第8話 元・アイドル
私が勝った――けれど全然、気持ち良くない。
だってこんなの、同情されて仕方なく教えてくれているみたいなものなのだから。
けれども、それでも――きちんと聞かなくてはならない。私が思った、疑問なのだから。
「昔……私は、芸能界に入りたいと思っていたの」と数珠里さんは言う。
芸能界――そこに入りたいのならば様々なルートがあるけれど……たとえば出演者に限らず、番組や雑誌、芸能界の裏側、縁の下の力持ちのような技術者になるという道もある……、メイクと言えばそのまま駿河さんが勤めていた特殊メイクも、そこの枠に入るだろう。
けれど数珠里さんは、今の性格から言えば、後ろでちまちまとサポートしているような、そんな小さなところで収まっているようなキャラではない。
だからきっと、出演者側を目指したのだろう。
しかし現実、現在は、数珠里さんは出演者になっておらずに、
時間が無かった――ならば、医者になる前はなにをしていたのか。
予測はそのまま数珠里さんの口から語られた。
「ただ、アイドルになりたかったの――」
すると、かちゃり、と紅茶が入ったティーカップが、音を立てた。
数珠里さんでも駿河さんでも行方野さんでもない――当然、私でも。この今までの会話の中に入っていない、誰かのティーカップが、まるで動揺したかのように、音を立てた。
「……まあ、その時もまだ見習いだったんだけどね……。番組なんて夢のまた夢――全然、出れなくて、アイドルを目指しているのにバラエティばっか、お芝居ばっか。歌の練習なんて全然できなかった。それは遠回しに、『お前らは歌唱力は壊滅的なんだから、他のところでできるだけ印象に残らせなくちゃいけないんだよ』と、乱暴に言われているようなものだったわ――実際、そう言っているんでしょうけどね」
もう過ぎたことだから、過去のことだから、そうやって笑い話のように話せるのだろうけど、当時ならば、絶対に口にも出したくない、出せない話題だっただろう。
自虐は心の整理がつかなければ、自分の首を絞めているようなものなのだから――。
だから今の数珠里さんは、もう心の整理はついていて、未練など、ないのだろう。
アイドルに――もうなりたいとは、思っていないのだろう。いや、チャンスがあるのならば食いついていきそうなものだけれど。しかしどうだろう――地獄を味わった人間が、繰り返す可能性を秘めた場所に、もう一度、足を運ぶか、どうか……数珠里さんは、どうだろう。
見た目は強く見えるけれど、中身は脆い――そんなの、溢れるほどに、ありふれている。
「――その時、なんですね、駿河さんの仕事のことを、知ったのは……」
話の流れ的に、そうだろう。過去編に突入——みたいな自然な流れで数珠里さんの過去が明かされているけれど、見失ってほしくない最大の目的は、駿河さんの過去の職業を、どうして数珠里さんが知っているのか――。
そんな、今更になってみれば、なんてどうでもいい質問なのだろうと思ってしまう、私の疑問なのだから。
「ん――そういうこと。いつだったかな……確か、『化物が住んでいるアパート』を舞台にしたお芝居の練習をしている時かな」
凄い設定だな……、それ。その設定ならば、登場人物はみんな、特殊メイクをするだろう。ただの特殊じゃないメイクで化物感を出すのは、素人である私の視点で言えば、難しいと思う。
「――その時、いのりんが、いたんだよね」
「え――あそこに、数珠里さん、いたんですか?」
静観を貫き、休憩していた駿河さんは顔を上げて、驚きの顔のまま固まっていた。
「全然、気づかなかったです……」
「まあ、私の担当じゃなかったし――でも、他の特殊メイクの人たちよりは全然、一番上手だったから、記憶には残っているのかな。あとは、おどおどした感じが、ね。印象深かったから」
だからよ――と、数珠里さんは今度は私の方へ視線を向ける。
「だから覚えていた――いのりん――駿河祈利ちゃんが、今は料理人というのは話している内に分かったし、過去に特殊メイクの職業についているも、段々と思い出してきた。
そういうことよ。あんまり面白い話じゃなくて、ごめんねー。
人の挫折話なんて聞きたくなかったでしょう?」
「いえ……ありがとうございます。わがままを言って、すいません」
「いいのよそんなのー。まあでも、それでも罪悪感を少しでも感じているのなら、涼綺ちゃんの話も聞かせてほしーなー。んー、じゃあね、あの子とはどうやって知り合ったのー?」
「あの、越村の話はもうNGでいいですか?」
そろそろ、いじり過ぎじゃないだろうか。
反論のパターンがもうないほどに消費されている。
あはは、ごめんごめーん、と無理やりに笑っているように見える数珠里さん――やっぱりさっきの話は、少し以上に、心にダメージを与えてしまったのかもしれない。悪いことをした。これ以上は、話題に出さないことにしよう。と、私が心に決めた次の瞬間、
「え? 終わり? どうしてアイドルを辞めたのか、聞いてないんだけど」
空気を読めない人が、空気を読めていない質問をした。行方野さんが、きょとんとした様子で数珠里さんにそう聞いた。
なぜ、アイドルをやめたのか――そこはトラウマになりそうな、きっと、数ある、人の言いたくないことが溜まる場所でも、中心に居座っているような話題だと思う。
どうして、挫折したのか――その理由。行方野さんは、それを聞いたのだ。
――恐っ、この人、恐っ!
普通、そんなことを真正面から、しかもオブラートに包まずに聞くことなどできない――私は絶対にできない。想像もしたくないな、こんな状況なんて……。
そんな中、数珠里さんはと言うと、
「ああ、挫折した理由? 単純に飽きたから」
「飽きた!?」
思わず声が出た。
「そ、そんな、たったそれだけの理由なんですか!? 他にもっと、格好良い理由とかないんですか!?」
「格好良い理由の方が探すの大変そうだけど……。音楽性の違い、みたいな?」
「解散理由です、それは」
そんな指摘はどうでもよくて。
飽きた――それだけ。
なんだろう、もっと――たとえばお前はアイドルに向いていないよ、と言われたとか、上を見て絶望感に打ちひしがれたとか、心がもたなくなったとか……。
格好良いとまでは言わないけれど、その理由だけで短編小説でも書けてしまいそうなドラマチック感の強い理由でもあるのかと思っていたけれど、そんなことはなく、ただの、気分――だった。まあ、数珠里さんっぽいと言えば、これ以上ないくらいに、それっぽいけれど。
それか、彼女ならば、医者になりたくなったからやめたんだ――とか、超ありそう。
「ふーん、飽きたってことは、自発的なんだなー」
「そういうことー。そんなに気になったの? 私が辞めた理由が」
「うん。なにか悪口でも言われたとか、脅されたとか、無理やりに辞めさせられたとか――他者の力が介入して夢を食い潰されたのならば、やったやつ、許せないな、と思って」
と、ちらりと行方野さんが、言いながら牙を見せる。
もちろん実際のではなくて、攻撃的な一面という、比喩の話で。
体操選手である彼女は、子供の頃からの夢を現在進行形で叶えようとしていて、そしてある一面から見れば、叶えることができている――数少ない人であると言えよう。
一度や二度くらいは夢がぶれることはあるけれど、しかし彼女はぶれることなくずっと、そのまま、体操選手、一筋――本人が言うのだから、嘘ではないのだろう。
だから夢を、無関係な他人に勝手に潰されるというのは、許せないのだと思う。努力を潰されるのを、理不尽な攻撃を、許さないのだと思う。
だから一番、気になったのだ――夢を叶えようと頑張っていた、数珠里さんの、その辞めた理由を。それが自発的なものだと知って、安心したのか、さっきのようなプレッシャーは、もうない。いつもの通りに戻っていた。
「心配してくれたんだねー」
「そんな好意は向けてない」
「照れてるよー、このこのっ」
と、数珠里さんは行方野さんのことまでいじっている。怖いもの知らずだった。
でもまあ、と数珠里さんが言う。
「……挫折のきっかけ、あったにはあったけどね――いたにはいたのよ……私が頑張っていた、まさにその時期——同時期に、凄いアイドルになりそうな、アイドルが――」
その子も結局は夢叶わず……いや、もしかしたら、ある一面からすれば、叶っていたのかもね、と数珠里さんが言うのと同時。
また――紅茶の入ったティーカップが、かちゃりと音を立てた。
動揺したような、音。
さっきとは違い、会話の終わりに鳴った音なので、みんな、意識がそちらに移ってしまった。その、ティーカップを鳴らしてしまった、さっきまで片手でスマホをいじっていた少女は、鳴らしたティーカップをこちらに向けて、無愛想に、
「――おかわり」
と言った。
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