはないけれど。


 どう誤魔化すこともできずに、ばれた――言い訳のしようもなくばれた。逆に、全てを明かしてしまった方が、傷口は浅く、狭く済むかもしれない。中途半端は大きな危険を招いてしまう。だから先端から末端まで、全てを余すことなく話すのがいいのだろうけど、私の中のルールが、ポリシーが、わがままが、それをさせてはくれない。


 数珠里さんを、危険に巻き込みたくない――その気持ちが先行してしまい、なにもできずに口をぱくぱくと、させるだけ。

 私に力があればいいのだけれど、力のない私が数珠里さんをこのまま放置するのは、ただ見捨てているだけで、見殺しにしているだけなのだ。

 冷静になればそんなことは私でも分かるけれど、混乱している今、私は気づけない。


 中途半端で放置している――口を開かない私と同様に、数珠里さんも、また、開かない。


 私の返事を、待っているのだろうか……。――そうなのだろう、けど、数珠里さんのこと、事件のこと、あの子のこと、状況……、

 ぐるぐると思考が回転して、訳が分からなくなった。正しい答えを返せない、導き出せない。そもそもでそんなものがあるのかどうかだって判断できず、正解なんてものは、なんでもいい、自分で出した『答え』で、簡単なものだけれど、私はそれも出せない――。

 そして時間はなくなり、カウントダウンはゆっくりだけれど、ゼロに近づき、一は、ゼロと密着し、それでも声は発せられた。発せられていた。


 私ではない――誰かの声。


 私の隣からの声――もちろん、数珠里さんではない方の。


 そう――男の声だった。


「――合ってるぜ、それ」


 かけられた声に、私と数珠里さんは、同時に視線をそちらに向ける。そこにはさっきまで、ずっと椅子に寄りかかって眠っていた、存在感が薄過ぎてまるで死んでいるのかと、物語上、死んでいる扱いなのかと思ってしまうほどに、空気のようにそこにいた――半人前の警察官。

 私と、もう一人の警察官の、もう一人の方。


「俺とそいつ――御鈴木みすずきは、警察だ」


 越村こえむら阿道あみち――、

 私の現時点での『相棒』であり、『天敵』の男である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る