第42話 罪人・しいか

「――しいかさん!」


 わたしは細い鉄の棒を、がん、と叩く――握り拳を作って思いきり振り抜く、撃ち抜く……がんっ、と鳴る度に、わたしの拳が痛むけど、関係ない――関係ない、関係ないっ!

 今は痛覚なんて無視、人の命が懸かっているのだ……わたしの拳二つで、しいかさんの命を救えるのならば、安いものだった……。

 だって、わたしは、しいかさんに――、


「一緒に、いてほしいんだから! また、わたしを、助けてほしいんだから! 

 友達、なんだからっっ! 

 だからしいかさん――起きて、起きてよ、お願い、だから……ぁっっ!」


 弱くなる言葉に反比例して、拳が段々と、強くなっていく――けれど牢屋の鉄の棒を破壊できる段階までの成長はしていない。このままではわたしの拳の方が壊れてしまう……、骨がいかれて、神経を切れさせ、命令を拒絶し、支配権が剥奪される。

 命令を受け付けない拳など、役立たずだ――。足手まといを背負うことになってしまい、結果、上手く動けず、かえって遅くなってしまう結末になるだろう。


 これからのことを考えると、それは避けたかった――予定が詰まっているのだから、コンディションは最高を保ちたい、けど……。ここでしいかさんを救出できなければ、なにも始まらない。なにも――スタート地点から、一歩だって、動いてはいないのだから。


 だから――お願い、しいかさん。


 起きて。


 生きていて。


 わたしにその声を、聞かせて。


 一度、疑ってしまって、敵だと認識してしまった、わたしに――謝らせてほしい。


 お願い――との願いが届いたのかどうかは分からないけど……う、ううん、と、しいかさんの唇が震える。声が、絞り出された。

 出かけた意識を逃さないように、わたしはすぐさま、しいかさんを起こすために声をかける。


「しいかさんッ!」


「うる、さい、わね……」


 ぱちり、と、弱々しい開き方だったけど、今までのしいかさんのように、強さを持った瞳がそのまぶたの下から晒される――。しいかさんはわたし見て、下手くそみたいに微笑み、それから自分の状況を見て、ぽかーん、と口を開ける。


「なに、よ、これ――私、こんな特殊な性癖、持っているわけ、じゃ、ない、んだけど――」


 意味は理解できなかったけど、どうやら混乱しているんだろうなあ、ということは分かった。

 一から十まで、全部を全部、説明してあげたいけど、その説明よりもまず、どうやって抜け出すかを考えた方がいいだろう――、牢屋にも、しいかさんを縛る鎖にも、鍵はないから、やっぱり、壊すしかないのだろうか――。


「いや――大丈夫、よ」


 と、わたしの考えにしいかさんが答える――なにが大丈夫なのか、問いかけようとしたら、しいかさんは力を込めてもいないのに、自分の四肢を縛る全ての鎖を、壊した……。

 からんからん、と拘束具が周りに散らばり、しいかさんも空中から落下。そして着地し、そのまますたすたと歩いて、牢屋の鉄の棒も、触れただけで――しいかさんからすれば前、わたしからすれば鉄の棒が、わたし側に迫るように、倒れる。


「――貴重な手だったけどね……本当にここぞって時までは取っておこうと思ったけど、今この瞬間が、ここぞって時だと思ったから、使わせてもらった……『チート』よ。

 いや、チートじゃなくて、正式な、切り札かしらね――」


「……今の、って……?」


「スイーツエリアの、最後の手助けみたいなものよ――」

 と、しいかさんはわたしの目を、分かりやすく逸らして、言う――。気になったけど、気にせず、それから、先行して走り出そうとしたわたしは、後方、動かずに立ち止まるしいかさんに気づいて、同じように立ち止まり、振り向く。


「……ねえ、サナカ――サナカは、どうして、私を選んだ、の……?」


 すぐには答えられない、理解するまでに時間がかかるような質問を、わたしにぶつけてくるしいかさん。


 しいかさんを敵だと一度は認識した。でも今は味方だと、味方でいてほしいと、考えを変えている。右往左往の結果、戻ってきたわけだけど、しいかさんを敵とするか味方とするか、選択肢をわたしは出されたのだ――。でも、それはしいかさんがいない場で、わたしと世界の意思である彼女の会話の中で起こったことである。

 だからその場にいないしいかさんが、そのことについて知っているはずがないのだけど――。


 だけどしいかさんは、そのことについて問いを投げかけてくる――、一瞬、動きと思考が止まってしまったけど、理解してからわたしは早く、解答を出す。

 しいかさんが知らないとか、そんな常識は今はいい――知っているということは、どうにかして知ったのだ……そこにいちいち突っ込んでいたら、きりがない。

 ここはデッドエリアで、現実の世界ではなく、異世界なのだから。


「……どうして、って――しいかさんが、味方だと思ったからだよ」


「でも、私の行動は明らかにおかしかった――それは世界の意思も、そう言っていたでしょ? 

 ――ちなみに言うけど、サナカたちの会話は全部、聞いていたわ……動けず、声も出せなかったけどね。きちんと、あの場にいたんだから――」


 そうか、だから知っていたのか――つまりあの部屋にいて、わたしと彼女の会話の後に、しいかさんはここに運ばれた、というわけか……。疑問が一つ、消化されたところで、でも、しいかさんの言葉に、返答はまだしていない……。

 そのまま、しいかさんは続ける。


「別行動も多かったし、不自然な行動も多かった――見捨てられたとしても、私は敵だと思われたとしても、全然、おかしくない……普通だと思っていたけど、なんで……サナカは……、」


 その問いに、だって、と、わたしは言う。


「――この世界で初めて会った、友達だもん」


 だから――裏切れないよ。

 しいかさんだけは、裏切れないよ。


「……サナカのことを、傷つけてしまった――、心に傷を負わせてしまった! 不安だらけのこの世界の説明もなにもせずに、怖い思いをさせてしまった! 見せたくないものまで見せてしまった! 回避だってできたはずなのに、見せないことも、そのまま、巻き込まないこともできたのに、私は、サナカを巻き込んでしまった! 

 優しいままの、綺麗で汚れていないサナカなのに、わたしは勝手な都合で、全てを託してしまった! 隠したまま、私は、騙したまま――、一緒に、笑い合ってしまっていた! 

 説教なんてできる立場なんかじゃないのに、偉そうに、私は、私は――っ!

 最低で、最低で、最悪で……っ!」


 しいかさんの言葉は、そこで途切れた。

 涙――だった。


 しいかさんの両の瞳からは、涙が溢れ出ていて――膝を折って、地面に崩れてしまう。


 そんなしいかさんを、わたしは――、

「大丈夫」と抱き寄せる。ぎゅっと、抱きしめる。

 温もりが優しさとなって返ってくる――ほら、これがしいかさん。しいかさんなんだよ。

 本当にしいかさんが最低で最悪で裏切り者で敵だとしたら、もしもその全ての吐露が嘘だったとしたら……、この優しさは出せないよ――。温もりだって、出せないよ。

 そういう人にはそういう寒さが常時、蓄えられているはずだから――。

 だから、しいかさんは、善の人なんだよ。


「……大丈夫、大丈夫。わたしは、ここにいる。わたしは、しいかさんが企んでいるなにかに組み込まれているプログラムだったとしても、しいかさんの味方をする。なんでかって言われたら――わたしが、そうするべきだと思っているから、かな? ……変、かな? 

 しいかさんに手伝ってと言われたら手伝う。助けてと言われたら、助ける。同じようにわたしが困っていたら、しいかさんは助けてくれるし、もう助けてくれたじゃない。

 それが、仲間で、友達って、ものじゃないの――?」


「サナカ――気づいて……?」


 なにを? と首を傾げる。

 そんなわたしに、しいかさんは――、


「いや、なんでもないわ……いや、なんでも、なくはないのね。――サナカ、ごめんなさい、私は、あなたに隠しごとをしていた、騙していた――。サナカを騙して、世界も騙して、あなたの中、を、滅茶苦茶に、してしまっていた――」


「…………?」


「――話すわ、全部」


 しいかさんは立ち上がり、


「私がどうしてこの世界にいるのか、全部を全部、話す――でも、その前に」


 しいかさんはわたしの手を、引っ張り――暗い、今きたばかりの道を引き返すように、ルートを取って、走り出す。

 複数の牢屋を素通りして、階段まで戻り、上へ、足を進める。


「しいかさん――待って!」


「全てを話す前に――、登場人物が少ないわよね。

 だから、まずは全員を揃える必要があるわ――」


 第一に、最優先として、と、しいかさんが、

 響く建物の構造を利用して、宣言した。



「――世界の意思と、会いましょう」

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