第39話 スイーツエリアの姫

「うん――いいよ」


『嫌なのは分かる、気持ちは分かるけど――って、いいの!?』


 驚く彼女へ、わたしは、いいよ、と、もう一度繰り返した――彼女の姿、もちろん顔も見えないけど、わたしには彼女が驚いて、ぽかーんと口を開けている姿が、見えた。


『……信じてもらっておいて、こんなことを言うのは悪いと思うし、余計なお世話かもしれないけど――サナカ、あなたは、もうちょっと人を疑った方がいいと思うよ?』


「あなたがそれを言うの!?」


 本当に、そう思った――ともかく、

「ごほん、――まあ、信じることにしたから、気軽に話してよ、全部を、全部――」


『そう、だね――』

 と、彼女はわたしと同じく一度、ごほん、と咳き込んでから、


『少し脱線しちゃったけど、結局、わたしが言いたいことは、こういうことなのよ――たった今サナカが信じ切っている、世界の意思……彼女の言葉を、信じないで。

 そして、わたしを、信じてほしい――』


「……あの人を、裏切れって――」


『……うん、つまりは、そういうことなのよ――』


 彼女は、言いにくそうに、そう言った――それもそうだろう……裏切ってわたしを信じて、なんて、そんなの、犯罪に誘っているような罪悪感を背負っていてもおかしくはないのだから。


『誰が悪で誰が善で、誰が敵で誰が味方だなんて、サナカが決めること――誰についていくかなんて、サナカが決めることだもの。わたしが干渉してはいけないことだと思う……でも、そこを、お願いする。わたしの方を、信じてほしいって』


「……でも――」


 世界の意思である彼女に言われて、しいかさんを敵だと思って、手の平を返してしまった――そして今度は、目の前の彼女を信じて……、となると世界の意思の言葉を信じないことになるから、つまりは、しいかさんを敵だと思わないことになり、これまた、手の平を返すことになってしまう……。それは、あまりにも、軽過ぎないだろうか。


「そんな簡単に、意見を変えても――」


『……聞きたいんだけどさ、サナカ――』


 彼女は、ゆっくりと、そして、わたしの心の核を、的確に突く質問をしてきた。


『あなたは……、しいかが、どうなっていれば一番いいの? なにを、望んでいるの――?』


 望んで、いる――なにを?


 敵であればいいの――? 

 味方ならばいいの――? 


 続けて彼女が、そう問いかけてくる。


 世界の意思である彼女に、しいかさんの行動がおかしいだのなんだの、わたしを傷つけようとしているだのなんだの、味方の振りをしていて実は敵だのなんだの言われたけれど、それが事実で正解だと思ったからこそ、わたしはそれに、ショックを受けたはずだった。

 ショックだった――それってつまり、わたしはそう思っていなかった……ということで、しいかさんは敵だと、現実として、そして事実として認識していても、それを信じたくなかったからこそ、あれほどにまで動揺し、戸惑い、新しく傷を負ってしまった――。


 つまり、


「しいかさんには、味方で、いて、ほしい――」


 結局はそうなのだ。


 敵か味方か、不確定な状態のまま今、ふわふわしているのならば、わたしは胡散臭い彼女と、存在がはっきりしている世界の意思である彼女――どちらを信じるか、彼女らの本質を見抜いて選ぶのではなく、彼女らの主張に、注目をすれば良かったのだ。


 しいかさんを、敵だと主張する、世界の意思――、その世界の意思を否定する、しいかさんが味方であると主張する、目の前の彼女……。ここまでくれば、もう答えは出ているも同然だった。片方が胡散臭かろうがどうでもいい――、わたしはしいかさんが味方でいてほしい、もしも敵だとして、わたし専門の迎撃生命体だったとしても、別にいい……。

 それでもわたしの味方でいてほしいから、わたしは、


「――あなたを、信じるよ」


 そう言った。


 わたしを助けてくれたことに変わりはない。


 わたしに生きる希望を与えてくれたことに変わりはない。


 わたしに、失敗をしても恐れずに進む道を開けてくれたことに、変わりはない。


 わたしの支えになってくれたことに、変わりはない。


 だから、


「本当の敵は、誰なの――?」


『世界の意思である――彼女よ。彼女――※※ま※※カよ――』


 言葉が、ぶれて、ずれて、聞き取れなかった箇所があった――。

 けど、世界の意思という単語は聞こえたので、今わたしが敵だと認識するべき相手は、しいかさんではなく、目の前の彼女でもなく、世界の意思――! 彼女、である。


『……サナカ、きっと、あなたの心の中は、ぐちゃぐちゃで、不安と不満が一杯で、誰も信じられなくなっているかもしれない。気持ちの悪い感情の、渦巻き状態かもしれない――でも、頑張って、もう少しだから……もう少しで、この世界は、終わるから――』


「終わる……って、それって、出れるって、こと?」


 彼女は、違うよ、と言う。

 この世界から出れる、というわけではなく、終わる……それって――、


『でも、本質的には、間違っていないかもね――出るも、終わるも、変わらないかもしれない。

 まあ、ともかく、あとは、彼女に聞いてくれれば、いいから――。これ以上は、わたしがもたないからね……元々、瀕死の、あと少しで消滅してしまうわたしが、無理やりに捻じ込んだ、命の残り火みたいなものだったんだし――この、精神世界はね』


 最後まで姿を見せずに、そのまま、挨拶もなく消えてしまいそうな彼女に手を伸ばして、わたしは、彼女の体に、触れる――。見えなくとも、掴めることはできるらしい。


「待って、待ってよ――あなたは、一体、誰なの!?」


『言ったでしょう? わたしは、あなた――比島、サナカ』


 まだ、分からない――わたしは、理解できなかった……。

 それを悟った彼女は、くすりと笑って、


『それを含めても、彼女に聞けばいいわよ――あなたは今、現実世界では、お城の中にいるはず……だから、そうね、そのお城のちょうど真下、地下エリアに、しいかは捕まっている。

 だから――』


 あなたの味方は、そこで助けを待っているわ――と、彼女は言うけど、でも、しいかさんは目の前で、わたしの目の前で、鉄球に頭部を吹き飛ばされて、死んだはずだ。

 なのに……、地下に捕まっているって、一体、どういうことなのだろう――。


『あれは、世界の意思による、幻覚よ。まあ――分からなくても無理はない再現度ではあるんだけど、手がかりはあったはずよ……分からなかった? 

 視界がぼやけたでしょう? あれが、幻覚にはまった、合図――』


「…………あ!」

 と、わたしは思わず声を出す。


 確かに、一度、あった……、

 それは、ついさっき体験したことだった。


「――あれが、そうだったんだ……、

 きちんとしていれば、気づけたかもしれないのに……っ!」


『それは無理よ――気づかせないようにするのが、相手の技術というものでしょう? 

 相手は世界の意思よ? 幻覚を見破らせる、なんて、計画の全てを台無しにしてしまうようなミスをするとは思えない――。だから、あれは見破れなくて正解なのよ。

 見破れなかったからこそ、サナカはここにこれたようなものだしね』


 そう言ってから、彼女は、見えない彼女は、わたしの頬を、両手で挟んで、引き寄せる……こつんと、おでことおでこが、触れ合った。


『これで、お別れ……しないように、わたしも頑張るけど、でも、お別れの可能性が高いわ――彼女に、世界の意思である「悪」の彼女に、潰されてしまっているからね。

 消滅とまではいかないまでも、一旦、頭を引っ込めないと、消滅しちゃうかもしれない――だから、先に言っておくわね、サナカ――』


 ありがとう。


 信じてくれて、ありがとう。


 ここまで頑張ってくれて、ありがとう。


 わたしの代わりに、立ち向かってくれて、ありがとう。


 何度も何度もそう言って彼女は、わたしのおでこから、おでこを、離した――、温もりが消えていく、繋がりが断たれていく、繋がりのラインが、消滅していく……。ここでなにも言わずに関係を切ってしまえば、それはわたしの後悔になる。

 だから、わたしは、彼女に問いかけた。

 あなたは誰なのか、聞いて返ってくるわたしはあなた、という答えに、わたしは最後まで理解できなかった――ならば、


 だったら、わたしは、


「――あなたは、どこにいるの?」


 返事は、すぐに返ってきた。


『スイーツエリア。わたしは、スイーツエリアの住人よ』


 消えていく彼女の残りの粒子を、わたしは手で掴み――そこで、彼女の声を、聞いた。


 最後に、聞いた――、一言。


『スイーツエリアで――待ってるから』


 うん。


 必ず、戻るから。

 

 ―― ――


 そしてわたしは、目を開けた。

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