第41話 地下フロア

 階段を見つけたわたしは勢い良く下りていく――二段抜かしで下りるショートカットではなく、自分でも凄いと思うけど、一度、階段の全部抜かしをやった時は、着地の時の痛みよりも素直な驚きに支配されたものだった。

 驚愕が勝っていて、今でも痛みは麻痺している。

 じんじんとしているけれど、激痛ではない――だからと言って安心ではなく、きっと後々に響いてくるだろうことを覚悟して、わたしは突き進む。


 一体、何段下りたのか、何階、下のフロアを過ぎたのか、もう把握し切れなくなってきた。

 淡々と下りていき、だから段々と地下に向かっているはずなんだけど、光は変わらず、電球が供給してくれているから、光が届かない地下なのかどうなのか、判断がつかなかった。

 ここは何階なのか、数字でもいいから目印として壁につけてくれてもいいのに……、と文句を言うけれど、いま言っても圧倒的に遅いだけである。


 いま言ってもどうせ変化はしない――やるだけ無駄な行為に力を割いている余裕はない。

 雑念を振り落として進んでいると――、建物の構造というか、雰囲気が、ふっ、と変わった。

 今まではお城らしく、真っ白な壁面と豪華な装飾に金を使った綺麗な様相だったのに、今いるこの階層は、暗かった――。

 薄暗く、だから確認できるところで言えば、壁面は汚れていて、埃っぽく、雑が形として出てしまっている。最低限の電球は点いているけど、その光は薄黄色くて、薄気味悪かった。


 手入れが届いていないのか、どこからか、漏れている水滴が、ぴちゃぴちゃと音を立てている――かさかさと大量の足を持つ昆虫が徘徊している、そんな音も聞こえてくるし、そういうのは感覚で、分かってしまう。

 圧倒的に入りたくないこの雰囲気は、逆に、人を捕らえておくには絶好の場所かもしれない。


 犯罪者とか――得体の知れない者、とか。


 たとえば、反逆者――とか。


「……しいか、さん――」


 わたしは踏み出したくない足を踏み出した――地面のタイルは欠けていて、欠片があちらこちらに散らばっている……、だから踏み出した足が欠片を踏み、ばりばりと粉砕音を奏でる……。

 それを、極力、気にしないようにしながら、わたしは足を左右順番に踏み出す。


「待っててね……今から、迎えに、いくから――」


 今度は、わたしが、守るから――。

 救って、みせるから。


 呟いて、わたしは、触れられず、わたしを包み込むだけの漆黒のカーテン――その闇を、かき分けるように突き進む。

 すると、視界の中に映り込んできたのは、細い鉄の棒が縦に、等間隔で並んでいる、まるで――いや、それそのものだけど……、檻のようなものを映し出した。


 細い鉄の棒は並んでいて、一定の距離——きっと、三メートルくらいなのだろうその幅で、一度、区切られている。きっとそれが一部屋、ということになるのだろう。


 壁面をくり抜いて四角く凹んだそこを、部屋として使っている……そんな構造。そこを一部屋とすれば、部屋はわたしから見て左右、どちらにも存在していて、数も多数あり――、その先は、光はあるけど、全体を照らしているわけではないので、全ては確認できなかった。


 けれど、ずっと先まで続いているということは分かる――、このフロアは牢屋、なのだろう。

 刑務所なんて入ったことはないし、見たことすらないのだから、たとえに出すのもどうかとは思うけど、でも、わたしの勝手なイメージで、一番近いのが、刑務所の、牢屋だった――。

 ここは、牢屋だ。

 最低限の生活ができる器具しか置いていない。遊具なんて、娯楽なんて、安らぎなんてなく、寂しさと倦怠感と絶望感を促進させるような部屋だ。


 わたしなんて一日ももたないだろう――いや、数時間だって。


 今だって、数十分もここにいないのに、壊れてしまいそうだった。


「…………っ」

 歯を食いしばって、見たくない光景から目を逸らすことなく、前を見る――。

 前だけではなく左右も見て、牢屋の中を、きちんと確認していく。


「あ――、」


 と、声を出したのはわたしだ――そりゃ、このフロアには、しいかさんを除けばわたししかいないのだから、それもそうだろう、当たり前だろうと、思っていたけど、どうやら……違う。

 わたしが声を出したのは、牢屋の中に、人がいたからだった。

 もしかしたらしいかさんかもしれない――、そう期待を込めて目を凝らしてみるけど、映ったのは、もう動かない、変な肌の色をしている、横に倒れている、男の、人——。


 アクシンなんかではない。


 きちんとした――人間。

 生きていない――人間。


「――――っ」

 目に見えている光景が幻覚、または、わたしの勘違いなのではないか……、いや、そんなものではないと理解した瞬間に、ぶわっと、背中を始めに、それに連続するように、全身から嫌な汗が出てきた。


「ひ、酷い……」


 デッドエリアでアクシンの餌食にされていた人々とは明らかに扱いが違う――、外で、アクシンに襲われていた人たちは、一瞬だったのだろう。

 一撃で、一瞬で、痛みはあるけど、即死レベルのはずだ。

 今まで死体を見てきて、傷口からそう判断する。


 死ぬという最悪の結果を味わってしまっている彼らだって、それ相応に酷いと判断することもできる――、けど、体験して、死ぬこともできずに苦痛を味わい続けるというのは、死ぬよりもつらいのではないか……。こんな扱いをされるのならば、死んだ方がマシだと、考えてもおかしくはないのではないか。


 死ぬこともできずに苦痛を味わわせられる――この牢屋の中を複数、見ているけど、どこもそうだった……全て同じように、人が一人、倒れている。

 倒れて死んでいるのに、掃除なんてしていない、そのままの放置なのに、誰も、血を流していない。この人たちを痛めつけるのに、苦しませるのに、血を出させるようなものは、一切、使っていないということになる――。

 それが必ずしも血が出る状況よりも楽であるとは言えない。

 どちらかと言えば、血が出ない状況こそ、肉体的にはきついものだろう。


 刃物で斬られるよりも、刻まれるよりも。


 石で殴打され続ける方が――。


 どちらがマシかなんて、人にもよるけど、わたしは、後者の方が、きついと思う――だって、目の前のこれを見てしまえば、そう思ってしまうだろう。

 倒れて、血も出せずに、肌の色が変わってしまうほど、骨が変な方向に曲がってしまうほど、骨が突き出て、皮膚を盛り上がらせてしまうほど……、骨格を、変えてしまうほど……。

 使い捨てられたプラモデルのような。

 正真正銘の、今まで絶対に生きていたであろう人間が、ここにいれば。


 考えが揺らいでいても、おかしくはないだろう。


 いつの間にか立ち止まってしまっていた足を、再び動かす――。ここまできて、気持ち悪い状態を元へ戻すことはできなかった。そのまま、倒れている彼、彼女たちを、今は素通りして、奥へ、奥へ、進んでいく。


 ここで、わたしは一つの可能性を考えてしまう。これだけの例を見せられたら、必然、考えてしまう、可能性。しいかさんは、無事なのだろうか――という、疑問。

 今までの例からすれば、しいかさんも同じようにぼろぼろの状態のまま、地面に横になっているだろう。動かず、見て分かるような負傷はしておらず、でも近くで見て、その悲惨さを認知できるような、そんな傷――。

 でも、きっとここに運ばれてきたのはついさっき、だと思う……。

 だから時間としては、同じように痛めつけられていたとしても、衰弱はしていても、死んではいないはず――。


 そう思ってはいても、けれど足は、怖くて震えてしまう――。

 確認しにいきたい……でも、もしも周りと同じく、死んでしまっていたら……。

 そう考えてしまって、わたしは、動きたくなかった。


 それでも足は進む。


 早く会って、助けたいけど――確認したくない。


 感情的な矛盾が邪魔をする。


 考えは後退しているのに、体は前進する――、立場がまだ逆ではないだけ、救いだった。

 動かないことにはなにも始まらない――、気持ちで負けてしまっていても、体が動いているだけ、まだマシである……進むだけでも、まだ、チャンスは生まれるのだから。


「――ここ、だ」


 怯えながらも、そして辿り着いたのは、道の一番先――突き当り……。

 他のどこよりも大きく、特別扱いされているかのように牢屋の中は広く、中心地点には、鎖で四肢を結ばれ、壁面と接続されて縛り付けられている、一人の、少女――。


「しいかさん!」


 しいかさんが、そこにいた。


 しいかさんの全身を隅から隅までしっかりと見てみると、どうやらまだ痛めつけられてはいないようで、白くて綺麗で、スタイルの良い肉体は、しいかさんのままだった――。でも、これ以上この場にいたら、肉体よりもまず先に精神がやれてしまうし、精神に続いて、肉体までも痛めつけられてしまう……。その先、果てにあるのは、死という一文字だ。


 そんなことは、させない。


 させる――もんかっ!!

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