第5話 大広間と空気感

 私たちが向かった場所は、三階層に二つある大広間、その一つだった。

 椅子とテーブルがいくつか設置されていて、大人数での食事を含め、談笑など、様々なイベントができるスペースである。食事はクルーズ船の中にいる料理人が作ってくれていて、基本的にはこのスペースで食べることになる。

 このブロックにいる人は必然、部屋で食べる、という注文をしない限りは、食事のためにこの大広間にくる必要があり、面識がない他人同士でも、一番、出会う可能性が高い場所がここである。ちなみに次点で言えば、外である。景色を見たいがために出向いたら、ばったり、となる可能性が高い。


 二つある大広間、二つ目は当然、三階層、このブロックではない、違うブロックの中にある大広間ということになる。

 EブロックとFブロックは明確に分かれてはいても、内部でお互いが絶対に会えない、というわけではない。

 ブロックという区切りは、船の前後、真ん中で分断されるように分かれている――、けれども廊下は共用であり、トイレだってそうだ。前方と後方、それぞれの景色を見たいがためにブロックを跨ぐこともあるのだから、分かれて別々になっているように見えて、実はブロックという境目に、それほど強固な縛りはない。


 だからFブロックの人と出会う可能性は充分にあるのだけれど、今のところ、誰一人として出会えていなかった。

 外からここまで、大広間までの距離の内に出会った新規の人はいないのだから、そりゃそうだろうけど――。あ、でも、出会った、というのを、ちらりと見ただけ、も含めるのだとしたら、出会っていない、ということもないのだけれど。


 後ろ姿だけだった――、廊下を歩いている浴衣姿の、後姿だけでも充分に美しいと分かってしまう女性と、スーツを着崩しているけれど、だらしなくはない、浴衣の女性と同じくらいの年齢である、男性……。私よりも、数珠里さんよりも大人に見えたので、言い方は悪いけれど、老けているように見えるので、社会の荒波をあの手この手、汚い手で乗り越えてきた猛者なのだろう――彼、彼女は。


 さすがに去る二人を追って、声をかけるということはしなかった。話しかけたところでする会話など自己紹介でしかなく、重要な用事もない。

 だからその時は、まあいいや、どちらかと言えば助かった気持ちの方が強かったし、と思い、特に行動することなく、目的地へ足を進めたのだった。


 Fブロックの人たちは仕事には関係ない――、

 ただ、このまま何事もなくいけばの話。だから無理に接触するということもないのだけれど、ただ、事前に情報として掴んでいるプロフィールによると、Fブロックには今、世間で大きな力を持っている、大手会社のメンバーがいるらしいのだ。


 凡人である私からすれば、手の届きにくい場所にいる存在であり、憧れてしまう部分もあり、だから、かするだけでもいいから少しの接触をしてみたいと思っていたのだけれど、それは、全てが終わってから。

 ……と、自分に言い聞かせる、ものの――、全てが終わるのは、この観光が終わっていることも意味しているので、それ以後、接触のチャンスというのはないのだった。


 仕事を放棄して会いにいけば、一生ものの体験ができることは確実だけど、その代わり、職を失う可能性がぐっと高まる。……あまり、積極的に捨てたいものではなかった。

 心の中で、そんな、最初から諦めることに天秤が偏ってしまっている選択を、見ため、悩んだ振りをしながら、結局は最初のまま諦めることを選択して、私は目的地に向かい、そして辿り着いた――今がここ、現在である。


 大広間には私と同じく、Eブロックに部屋が割り振られている乗船客がいた。男性一人に、女性が二人。私たちを含めれば、大広間にいるのは合計で女性が五名、男性が二名、ここにいる――登録者数で言えば、一人足りない……きっと、部屋にでもこもっているのだろう。


 大広間の真ん中に、高級感による重厚的な存在感を放ち、堂々と設置されている長方形のテーブル……、椅子は左右に五つずつ設置されている――。このテーブル以外にも、小さなテーブルと椅子は複数あるので、十人以上は余裕で入るらしかった。

 部屋の数を計算すると、多過ぎる気もするけれど、それは部屋が一人一つの場合の話なので、特におかしなことでも、問題でもないのだろう。


 集まっている人はみな、長方形のテーブルを前にして座っているので、後からきた私たちも前例に倣って、長方形のテーブルの前にある椅子に座った。


 私は部屋に入って見たテーブルの右側、ちょうど、真ん中の椅子に座った。左隣には、数珠里さん――数珠里さんのさらに左隣には、駿河さんが座った。

 そして越村は私の右隣……、一つ席を空けて、一番端に座った。私と越村が犬猿の仲であることは、自他共に認めているので、気を遣ったのだろう――。なら私側ではなく向こう側に座ればいいのに……。あ、もしかして、私を視界に入れるのも嫌なのだろうか……。

 そこまで言われたら敵意とか殺意とか越えて、というか失って、ただただショックで塞ぎ込みそうだけれど。――まあ、ないだろうけど。


 越村の目の前には、怠そうに、手の甲に顎を乗せた腕の肘をテーブルにつけて、片方の手でスマホをいじっている少女がいた(電波が届かないのになにをしているのだろう……。ああ、ゲームか)――この少女は、数珠里さんとは対極であり、幼さがある。

 ただ、彼女の仕事で使っている、元々ある幼さをより強調させるための道具は、今日は活用していないらしい――まあ、休日だし。

 そう思ったけれど、そんな彼女の隣には、観光だと言うのに画面が重くなってしまいそうな、黒く重苦しい、ぴしっとしたスーツを着た男がいた。

 葬式じゃないんだけどね……。


 若い男だった……越村くらい、つまりは私くらいの年齢だろう。


 まず、なんでいるんだろう、という素直な疑問……。

 彼女の業界の内部にはあまり詳しくないから、断定はできないけれど、最近は休日でも危険な目に遭わないように、ボディーガードでも付いているのかもしれない。……彼女はなにも言わずにスマホをいじっているから、隣にいる男性も、同じく沈黙したまま、なにをするでもなく、ぼーっとしている。いや、私たち、ここに来たんだけど、挨拶、しないのかな?


「……あ、どうも」

 男性と目が合ってしまったので、とりあえずそう言っておいた。すると、


「――どうも」

 軽く会釈し、男性も返してくる。

 それっきり会話は続かず、空気が重力に負けていた。


 重い……。会話が続かないのが、ここまで重いとは……!


 私はちらりと越村の方へ視線を動かしてみた。相手が女性ならば、私の方が得意だろうけど、相手は異性で男性である。

 男性には男性をぶつけるべきで、だから越村が動いて、この重い空気を男性同士の会話で払拭してくれると助かったのだけど――しかし肝心の越村は寝ようとしていた。


 ニット帽を深く被り、目を隠して腕組みをし、後頭部を背もたれの頂点よりも後ろに垂らして、投げ出している。口を開けて、情けない……というか、仕事をする気があるの!? 

 観光を楽しんでおきながら疲れたら寝るとか、どれだけ自由なのかな!?


 半人前とは言え、警察官とは思えない態度で、しかも警察官とは思えないような、男性にしては長めの黒髪が、ニット帽から下に、だらんと出ている。切るというよりは、手で毟り取りたい衝動がお腹の底からぐんぐんと上がってきている――まあ、それをしたらさすがに本気で怒りそうなのでやめておいたけれど。

 いくら犬猿の仲とは言っても、一応のプライドというものは存在しているのだ。卑怯な手で嫌がらせをするなど、警察官っぽくはない。


 いや、でも越村の場合は全然、警察官っぽくないことも充分、やっているのだけれど――まあ、それが越村の突出したところと見れば、いい、のかな? 

 駄目だとは思うけれど、今回のような警察官としてばれてはいけないという仕事の中では、私以上に有利に事を進められるので、必要な人材ではあるのかもしれない。


 私がもしも越村の上司ならば、問答無用で、態度だけでクビにしているけれど。

 とにかく、寝に入っている越村は役に立たないことが分かった。……別に、最初から期待しておらず、私だけの力が、どうせ仕事に関係しているのだろうと思っていたので、結局は予定通りなわけだけれど。……予定外のことなどなにも起きていない――全てが手の平の上。


 すると、私の隣できゃっきゃうふふという女性のトーク特有の効果音が聞こえてきた、と感じ取った。これが感じ取れたということは、私はその輪の中に入れていないことを意味している――うん当然、だって私は状況を確認することに必死で、全然、数珠里さんや駿河さんのことなど、すっかりと忘れていたんだから。


 これは置いていかれたのではなく、私が追いつけなかっただけで、彼女たちに悪気はまったくないのだろう。もしもここで私が話しかけて、仲間はずれにされれば、間違いなく狙っているのだろうけど……、そんなことはなく、どちらかと言えば、積極的に私を会話に誘ってくれた。


 ガールズトークの開始である。

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