第10話 護衛対象の少女

「…………」

 また沈黙してしまったけれど、これは驚いて固まってしまった、とかではなく、ただ単純にきまずいだけである。

 警察官としては、いくら正体を隠しているとはいえ、護衛対象の人には安心を提供しなければいけないのに、今、彼女の中に安心を作り出すことが、私はできていなかった。


 不安を彼女に抱かせてしまっている――それに、陰ながら正体を明かさずに守るつもりだったのに、正体もばれてしまっている。私のミスだらけだった――、なにもしていない越村の方が、これでは評価が高くなってしまうではないか……まったく、それは納得できない。


 まあ、ともかく、色々とばれてしまっている現状、過ぎてしまったことに文句を言っても仕方がない。やり直すよりも修正する精神で進むしかないだろう。


 顔見知りの殺人犯を見つけてしまって不安を感じ、私の存在、その正体までもを見破り、だからこそ、事の重大さを正面から受け止めてしまった彼女……。

 けれど私の正体――警察官(半人前だけど、一般市民からすれば関係ないか)。

 それは事件性を誘発させてしまうものだけれど、同時に安全性にも繋がる。


 警察が、見えるところではないにしても、守ってくれている、というのは、心の不安をいくらか和らげてくれて、安心を増幅させてくれる。

 まあ、それは人物の印象にもより、屈強な男ならば頼れるものだけれど、私みたいな線の細い女性が守ってくれているとなると、不安が逆に増大してしまうかもしれないが、まあ、そこは仕方ない。人物ではなく、組織として見てくれとしか言いようがなく、全ては彼女次第なので、これ以上は私にはなにもできない。

 もっと私が、有名な警察官だったのなら、印象は変わったのだろうけど。


 あ、ちなみに――、

「隣にいる男も、私と同じだから……安心して」

 と、彼女に説明をしておく。

 守ってくれているのが男となれば、彼女も私の時よりはいくらか、不安がマシになるだろう。こういう時は、越村は便利である。実際は特に働きもしない、ぐーたらで怠惰なやつだけれど、人の空想の中では頼りになるとイメージされ、印象としては便利である。


 警察官として頼りになるイメージを抱かれるというのは、嫉妬してしまう才能だ。


「……ま、働き出したらそのギャップで、毎回のように相手に落胆されるのは、あいつの立場だったらもの凄く嫌だけど……」

 ギャップのせいでそこまで酷くないのに、もの凄く酷いことだと評価を下されるのは、いい気味だと思いながらも、少し可哀そうだと同情してしまう。まあ、すぐに後悔するんだけど。


 越村はテキトーで、怠惰で、あんな性格なので、他者の、しかも関係のない人からの評価など気にしない。どれだけ低くとも、どれだけがっかりされようとも、まったく気にしない。警察署での評価くらいだろう、あいつが気にしているのは。


 それは警察官としてどうなのだろうか、と思うし、本質を知られてしまった一般人から頼られない今の状態を、特に訂正しないところを見ると、このままでいいという気持ちが見て取れるし、ならばなんのために警察官になったのだろうと、素直に疑問に思った。


 興味がないのでどうでもいいけれど――。


 すると、

「――なにをぶつぶつ言ってるの?」と、彼女が聞いてくる。


 説明する気はないので、まあ、言ったところで分からないだろうし……なので、

「いや――なんでもないですよ?」と言って、次の話題、事件云々は関係ない、世間話でも話そうとしたところで、紅茶の良い匂いが目の前に現れた。


 駿河さんが、はい、と言って、テーブルの上に置いてくれる。紅茶は一つである――、私はおかわりを望んでいないし、注文もしていないので当たり前なのだけれど、駿河さんは、

「あ、ご、ごめんなさい……涼綺ちゃんの分……」

「いや大丈夫ですよ、お腹いっぱいです」


 そう……? と駿河さんにはまったく非はないのに、彼女は申し訳なさそうな顔をしている。

 そんな顔をしないでほしい……、

 これでは私が駿河さんを困らせたみたいだし、そんな自分に嫌気が差してしまう。


「えっと、駿河さん――これは、駿河さんが淹れた、んですよね……? さっき、はりきりながらキッチンへ向かった数珠里さんじゃ、ないですよね……?」

 申し訳なさそうな駿河さんが元に戻るには時間がかかりそうだったので、無理やり話題を作り、質問をすることで、心は無理にしても、表情くらいは戻せるかと、質問してみた。

 これは今の状況に関係なくとも、聞いておきたい内容だったので、一石二鳥だった。


「はい――最初から最後まで、わたしが作りました。痛恨の一撃です」

 渾身の一品ですみたいな感じで言われた。

 この紅茶にはダメージ効果でもあるのかな。


「……わざと?」

「いや、素だと思うけど」

 彼女は駿河さんを見てそんな感想を漏らした。駿河さんは、わざとそんなことは言わないと思う。人間関係はさっき形成されたばかりで、なにも知らないに等しい関係だけれど、それくらいは分かる。いやほんとなんとなく。


 弱気がメインな駿河さんだし――冗談を言うにも自信なさげに言うだろうし……だから自信満々に言っているのだから、これは素なのだろう。

 きっと、いつも通りの料理人としての顔で、事務的に言ったのだろう。

 だからブレなく、淡々としているのだ――だとすればシュールだけれど。


「そう……」と言いながら彼女は一口、紅茶を口へ運ぶ。

 休日のお昼、家の庭で、白い椅子に座りながら飲むような情景が浮かんできた。それくらい彼女が紅茶を飲む姿というのは、絵になった。

 さすが――と言うべきか。この絵に関して、文句はなに一つない。


 あるとすれば、遠くから薄っすらと聞こえてくる、数珠里さんと行方野さんの、ミルクティー作りの揉めごとの言葉くらいだろう。それしかない。それだけが圧倒的に邪魔だった。

 どれだけ集中して絵の中に入ろうと、邪魔するように言葉が目の前を通り過ぎて行く。


 ミルクティー、一つ。それを作るだけなのに、なぜあそこまで言い合いになるのか分からなかった。数珠里さんと行方野さんだからなのだろうか――、でもあの二人、元々、関係はないのだと思うけど……。だって体操選手と、医者……いや、可能性としては高いのか。


 スポーツマンには必ずと言っていいほどに付きまとう、怪我。それを治療するのが、医者なのだから。それか、芸能界(――の先っぽくらいだろう)に数珠里さんがいた時に、体操選手としての行方野さんと、どこかで、会っているかもしれない。

 体操選手の方は、色々と、突発的に芸能界に入るものだし――ゲストとして。


 だから、ただ仲が良いもの同士の喧嘩――喧嘩するほど仲が良いくらいの甘めのものだと思っていたけれど、思いのほか、行方野さんの言葉がマジトーンだった。

 それに応えるように数珠里さんの方もどんどんとヒートアップしていき、なんだか、がちゃがちゃとキッチンが騒がしかった。


「――ちょ、ちょっとキッチン、見てきます!」


 慌てて駆けて行く駿河さんを見送っている私を見つめて、紅茶を飲んでいる彼女が、ぼそりと言ってきた。


「……ねえ、たぶんあんたが行かないと止められないと思うけど――」

「……やっぱり?」


 やっぱり、駿河さんだけでは頼りなさ過ぎた。なにもできずに彼女は弾き出されて、床に座って、あわあわと、どうすればいいのか分からずにおろおろしているだろう――、そんな情景が、動いた私の目には、もう見えていた。

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