第40話 庇護下、脱出

 ぱちりと目を開けたわたしの目の前の視界は、天井――ではなく、

 その天井へ、一直線に伸びる、わたしの視線を遮るような位置にいたのは、世界の意思、彼女の顔だった。彼女はわたしを真上から見下ろしており、わたしと目が合うと、

「――あ、起きた?」と声を出す。


 体が等間隔に、リズムを刻むように揺れている――、さすがに眠れるほどに心地良いリズムではないけれど、とんとんとん、と心の中で刻んでしまう程度には、わたしの中へ、ずかずかと足を踏み込んでくるような――それくらいにまでは、影響力が強かった。


 ――と、リズムに心を奪われていると、そう言えば、彼女の問いかけに答えを返していなかったことに気が付いた――世界の意思を、今、無視してしまったことになるけど、それで彼女が怒る、ということにはならなかった。

 失礼にはなるけど、相手の逆鱗に触れたお粗末な行動にはなっていない。


 けれど、相手の優しさも長く継続されるとは、思えない……。

 なので、できる限り素早くわたしは、

「――うん、大丈夫、意識は、あるよ……」と言っておく。


 ――そう、と答えが返ってきたところで、わたしは続ける。


「……今、ここは、どこなの? 一体、どこに向かっているの……?」


 彼女はわたしをお姫様抱っこしていて、さっきの部屋から移動していた――。

 ツルバミの死体、そしてしいかさんの死体——、この二つが悲惨な状態で放置されているあの部屋ではない。

 豪華な装飾のレベルは、あの部屋と遜色はないけれど、でも道の、幅――、

 お姫様抱っこをされながらでも分かる……部屋ほどには広くない、道の幅……。

 だからきっと、この道は、廊下なのだろう。


 廊下にしては、でも広いけれど、部屋にしては細長過ぎる。……そんな、スケールの違いが大きく強調されてしまう。だから庶民であるわたしでは説明できないような、一段ではなく、二段、三段も――それくらいに段違いのエリアになっている。


 天の光――つまりは、庶民的な言い方をすれば、電球のことだけど、それが彼女の顔によって遮られていて、眩しくはない。

 だから真上を、目を細めることなく見つめることができている――すると、ちらりと、彼女がわたしの視線と自分の視線をぶつからせた……、目と目が合った。


 さっき一度、合ってからわたしから逸らしてしまった視線が、今、二度目の衝突を果たすことになった――、精神世界で、わたしは正体不明の見えない彼女と出会った。それは、わたしは当然、そのことを知っていて、分かっていて、内容も覚えてはいる……。

 だから結論に辿り着いた、世界の意思……彼女のことを裏切る、というこれからの行動をわたしは知っているから、罪悪感で、彼女のことをしっかりとは、見れなかった。

 もしかしたら彼女ならば、わたしの中を見ることができて、全てをもう既に理解しているのかもしれない――けど、そういう全能の力が発揮されなければ、彼女は、なにも知らない。


 わたしの心の変化など、気づきようもないだろう。

 そんな彼女は、


「今は……ゆっくりと寝室に向かっています……。今、サナカさんは起きてしまったけど、わたしの中の予定では、あなたはずっと気絶してしまっている、というつもりだったんですから。

 ……寝室でぐっすりと休んでいただきたかったので、こんな状況になっていますけど――でも起きたからと言って、これで解放というのも、あまりにも失礼過ぎますね……。

 ですから、充分に休んでいてください……。

 気絶させてしまった、わたしがサナカさんを傷つけてしまった――罪滅ぼしですから――」


 と、言う。


 ここだけ切り取って聞いてみれば、なんとも親切な、お姫様だと思う――。相手のことを考えて、自分自身を行使して、快適に過ごせるように努力をしてくれているのだから。

 わたしの中のイメージであるお姫様よりも、親切で、親切過ぎるくらいだった。お姫様ならば、どん、と座っていてほしいものだと思うのは、自分の勝手なイメージの押し付けだろう。


 良い人だ、と判断を下すのは、百人中、百人――はいかないまでも、九割は良い人だと感じるかもしれないけど、わたしは世界の意思である彼女の裏の可能性を知ってしまっているから、全てを信じることはできなかった。

 彼女には悪いけれど、どれだけ優しくされても、後に控えている『裏』のことを、考えさせられてしまう。


 だから、ごくりと唾を飲み込むだけ――。


 精神世界の彼女は、地下にしいかさんが捕らわれている、と言った。

 今いる場所がお城の一体、どの部分の部屋なのかは分からないけど、電球が強過ぎて差し込む光がない、ということは、外と連結しているわけではない地上にある廊下なのか……。

 とも思ったけど、窓があるということは、地下ではない――それは確定していることだった。


 となれば、後は簡単だった――地下にいることを知らずに下に下りてしまえば、しいかさんが同じフロアにいるのに気付かずにさらに下へいってしまい、終わりのない捜索に身を任せてしまうという絶望的な状態の入口を安易に通ってしまう……。そういう可能性もあったけれど、ここが地上ならば、ひたすら下に進んでいけば、しいかさんには、きっと会える。

 でも……、しいかさんのことを見過ごしてしまえば、いま挙げた絶望と同じく、被ってしまうけれど、それは、もう仕方ないと言うしかない。

 でも、わたしはきっと、しいかさんが同じフロアにいれば分かると、確信に近いもの――いや、もう言ってしまおう、確信を持っているから、大丈夫だと思う。


 問題――、第一のステップは、いつ、どのタイミングで救出に向かうか、ということだけど……、今、拘束に似たような状態である――。彼女の両手を振り払って、助けにいくことはできる……だけど、それは明確な拒絶となり、裏切りを分かりやすく言外に彼女に叩きつけることができて一石二鳥、わたしの心の中の気持ち悪さも共に拭えるけど、つまり、追撃を許すという意味でもある。

 力の無いわたしからすれば、追撃されるということだけでも充分に、充分以上に脅威だ――救出失敗の可能性が、段違いに跳ね上がる。だからあまり自分でもおすすめはしない。


 となると、今は、どうやら寝室に向かっているらしいから――、きっと彼女はわたしを寝室で寝かせて、別行動を取るのだろう……彼女が別行動を取る、という前提があるからこそおこなえる作戦ではあるけど、その、彼女が抜けた、自分一人の時にこっそりと部屋を抜け出し、地下へいき、しいかさんを救出する――。

 とにかく、いまわたしが思いつく限りの策は、これだけだ。


 どうする……っ! とわたしはわたし自身を焦らせる。

 こうして悩んでいる今にも、伸びている道は短縮されていて、すぐにでも寝室に辿り着いてしまう。そうなれば残された策は一つで、身動きが出来なくなる――選択が、できなくなってしまう。選択をできるのは今しかない――、ここで動けば、ここで動けば、心に罪悪感を残さないまま、これですっきりとは言わないまでも、迷いは断ち切れると思う。

 追撃は、仕方ないことになってしまうけど……。

 ……ぐっと、わたしは歯を噛み合わせて、力強く、ぎりり、と音を鳴らして、考える。


 ――どうする!?


 そう問いかけている間にも、体はもう勝手に動いてしまっていた――まるで自分のものではないみたいに、体が、動いていた。

 本能的な動きで、わたしはもうあと戻りできない流れに身を任せる。

 お姫様抱っこされていた状態から、わたしは体をくるりと回転させて、彼女の両手を弾く、と同時に、わたしは回転しながら地面へ着地した。

 ――した、成功した、と言うには、酷く格好悪い。情けないものだったけど、評価する審査員は彼女しかおらず、そんな彼女のことも敵として認識してしまっているから、今更、そんなことも気にしない。


 どたどたと音を立てて彼女から離れるわたしは、汚れた服なんて気にせず立ち上がり、最後に、わたしとしては最後のつもりで、彼女を見る――強く、見つめる。


 彼女は、震える声で、


「…………サナカ、さん……?」


 目を見開き、驚いている様子の彼女は――驚き半分、悲しみ半分、そんな表情をしていた。

 ここでわたしが裏切るという意味が、どういう意味なのか、彼女も気づいたのだろう。つまり、わたしは、彼女よりも、しいかさんを取ったということである。

 精神世界の彼女の方を信じた、という意味とも取れるけど、どちらにしても彼女を裏切ることに違いはない。信じる対象が変わったところで、裏切る人物に変化はないのだから。


「……ごめんなさい。今まで良くしてくれたのに、色々と、助言をしてくれたのに、わたしのことを、気にかけてくれたのに――。

 ……こんな感じになっちゃって、ごめんなさい――」


 わたしは真剣に謝った。

 ここで冗談を交えることができるほど、ハートに一癖、持っているわけではない。


「はあ……、ふー。……わたしはあなたのことを、良い人だと思っています。でも、それでもわたしは、しいかさんの方を取ります。あなたを裏切ることになってしまった、あなたよりもしいかさんを取ったことになってしまった……だから今に限ってのことですけど――でも、ここまできたら、もう、友達なんて、味方なんて、そんな関係には、戻れない、です、よね……——」


 彼女は、じっと、わたしの言葉を、聞く――聞いてくれている。

 詰まった言葉。途切れてしまい、ツギハギなわたしの言葉……、

 わたしはなんとか繋ぎ止めて、放つ。


「あなただからこそ、嘘はつきたくない――。

 世界の意思、わたしは、あなたの敵になります! わたしはそう、決意しました」


 ぎゅっと拳を握り締めて――わたしは背を向ける……振り返る寸前に、一言、だけ。


「さようなら」


 そしてわたしは走り出した。

 追撃は――やってこない。


 だからと言って、安心はしない――。

 速度を段々と上げて、このお城の階段を目指す。


 瞳は力を持っている――視線は前を向いている。

 俯いていない。

 顔は上がっている。


 前を、向いている。

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