第7話 女子体操・行方野未来
「美味しかったです」
そう言うと、駿河さんは安心したような表情を作り出す。
ほわー、っとした表情だった。
行方野さんも数珠里さんも同じく、評価は美味――だった。ただ行方野さんは未だにミルクティーを欲していたらしく、駿河さんに頼んでいた。
料理人である駿河さんは無茶振りのような注文に文句を言わず、やる気を出して、よしっ、と拳を握り締めていた。料理人としてのスイッチでも入ったのだろうか。
そんな駿河さんに向けて、唐突に、
「そう言えば――自分の顔を作ることはやめて、体内に入るものを作り始めたのは、なにか理由でもあるのー?」と、数珠里さんが聞いた。
顔を、作る? なんだか不気味で不穏な単語のように思えたけれど、冷静に考えてみれば、それは全然、不気味で不穏なものではなかった。
きちんとした仕事で、全てが全て、不明なわけではない。
自分の知識のなさ――というか、
咄嗟の、脳内の引き出しの開けづらさに恥ずかしさを覚える。
「えっと、それは、ですね――」
「へえ、いのりんって、そーいうのもやってたんだな」
私を置いて話が進んでいく――明確な答えが出ないままだった。
一応、私の確信がない知識はあるけれど、しかしこのまま進んでいくのはあまり、よろしくない。けれど今更『聞く』というのも、自分の世間知らずを晒していることになるので、あまりしたくはなかった。
しかし顔に出ていたらしく、それを察した数珠里さんが説明してくれた。ただ、とってもとっても、馬鹿にしたような笑みを見せながら――。
まあ、からかっているだけなんだろうけど。
「いのりんはね――」
と、数珠里さんまでもが駿河さんのことを『いのりん』呼ばわりしている。さっきまでは普通に祈利ちゃんと呼んでいたはずなのに……。行方野さんの影響力、絶大。
「――いのりんはね、料理人になる前は、特殊メイクを仕事にしてたんだよ」
特殊メイク――それって、映画で『
そういう知識は遺憾ながら持っていないので、上手いこと、分かりやすくは表現できないけれど、特殊、と言っているのだから、普通の、私でさえしている化粧のことでは絶対ない。
そう断言できる。
その職業を、駿河さんが勤めていた、というのは、少し以上に驚いた。
あれこそコミュニケーション能力を必要としそうなもので、今の駿河さんを見れば、とても勤まっていたとは思えないけれど。
「だから、ですよ――」
すると、駿河さんが私の内心を見破ったかのように返答してきた。
「上手いこと、出演者の方と意思疎通ができなかったので、特殊メイクの方も上手くできなくなっていって――だからやめたんです。そして料理人になりました」
そこで料理人になるという発想が凄いと思うけれど――、だってゼロからのスタートというわけだし。いや、なにもなく、ただ漠然と料理人になると思ったわけではないのだろう――元々、趣味で料理人の免許は持っていた、とか、料理が好きで得意だった、とか、家が料理店だった、とか――、そういう多少の経験から、決めたものだと思っていたけれど、駿河さんは、
「特殊メイクと同じ、制作ですから――これなら、わたしもできそうだな、と思いまして。
それに、キッチンの中にいれば、話すこともないですし」
と、すごく軽い理由で料理人を目指していた。
免許はなく、料理が好きでも、元々から飛び抜けた才能があるわけでも、なにかコネがあるわけでもなく、特殊メイクの仕事をやめて、すぐに専門の本を買い、独学で料理人を目指して、気づけば一年後には、料理人になれるくらいの技術は得ることができていた。
そしてそれを一発で、その世界に通じている人に、分からせた。
実力を、叩き込ませた。
努力の末にこうして、駿河さんは料理人をできているというわけだった。
敵対心を持ってしまうような、けれど憧れるほどの――努力の人だった。
人間、なると決めたものへ、一直線に、ここまで努力して、すぐに結果を出せるものだろうか――私は、きっとできないだろう。諦めることはないけれど、それだけだ。短時間なんてあっという間に過ぎてしまう。
結果を出すことができずにそのまま、『いま頑張っている』で満足してしまって、前進することなく停滞して、現状維持をしてしまう。
それは、私と、駿河さんの、明確な違いだった。
私と、一般人の、明確な違いだった。
私と夢を持つ若者の、明確な違いだった。
比較して、自己嫌悪……。
すると、ネガティブなオーラが出てしまっていたのか、駿河さんが、
「大丈夫、ですか……? 紅茶、もう一杯、飲みます?」
と、心配そうな表情で言ってくれる。
その優しさは嬉しいけれど、ある一面、ネガティブ面から見てみれば、見下されているようにも見えたけれど――、私相手なら、納得の対応ではあるので、明るく返す。
「いや――また後で、お願いします。心配かけてすいません。私は元気ですよ」
空元気だと自分でも分かったけれど、ここは無理やりに握り拳を作り、元気をアピール。
駿河さんも納得したようで、ん、と頷いた。
「にしてもさ、いのりん。嫌になって特殊メイクをやめたとか言ってる風だったけど、ならなんで、特殊メイクの道具、持ってきてるの? この箱――」
どん、と小さくはない音を立てながら、数珠里さんが机の上に、緑色の、少しだけキラキラとデコレーションされている立方体の箱を取り出した。
大きさは、両手で抱えるには大げさか……? でも中には色々と詰まっているらしく、片手だと、女性ならば持てないくらいの重さだった。
取っ手がついているので、カバンのようにぶら下げることで、持つことはできそうだけれど――やはりどうあれ、軽く持ち上げることはできそうにない。
「おー。色々と、入っているじゃん」
行方野さんが、開かれた箱の中身を見てそう感想を言う。
数珠里さんは雑に、中身をどんどんと出していく。それを見て、駿河さんが、
「うわうわうわうわ――な、なにしてるんですか勝手に人の物を!」
強気だけれど半泣きだった。やっぱり駿河さんは駿河さんのままで、なにをされても感情を出しても駿河さんなんだなあ、と思った。
やめてあげてと言いたかったけれど、素直に中身には興味があった――だから私もここは便乗して、箱の中身を覗き込み、そして出された道具にも少し触れてみる。
「涼綺ちゃん!?」
「駿河さん――これ、なんですか?」
「あ、それはね――」
嫌がりながらもきちんと説明してくれる駿河さんは、やっぱり優しい人だった。
それから、少なくはない、言ってしまえば多大な時間をかけて説明された内容――私からすれば興味津々で、未知なる領域に分けられる特殊メイクという職業……、そしてそのための道具を駿河さんから説明されている間というのは、他の、たとえば『遊び』に関して情報を仕入れている時よりも、それらを圧倒するような集中力を発揮することができた。
これはやはり、私の性格の結果であって、知らないことを新しく脳に叩き込むのが本能として楽しいのだろう。だから時間なんてあっという間。紅茶など、もしも残っていれば、冷水のように冷たくなってしまっていただろう。
この時間は楽しかったけれど、少し疲れた――脳みそを使い過ぎて少し眠い……。
まあ、私のことはともかく、今までずっと聞きっぱなしで話っぱなしだった駿河さんの口を休ませてあげなければ。頭から煙を出しているし……爆発しそうな不安が溜まっている。
そんな駿河さんとは違って、(まあ役目が違うのだから当たり前だけれど)数珠里さんと行方野さんは、まだ元気が残っているらしかった。
逆に、さっきよりも多いのではないか――。最初からスタートが違うのだ、でも体力は有限なはずだけれど――、もしかしてこの人たちは無限なのではないだろうか……。
そう言う私も、同じようなものだけれど。
物理的なダメージを抱えている分、人外度は増しているけれど。
言い過ぎかもしれないが、瀕死な状態である駿河さんへの追撃を防ぐために、私は数珠里さんへ話題を振ることにした。
振る話題とは、さっきは気になったけれど、特に指摘することはなく流していた、しかしあらためて思い返してみればやはり気になるなあ、というような話題だった。
それは――、
「それで数珠里さん、これはただの疑問なんですけれど――、どうして駿河さんが過去に特殊メイクの仕事をしていたってこと、知っているんですか?」
「そんなことより、涼綺ちゃんはまだいのりんのことを駿河さんって呼んでいるの? 余所余所しくて、見上げているみたいだよ?」
「まあ……年上ですから――いのりんなんて、言えませんよ」
「えー、でもいのりんは望んでいるよ?」
「望んでないです!」
即答された。
駿河さん、ダウンしていても言い返す体力は残っているらしい。
けれどもすぐにがくんと肩を下ろして、それ以上の言葉はなかった。……後は任せた、みたいな雰囲気を出している。数珠里さんが逆立ちしても、いのりんとは呼ばないので安心してください。だって恥ずかしい――、その呼び名で受けた時の駿河さんの反応が、なお恥ずかしい。
「素直じゃないなあ……」
と、にやにやしている数珠里さん――というか、さっき勝手に話をずらされたのだった。すぐにでも修正しなければいけない。
重要な話題ではないけれど、駿河さんへ向けた時間稼ぎのために。ここは、粘るのだ。
「数珠里さんはどうして――」
私が話題を戻そうとしたところで、数珠里さんは、そんなことより、と言いながら、箱を取り出した。これは軽そうだった。いや実際、軽い。だってそれはさっき見たばかりの、真っ白な立方体の箱だったのだ。
駿河さんの特殊メイクの道具を入れている箱と、似ている――けれど完全に違うものだ。
救急箱である。
それを机の上に置いて、蓋を開ける。駿河さんに対抗しているのだろうか――自分の現在の仕事道具を晒している。まあ、興味がないと言えば、嘘になるけれど、自発的に出されたわけではない興味では、長続きしないのは、目に見えている。
「色々と紹介……しようと思ったんだけど、まあ、私はまだ見習いの医者だから、へえ凄いなあ、的な、もの珍しい、珍具なんて持っていないんだよね――、ううん、失敗失敗。
これじゃあ紹介する私が楽しいだけか――」
言いながらそっと箱を閉じた数珠里さん。
彼女にしては珍しく気を遣った態度だった……。そう思ってしまうほどの無礼なキャラクターを、出会ってすぐの私に叩きつけるように押し付けてきた数珠里さんのことを、今更ながら凄いなあと思ってしまった。
不名誉な類なんだけれど――まあ、凄いことに変わりはない、か。
「いや、興味はありますよ? 中にあった、注射器とか針とか聴診器とか包帯とか、たくさん仕事道具が詰まっていて……。そうですよ、それは夢の箱です――興奮してますよ!」
「もう、嘘を頑張って言わなくていいんだよ、涼綺ちゃん。私は失敗したの。空気を読めていなかったの。だからこれは私が自業自得で喰らった、因果応報の結果なの」
そんなことは――ないとは言い切れないところが、また数珠里さんっぽい結果だなあと。
「あ、じゃあ――さっきちらりと見えたあの小さな注射器、可愛いですね。赤ちゃん用の注射器ですか? でもあんな小さな針じゃ、肉体を突き刺せるかどうか怪しいものですよね?
数珠里さんはそう思ったこと、ありません?」
「じゃあって言った! 今、じゃあって言ったよ! それって、『なんだこいつ落ち込みやがって、仕方ないな、こういう話題を出しておけば元気にならなくとも顔は上げてくれるだろう』という感じがすっごく伝わってくるんですけど!」
長々と文句を言われた――けれど、私の企み通り、いや企みと言うほど、計画性なんてものは微塵もなかったけれど、私の株を上げるために訂正はしないでおこう――。
そして驚きの話、数珠里さんが言ったその予想通り、数珠里さんは元気になった。
さっきよりは、全然、元気。
これこそ数珠里さんって感じ。
出会ってまだ一時間くらいの、浅い仲だけれど。
「はあ――まったく。あまり言いたくないってこと、察してくれないのかな、涼綺ちゃんは」
と、ついでのように、それがメインになっているかのように、びよーんと私の左右の頬を伸ばしてくる数珠里さん。
私はと言うと、頬が伸び切って口を塞いでしまっていて、言葉は漏れるだけ。
かろうじて言語になっているけれど、解明は無理。聞き取れない。
救急箱をしまって、いつもの明るさを三割ほど沈ませたシリアスな雰囲気の数珠里さんを見れば、やはり私のさっきの質問は、意図的に逸らしていたのだろう。
あれだ、数珠里さんがなぜ、駿河さんの過去の仕事を知っていたのかという、謎の部分だ。
「もう、涼綺ちゃんってば、あんな些細な、引っ掛かった部分なんて後々になんの影響も与えないんだから、さらっと流しちゃえばいいの。
いちいち突っかかるから、いちいち解こうとするから、彼氏にもいじめられるのよ」
「もうそのいじりは勘弁してくれませんか……?」
どれだけ越村とセットにされなければならないのだろう。まあ、常に一緒にいるのが悪いんだけど。だからと言って離れているのも、仕事上、よろしくない。
「…………」
沈黙は思考時間。確かに、勝手に人のプライベートを探るというのは、人としてはずれてしまっているだろう。本人が嫌がっているのならば、無理にするのは、それは罪になってしまう。
警察なのだから、それは守らなくてはならない。
事前情報として知っているのは、さすがに名前と、表面に出ている、明かしてもいい光の部分なので、過去という闇の部分までは知らない。
今回の事前情報では、不明の部分の方が多いのだから、あらゆる場所に初見が付きまとっている感じだ。だから探っていくのは推奨されている行動だけれど、ただ――、ここで変に怪しまれるのも、損をしている。勿体ない。
だからここは一旦、引くべきだ、と思ったら――、
「まあ、隠すほど、悪いことをして知ったってわけでもないしね……まあ、いいか」
と、数珠里さんは私の粘りに、思ったよりもあっさりと負けた。
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