第4話 料理人・駿河祈利
そんなわけで、このクルーズ船には仕事で来ているわけであって、だからのんびりと観光をしているわけにもいかないのだった。
と言いながらも、越村は外の景色を見て、思い切り楽しみながら観光をしているので、思い切り殴りたくなったけれど、蹴りたくなったけれど――、
そうしようとしたら数珠里さんに止められたので、衝動を抑えることができた。
ふー、ふー、と息が荒くなる。仕事前に、もう既に疲れてしまっていた。
「まーまー、涼綺ちゃん、落ち着いて」
数珠里さんは私のことを羽交い絞めにして、動きを止めてくる――、
意外と力が強く、振りほどけなかった。
警察官になることをなんとなくでも目指している私でも、一応、体は鍛えているはずなのだけれど、数珠里さんはそんな私よりも力が強かった。
いや、強いというよりは、力の強さではなく、使い方、なのだろう……。
さすがは医者、人体の
「……あの子と敵対しているようだけど、一緒に観光をしに来ているってことは、本気で仲が悪いというわけではないんでしょ?」
咄嗟に、違いますよあいつと来ているのは観光ではなく仕事の都合上、仕方なくで、逆にお金を払ってでも一緒に観光なんてしたくないですよ、と言いそうになったけれど、ぐっと抑えた。
私と越村が警察官ということは、この船に乗っている全員に隠していることである――、仕事の内容的に、そうしなければいけないのだ。
私の意思でみんなを騙しているわけではない。だからここで本音を言ってしまうのは、仕事上、致命的なミスになる――これからに影響してしまうのだ。
そんな事情を持ってしまっている私は、不本意にも越村との仲を、数珠里さんの言う通りに、肯定しなければいけなかった。歯を噛み砕きそうな程に噛みしめて、まあ、はい……と、目から血が出そうなくらいの作り笑いで答えた。
「……なんだか苦しそうな事情がありそうだね……詮索しない方がいいかな……?」
そうしてください、と申し訳なくも必死にお願いする――すると数珠里さんも、うん、と元気に頷いてくれた。こうして、職業がばれてしまうという一番の危機を回避したところで、どっと、さらに疲れが押し寄せてくる。
船員含めて、乗客全員を現在進行形で騙しているのは、基本的に嘘を吐けない私からしてみれば、苦痛でしかなかった。
たとえ仕事で、特定の人物を助けるためだと言っても、苦しいものは苦しいのだ。
ぽろっと言ってしまおうかなと私の中の悪魔が囁くけれど、かろうじて行動に移していないのは、もしも明かした場合、そのせいで、みんなが危険に晒されてしまうかもしれないから、という事実のストッパーが存在するからである。
なら、騙してる方が、心のダメージ的にも、少なくて済むのだ。
はあ、と溜息を吐く。クルーズ船が出発してから、二十五分くらいが経ったところで、もう既に疲れて切っている私のことを気にかけてくれたのか――、同じグループのメンバーである女性が、声をかけてくれた。
「あのー、大丈夫ですか? もしかして、酔っていたり?」
のんびりとした、心強くなさそうな声が聞こえてきた――、ちらりと声の方を振り返ってみれば、数珠里さんと同じくらいの年齢の女性が、立っていた。
「酔っちゃったのなら、中でティータイムでもしませんか?
わたし、人体の中に入るものの扱いには長けているので」
奇妙な言い回しをする人だった――、
つまりは料理人というわけなのだろう。
それにしても、彼女とはついさっきにも、乗船する時に一度、自己紹介をし合っていて、だから声をかけてくれた、というのもあるのだろうけど……、だとしたらまだ打ち解けていないにしても、他人よりは一段階、精神的に距離は近くても良さそうだけど……。なのに彼女はまだ私を警戒するような、恐ろしく見ているような、そんな不安そうな声をしている。
一応、年上でしょうに――私よりも、全然。
そこは教え合っているので、誤情報というわけではないだろう――うん、確実に。
ガセネタを掴まされている可能性を排除すればの話だったけれど。
私たちは今、三階層の外にいる――、広々としたデッキだ。
思っていたよりも風が強くて、髪がばさばさと千切れそうなくらいにさっきから暴れている。景色を見るのにも開放的で、風も空気が澄んでいて気持ち良いのだけど、さすがに長時間もここにいるのは無理だった。
越村みたいに、男ならば気にしないのだろうけど、女性にとって強風は敵なのだ。
せっかくセットした髪型が崩れてしまう。
まあ、私の髪型なんて(金髪に見える茶髪で、ショートである)すぐにでも作れてしまう、というか無防備で、一応、整えましたよ程度のものなので、全然、問題はないのだけれど。
数珠里さんは気にしているようだったけれど、駿河さんはそうでもなさそうだった。三つ編みが結構しっかりとしているらしく、風に負けていない。
体の揺れでしか動かないその三つ編みを、私がじっと見ていると、駿河さんは首を傾げて――「?」と示してくる。
ああ、そう言えば、ティータイムに誘われたのだった。このままなにも答えないでいると、自動的に無視という態度を取ってしまうことになるので、それは気が弱そうな駿河さんにとっては相当なダメージになってしまうだろう。
なので私は数珠里さんに、どうしますか? と聞いてみる。
「いいんじゃない? 別に、酔っているわけではないんだろうけど、涼綺ちゃんも、色々あって疲れているでしょ? 手のこともあるし、それにまあ、内面的にも――」
見事に見抜かれている――、
それほど、私の自然なリアクションが体調を語っているのだろう。
「それに風が凄いし……、そろそろ中に戻りましょうか。
ほら、それに他のメンバーの人とも、仲良くなりたいしね」
数珠里さんは無邪気な笑顔を見せる――、私はそれから駿河さんに、
「はい、ティータイムにしましょうか」と答える。
こくりと頷いた駿河さんは、そのまま踵を返して先に中へ戻って行った。準備があるのだろう――別に一緒に行っても良かったんだけど……まあ、そこは性格か。
とやかく言うことではない。
「よっこいしょ」
一歩、踏み出すための勢いをつけるために、数珠里さんが言う。……見てはいけないものを、聞いてはいけないものを聞いてしまった。
けれども数珠里さんの方は気にしていないらしく、飄々としていた。
大人だな、と思った。大人過ぎる、とも思った。
ともかく、先を進む数珠里さんの背中を追って、室内に戻る私たち――すると、数珠里さんが忘れたものを思い出したように、「あ、」と声を出して、私を越えて後ろに声をかけた。
「越村くんも来なよー。みんなでお茶しよー?」
柵に寄りかかり、呼ばれた越村は景色から意識を外して、こっち側――、数珠里さんに向かって手を振って、行く意思を示した。
……当然のことだけれど、普通の人なら当然の行動なのだけれど、私は無意識に舌打ちをしてしまっていた。
「……そんなに嫌い?」
数珠里さんは引きつった苦笑いを私に見せた。
「――大嫌いですよ、あんなやつ」
このまま置いていかれれば良かったのに。
声には出さなかった本音には、黒い感情が込められていると自覚している。
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