第6話 複雑のティータイム
「へー、ほー。涼綺は彼氏と一緒に観光をしにきたんだなー」
「……!? …………っ!?」
真面目に体が硬直した。なにも言えないというのは、核心を突かれたのと対極の場合でも起こり得るんだなと、この身で知ることができた。
彼氏、ね――彼女たちの視線の先には、寝に入っている越村がいるので、そういうことだろう。なんで、なぜ、いきなり、そんなことを! と思ったところで、ああ、数珠里さんだな、と答えを導き出せた。
色々と根拠はあるけれど、彼女がくすくすと笑いながら私の方へ、素直になっちゃえば? 的な表情をしていたので、それが最大の要素となった。
なぜか彼女は、私と越村をくっつけようとしてくる。そんな可能性は万に一つもないのに。……ああ、ちょっと想像しただけで吐きそうになった。絶対に無理だろう。
「んー、もう、初々しいよねえ……!」
「――もう、数珠里さん、やめてあげましょうよ――涼綺ちゃん、困ってますよ……」
「いいのいいの、涼綺ちゃんは私のおもちゃなんだから」
「違いますよ!」
私の否定に数珠里さんが、えー!? と文句を言うけれど――当たり前です。
疲れた体にさらにダメージが与えられて、はあ、と溜息を吐き顔を上げると――目が合ったのは、位置的に数珠里さんの目の前に座っていた、茶色の髪をした女性だった。
茶髪の毛先がくるくると、変な癖がついている――いや、つけているのか――女性は、
さり気なく初対面である私のことを、下の名前で、しかも呼び捨てにしている。別に嫌ではないけれど、早くないだろうか……。人の懐に入ってくる速度が、めちゃくちゃ早いんだけど。
それもそうだろう――、だって彼女は現役の女子体操選手である。体をアクロバティックに動かすのは得意だし、ゼロからマックス、マックスからゼロへの速度変化、俊敏性は、私たちの誰よりも速い。それが人間関係、そして会話に転用されていてもおかしなことではない。
しかし、その現役女子体操選手が、なぜ、今、この時、このクルーズ船に乗っているのかは、事前の情報だけではどうにも分からず、直接、本人から聞かなければ詳細は分からないけれど、聞いたところで単純明快に、観光のためと答えるだろう。
変ではないし当たり前――当然。動物園にきたのはなぜなのか、という問いに、動物が見たかったからと言っているようなものなのだから。
「にっひっひー」
すると、数珠里さんと同系統の笑みを漏らす行方野さんは、きっと、恐らく、私の害になることしかしないのだろう。これが年上である……、年下の可愛い子(ここで言う可愛い子というのは、おもちゃとして遊べる子、ということであって、私の容姿が可愛いとかは関係ない)を見つけたら、肉食獣のようにあらゆる手段を使って、可愛がってくる。
獅子は兎を捕らえるにも全力を尽くす――こんなところでも、この言葉を引用するとは……。
この言葉の出番は、日常生活の中でもかなり頻度が多い方だった。
「な、なんですか……?」
行方野さんは笑っているだけで、特になにもしてこない――、それが、一番恐かった。
「って、いうか、ここにはティータイムをしにきたんですよね?
だったら、あの――駿河さん、お願いできますか?」
「えっと、そう、でしたね――」
とりあえず、流れを断ち切ることに成功した――ただ、駿河さんを席から立たせたところで、私をいじってくる原因の数珠里さんと行方野さんは、未だに椅子に座っているのだから、変化がないと言えばないのだけれど。
「それじゃあ、みなさんの分、作ってきますね……」
「あたし、砂糖は多めで」と行方野さん。
「……お茶ですよ?」恐る恐る、と言った様子で、駿河さん。
「うん。だってミルクティーにしたいからなー」
「それ、必要なのは砂糖ではなくて、牛乳です」
「ああ、そうなの? じゃあ牛乳、多めに入れてくれる?」
「できれば紅茶を飲んでくれませんか……? その、わたし、一生懸命、淹れますので……」
「んー。そっか。じゃあ任せたぜ、いのりん」
いのりん、というのはきっと駿河さんのことなのだろう――、駿河祈利……なくはないあだ名だけれど。きっと、駿河さんと行方野さんは、初対面なのだと思う。しかもついさっきの。
駿河さんの、あのまだ打ち解けていない感じは、たぶんそうなのだろう。だとしたらそんな彼女のことをもうあだ名で呼ぶとか……心が強いというか、なんというか。
行方野さんのぐいぐい踏み込む性格は、やはりスポーツマンなんだなと思った。
かちゃかちゃと食器の音が鳴る――駿河さんはそれから話すことはなく、作業に没頭していた。さすがは料理人――、得意分野へ見せる集中力は、誰にも劣らない。
おどおどとした心強くないその性格も、料理に向けては顔を引っ込めているようで、心強くなくとも、力強くはあった。
そして漂ってくる、紅茶の良い匂い。
そのおかげか、会話は中断されていた。つまりは私へのいじりも、一時的にストップしていることであり、このまま自然消滅してくれればいいのだけれど――。
「――ん? どしたの? その手首」
けれども私の願いは叶わずに、私へのいじりは自然消滅することなく、まるで自然に継続したけれど、いじりはいじりでも、このいじりは私に害があるようないじりではなかった。
「……その捻挫の仕方は、後方宙返りをして失敗したと見た」
「なんで分かるんですか!」と答えたのが間違いだった――、
つまりはカマをかけられた、ということだ。
「分かるよー? だって、うん、あたし、体操選手だし、人の肉体を見ただけで、どんな怪我の具合なのかは分かるんだもん――怪我をしてるかどうかもね」
「使えるのか使えないのか分からない特技ですね……」
「使えるでしょ――ま、そんな能力は嘘なんだけど。
単純に、数珠里に聞いただけ。涼綺とそこの子……えっと、んーと――」
「……越村ですか?」
「そうそう、ニット帽の子」
名前を教えてあげたのに、完全にスルーされた……越村に関してだから、別にいいけれど。
「その帽子の子と涼綺の、さっきのお馬鹿で、けれど微笑ましいやり取りのことを、あたしは全部、知っている!」
あの、後方宙返りができないだろうと煽られて、根拠なくできるもんと言い放ち、そして実行——その後、当たり前に失敗し、私は手首を捻挫して、越村は声を大きく爆笑していた時のことを、知っている、だと……?
教えてもらった、だと……? あの場にいたのは、終始ではないけれど、途中から最後までいたのは数珠里さんのみで――数珠里さん?
「……なんで、言っちゃうんですか……?」
「口止めしてたっけ?」
――してませんけど!
してないですけど、そこは気を遣って隠しておくものじゃないんですか!? あれ、これって私の認識不足、私の常識不足なんですか!? ――そんな私の心境も知らずに……いや、きっと数珠里さんは知っておきながら、あえてその読み取った私の心情を無視しているのだろう……。
そして、たはは、と笑った。反省の色なし、詫びるような仕草なし、いつも通りの平常運転のままに、私の個人情報漏洩事件は、私の納得という解で解決することもなく――、するといつの間にか、駿河さんの紅茶が完成していた。
湯気を出しながら、紅茶が入ったティーカップが、おぼんの上に乗っている。
この部屋にいる全員分があった。まず駿河さんは私たちの方にきて、紅茶を行方野さん、数珠里さん、私――駿河さん自身の分を、テーブルに置いた。
それから移動し、越村の前へそっと置き(内心では、別にいいのに、と思った……あんなやつにでも、紅茶を出す彼女の優しさに少し感動)、そしてスマホをいじっている少女と、そのボディーガードらしき男性の前にも、紅茶をそっと置いた。
駿河さんの口が動いていたので、どうぞ、とでも言っていたのだろう。料理人としてその声の小ささはどうなのだろうと思うけど、ずっとキッチンにいるだとすれば、必要な技術でもないのだろうか、と思って、マイナスに見えてしまう駿河さんの個性を、潰すことはしなかった。
こうして紅茶は全員に届いたわけである――ただ、一人はいないけれど。
まあ、この大広間に現時点でいない者は、いるものとカウントしなくていいだろう。
駿河さんが作ってくれたのだから、駿河さんが席に着いてから飲むべきだろうと思って、私は待っていた――まだ飲んでいないから、味はどうだか知らないけれど、匂いからして美味しくない、なんてことはないだろう――。
お礼も言いたかったし、いただきますも言いたかったから。しかし私の真横と斜め前に座っている人物から、ずずず、という音が聞こえてきて、言葉を瞬間的な短時間、失った。
数珠里さんと行方野さんは、もう既に飲んでいる! なにも言わずに、置かれた次の瞬間にはもう既に飲んでいた! いやいやいやいや、礼儀が色々と欠落しているんだけど、そこは警察官として指導した方がいいのだろうか――。いやでも、正体、隠しているし、なにもできない。あー、もう。なんでこんなにも世話を焼きたがってしまうのだろう――私は!
むずむずとしながらも、戻ってきた駿河さんが座ったので――しかも駿河さんまでもが特になにも言わずに、紅茶を飲み始めた。
あなたは、せめていただきますくらいは言うものでしょう――と必死に思うわけだけれど、私が間違っている可能性もあるんじゃないかと、今になって不安になってきた。ここまで堂々と間違いをされると、その間違いがまるまる私にそのまま移動してきたかのように思ってしまう。
……間違っているのは、私?
いや、これはただ単純に生活の違いだ、と思い込むことにした。
学習環境の違い、家庭環境の違いなのだ――そう自分に言い聞かせて、
「……いただきます」
そう言って、紅茶を一口、飲む。
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