第9話 同乗する者

「…………」

 一同は沈黙した。それは、そうだろう――だってスマホをいじっていた彼女は今まで、そのままの意味で今まで、乗船してから今まで、誰とも、話してはいなかった。

 隣にいる男性とは、話したりはしたのだろうけれど、だから彼は特に、彼女が声を発したことに驚いてはいないのだろうけど――私たち、主に私たちのガールズメンバーは、初めて彼女の声を聞いて、固まってしまった。

 なにも言えずに沈黙したまま――次に発せられた言葉は、同じく彼女からだった。


「ねえ、聞こえてるの? そこの――料理人さん。紅茶、美味しかったから、おかわりって言ってるんだけど」

 彼女はティーカップを突き出して、注文してくる。


 言われた駿河さんは、放心状態から強制的に一足早く元に戻り、――は、はい! と年下に向かって敬語で答えながら、席を立つ。

 お客さんの年齢はゼロから無限(いや、あり得ないけれど)となっているので、料理人からすれば年下だろうが敬語で話すことに不思議はないのだろう。

 年下でもあり、それよりも優先されるのは、お客さん、という肩書き――だからプライドなどこの場には必要ない……。料理人としてのプライドならば、必ずお客さんを満足させる料理を作るという一点のみである。


 彼女からティーカップを受け取り、駿河さんはキッチンへ向かう――するとそれを追いかけたのは、いつの間にか放心状態から元に戻っていた、行方野さんである。いや、彼女は元々から放心などしていなかったのかもしれない――ただ、空気を読んでいただけ、の気がする。


「いのりん、ついでにあたしもおかわり。今度こそはミルクティーな」


 どれだけミルクティーが好きなのだろう、行方野さんは。

 しかも、なぜそこまで押すのか……流行っているのだろうか。


「あ、そうだ――私も紅茶、淹れてみたいな。いのりんっ、私も私も!」

 と言いながら慌ただしく席を立ったのは、誰も彼も彼女も一発で分かるであろう存在の人である、そう、トラブルメーカー、ムードメーカー、数珠里さんである。


 彼女は手ぶらで、駿河さんを追う行方野さんを追って、キッチンへ向かって行った。手ぶら――ならば、自分のを淹れるわけではないのか……。

 ということは彼女のティーカップか、行方野さんのティーカップの中に入るものが、どちらかが数珠里さんの手によって淹れられるというわけだけれど、まあ、行方野さんのだろうな、と思った。彼女の注文は駿河さんの紅茶なわけだし。

 けれどそこをあえて数珠里さんがやる、という可能性も――あり過ぎる。


 まあ駿河さんがいるし、絶望的に不味い紅茶など作ることはないだろう。だから誰も不幸にはならない。誰も不満を漏らすことはないだろう――と思っていると、


「数珠里さん、もっと丁寧に……って、なんでそんなに乱暴にやるんですか!」

「え? でも、いのりんのを真似してやってるだけなんだけど――なにか違うの?」


「言ってしまえばほぼ違います! 

 もっとこう――上手いこと臨機応変にできないんですか!?」


「いのりん、牛乳がないぞー?」

「それは船長にでも聞いてください!」


 駿河さんが忙しくツッコんでいる。状況が人を変える良い例だった。


 あの様子じゃ、もう少し時間がかかるなあ、と思って、私は視線をキッチンから逸らした――そして見たのは、さっきの放心状態の原因である彼女……少女の方である。


 彼女はさっきと変わらずスマホをいじっている――わけではなかった。スマホは持っている、けれど、角度的に見えてしまうのが、画面は真っ暗だったのだ。だから今、彼女はスマホを持ってはいても、操作はしていない――なにもしていない、ということになる。


 ならばなぜスマホを、自分の顔の前にまで上げているのかと言えば、私もよくやるけれど、つまりはフェイクである。たとえば誰かを盗み見る時に(そうそうない状況ではあるだろうが)、周りの人間から怪しまれないように、顔だけはスマホに向けて、視線だけを標的ターゲットに向ける。そうすることで違和感を気取られることなく、観察することができるというわけだ。

 ただまあ――徹底するのならば、画面はオンにしておき、なんでもいいからテキトーなサイトでも開いておくのが一番良いのだけれど、彼女は別に専門家ではないし、徹底しているわけでもないのだから、評価は甘くてもいいだろう。


 さて、そんな説明をしておきながら、彼女の目的がなんなのか分からないというのは、私の株を下げてしまうことになるので素直に言ってしまえば、彼女は私を見ていた――盗み見ていた。

 拙いながらも、それなりの技術を持って、私を観察していたのだ。


「……ふーん」と、口の中で呟いてみる。

 一体、なにを見ているのだろう――私の、なにを。


 怪しまれている……だからこそ観察されているのだろうけど、私の予想では、これまで、ぼろは出していない気がする。いや、出していないのが逆にぼろになってしまっている――とかかな。今更だけれど、そっちの方面での対処はしていなかったし、今のところ思いつかないので、これは完全に私のミスだった。

 にしても、まさかそこで悟られるとは思わなかった。盲点だと思っていたのだけれど、まあ、一部の鋭い人からすれば、大胆なのかもしれないか。


 確かに――会話は全て筒抜けだった。

 数珠里さんは医者で、駿河さんは料理人で、行方のさんは体操選手で――、ただこの中で唯一、私だけは自分の職業を明かしていない。自分のことを、話してはいない。

 それは彼女からすれば、この四人の中では一番、怪しいと感じているのだろう。


 怪しい――怪しんでいる。彼女がもしも、正体が分からない私を怪しいと感じているのならば――もう既に気づいている、というわけか。

 それもそうか――いくら過去のことで、衝撃的なことだったとは言え、そうそう人の顔など忘れないだろう。それに彼女の場合は、忘れてはいけないことであるだろうし。


「…………ねえ」と声をかけてきたのは、意外にも彼女だった。

 観察していることが、ばれたから、仕方なく話しかけてきた、ということだろう。

 嫌そうな顔をしている――まあ敵対心がないだけ、まだマシか……。

「そっち、隣、いい?」


「えっと――まあ、はい……いいですよ」

 断る理由はない。すると、


「いいのか? あんまり一般人とは話したくなかったんじゃないのか?」

 と、隣にいた男性が声をかけた。

 彼は嘘なく、彼女のことを想って言っているのだろう――、それが仕事だし、当たり前の対応だった。


「いいのよ……あの人は、別に」

 彼女は立ち上がり、彼を椅子に留める。

「あんたは来ないで。女の中に男は邪魔でしかないから」

 去り際に凄いことを言ったよ、あの子。


 言われた彼は頷くことなく、椅子に深く、腰をかけ直した――そして彼女はテーブルを回ってきて、私の隣に座る。これで越村の横顔を見なくて済む……けれど、彼女の背は低いので、完全には隠れてはいないのだけれど、それでもいい障害物にはなる。

 全開よりは、全然、満足できるレベルだった。


「……それで、誰に頼まれたの? 

 余計なことをしなくても――、わたしは殺されたりなんかしない」


 彼女は横目で睨みながら言う。当然、小声で、誰にも聞かれないようにして。

 こんな不穏で、殺伐とした言葉、聞かれたらそれだけで騒ぎになるのだから。


 殺されたりしない、というのは、自分に自信があるのか、それともただの慢心か――まあなんにせよ、彼女の言葉を、はいそうですか、と信じることはできなかった。

 その言葉自体が、もう既に殺されるフラグになってしまっている。自信を持っているからこそ、慢心しているからこそ、油断は生まれ、思ってもみなかった状況に飲まれて、体は自由に動かせず、殺されてしまう。


 だから自信があろうとなかろうと、慢心していようがしていなかろうが、こちらの対応は変わらずに、私が――否、私たちが送られることにはなったのだろうけど。


 彼女の問いに答えるとしたら、頼まれたのは誰、という個人ではなく、言うとすれば、警察という、組織である。

 警戒しているからこそ送り込まれただけだ。

 可能性の話――なにも根拠も確証もないけれど、事前に事件を防ぐために、私たちは送り込まれてきた。彼女が殺されてしまう可能性が見えたから、可能性が低くても、そういう可能性が見えてしまっていたから、送り込まれただけなのだ。


 そう説明すると――彼女は、

「ふーん、そういうことなら、わたしがなにを言っても、どうせ無駄なんだろうね。……あんたは、わたしの観光を、監視することで邪魔をするわけ?」


「いえいえ、邪魔にならないようにします。

 ここだけの話、私たちも観光をしに来ていますからね」


 本当ならば、一人で来たかった。一人で来れば、もっと楽しめたのに。


「……上の人も、心配性なんですよ。殺すわけない、と思いますけどね――たった、一日、一時的に外出した殺人犯が、すぐにばれると分かっていて、殺人なんてするわけがないでしょうに」


 きちんと監視だってついているのだ……できるわけがない。

 ね? と同意を求めると、まあね、と彼女は返す。


「そういうわけですから、監視なんて忘れて、羽を休ませてください。

 せっかくの観光ですからね。……と、あと、これはプライベートな話なんですけれど、今日はお仕事、お休みなんですか?」


「休みの方が多いわよ――売れないんだから、仕方ないじゃん」

 と、ふて腐れたように言う彼女。

 ……痛いところでも、まずいところでも、突いてしまったのだろうか。

「あいつ……マネージャーがいるのは、関係を深めるため。――変な意味ではなく」


「え? ――ああ、分かりますよ、そんなこと」

「……変な想像したでしょ?」

「してないですよ!」


 じとー、っと見られた。ほんとほんと、と言っても、半分信じて、半分疑っている、というような目だった。……本当なのに。


「と、とにかくそういうことなので、安心してくださいってば!」


「でも――」

 彼女は自分の胸を手で押さえて、言う。

「やっぱり、完全な安心なんてのは、できないけどね――」


 …………それは、そうだろう。

 殺人犯が、乗っているのだから。


 この船に――この、Eブロックに。


 彼女からすれば自分の姉を殺した、殺人犯が。


 乗って――、いるのだから。

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