4章:スイーツデッド/傷だらけ姫

第38話 真っ直ぐな気持ち

 雲一つない空が、上空を支配している……足元を見れば、水面が波紋を立てていた――。

 わたしの足元から、波紋は水面を揺らして、その出現をどんどんと大きく増長させていく。立ち止まっているのに、なぜこうも水面が揺れるのか、わたし自身が無意識にも揺れているのか……、そうではないことは分かっているけど、可能性として、そう案を出すしか今、現在は情報がなかった。


 状況に向けて、うーん、と唸っていると、波紋はわたしの前方からもやってくる――わたしの足元から出る波紋と前方からやってくる波紋がぶつかり、けれど破壊されることなく、互いが溶け合うように……そのまま素通りして、波紋は波紋として、この先へ進んでいく。


 素通りしていくわたしへ向かってきた波紋の後を追おうと目線を動かしたけれど、それは意識の誘導によって阻止された――遮られた、わけだった。

 優先事項がその波紋のことである、というわけでもないので、わたしは不満顔を生み出さずに、かと言って好意的に表情を見せるわけではないけど……、普通で、普段通りというか、なんというか――だけど難しそうな顔をして、わたしは誘導された方向へ視線を向けた。


 ぴちゃん、という音がわたしの耳を刺激する――足音……、誰かがこちらに段々と近づいてきているという音が聞こえているのに、なのに音しか聞こえず、姿は見えず、まるで、というかそれそのもだとは思うけど――透明人間が、わたしの目の前にいるようだった。


 小さな波紋が連続で生まれていき、生み出された時間の近いもの同士が互いに溶け合うように、けれど溶け合うことなく、素通りしていく――。出現が近くとも、共になることは少ない……いや、万が一にも、ないのだろう。

 もしも人格があれば彼らはどう思うのか。

 そんなことを考えながら、わたしは目の前の見えない誰かに問いかけた。


「あなたは、誰?」


『誰だと思うの?』


「うーん――」

 首を傾げながら、わたしは考えるけど、まったく、覚えがなかった――。

 というか情報が少なく、情報がそもそもでなく、これではヒント以前のもので、具体的な問題文が出されていないのと同じだった……、

 漠然と質問されているのだから、ここはわたしも、漠然としか答えられない。


「じゃあ、違う質問、していい、かな? わたしは、どうやってここにきたの? わたしがここにくる前の、最後の記憶は、どこになっているの?」


『ここはあなたの精神世界――、現実世界のあなたは、今はきっと、眠っているのだと思う……眠っているなんて、優しいものじゃ、ないね……。言うなら、気絶、かな』


 見えない彼女は、わたしの頬に、手を添える――、見えないからこそいきなりで、驚いてしまって、わたしは変な声を出してしまった、けど、彼女は反応を示さない。


『わたしは、もうこれ以上、あなたに干渉は、できない――あなたを守ることは、できない』


「…………え?」


 聞き返してしまった、けど、わたしは相手の言うことを、全て理解していた――。

 これは、ただ声を出してしまっただけなのだ。


「ちょ、ちょっと待ってっ! わたしを、守っていた……? 

 今まで、ずっと? じゃあ、あなたは――」


 しいかさん、なの? との言葉を、彼女はわたしが言う前に否定した。


『しいか、ではないわよ。わたしはわたし――あなたなのよ』


 これにはわたしも、前回のように理解する、というのは難しかった――。けれど聞き返すことはせずに、彼女の続きを黙って、待ち続ける。


『わたしはあなたに成長してほしかった……もう一人のわたしが歩んできた道を、あなたに教えることで、あなたには、違う道を歩んでほしかった、けど――、どうにも、全てが上手くいくわけには、いかなかったんだね。でも、大丈夫――、これまでを見てきて、大丈夫だと思った。

「しいか」がいるから、とも言えるけど、あなたなら、大丈夫――。

 わたしがこれ以上、手助けをしなくとも、あなたなら――』


 大丈夫――。

 直接、声には出ていないけど、彼女はきっと、そう言ったのだろう。


 そこで一旦途切れた彼女の言葉は、数秒後、わたしへの問いかけによって、継続する。


『それで……サナカ――おかしいとは思わなかった? 疑問には感じなかった? あの世界の意思が、しいかをぼろくそに言っていたけど、あんなのただの主観的な意見でしかないってことに、疑問を抱かなかったの?』


 疑問――、疑問を抱かなかったの? と、まるでわたしが間違っているような言い方をされてしまうと、わたしも、それに流されて、流されるままに、彼女の言い分に納得してしまう……。

 そう、もごもごしていると、彼女は、それよ、と声を強める。


『世界の意思が正しいなんて、誰が決めたの? 世界の意思は神で支配者で正解者かもしれないけど、だからと言って彼女が正解を言い続けるとは限らないのよ? 

 たとえばの話、あなたがしいかを信じられなくなった原因の話の内、本当は、一体、いくつ仕込まれているのかしらね――』


 そんなの――、分かりようなんて、ないじゃないか。

 そんな表情をしているわたしに、彼女は、そうよね、と心を読んだかのようにやり取りを続けてくる。ここはわたしの精神世界――、

 ならば、黙っていても彼女からすれば、ダダ漏れなのかもしれない。


 プライベートが消去されている不満しかない空間だけど、会話不要という利点は、今の驚愕ばかりの話の接続には、意外と便利に働いている。


『そうね――世界の意思が、正解かもしれない。でも、正解を知っていて嘘を言っているかもしれない……そんなの、見破れっこないわ。だからこそ、サナカ、あなたはあの世界の意思の言い分、全てを、信じてはいけないのよ。

 サナカが信じたいのならば、わたしは、無理には止めないけど、しいかのことも、考えてあげて……『対サナカ迎撃生命体』……そんなの、本当にいると思う? そんな、サナカ一人だけのために作られ、送り込まれた生命体が、本当にいるとでも、思っているの?』


「…………」

 わたしは、黙ってしまう――これまでも何度も何度も黙ってしまう時はあったけど、本当の意味で、心の中でさえも沈黙してしまうというのは、滅多になかった……。

 滅多になかったものが、今は、心の中で生まれている。


「でも、しいかさんの行動は、言われてみれば、確かに、おかしいもの――」


『――言われてみれば?』


 彼女はそれに躓いたようで、わたしに鋭いトゲを突き刺してくる。


『言われてみれば、ね――それこそが、そう思っていることこそが、相手のやり口なのよ。

 言われてみればそう思っただけで、

 言われてなければそうは思わなかったということでしょう? 世界の意思がサナカをそう思わせるように誘導させたとしか、思えないじゃない、そんなの――』


「言われてみれば――いや、でも、これだって言われてみれば思っただけであって、ええっと、あなたがわたしにそう誘導させているっていうことも――」


 あるわけだし、と最後まで、わたしは言えなかった――、だって、面と向かってあなたのことなんて信用できない、と、そう言っているわけなのだから。


「……ごめんね、今、なんだか、誰も信じられなくなってきたよ――」


 世界の意思――彼女の存在は、大きく、強大過ぎるからこそ、まだ分かる。しいかさんの存在も、敵にしろ味方にしろ、どちらの性質も持ち合わせているからこそ、だからこそ、現実として存在していると、分かる。

 でも、目の前の彼女は、見えない――。

 今までに出会った中で、一番、嘘臭い、胡散臭い、怪しい、信用してはいけない相手に見える。だから彼女の言い分こそが、わたしをなにかに誘導させようとしている――警戒するべきものなのだろう。


 わたしは、見えない彼女――距離感なんてまったく分からないけど、一歩、引いた。

 波紋が立って――すると波紋が、ぶつかり合う……彼女が、前に一歩、踏み出したのだ。


「ちょ――」


『サナカ――信じてっ!』


 細かい論理的な攻め方もなく、ただの単純、一直線、感情剥き出しの触れ合いの中で、わたしに、信じてと、懇願してきた――。

 敵にしては無理やり過ぎる……味方だったら、きっと手を握ってそのまま抱いてしまうような、そんな必死さ……。安い女かもしれない、簡単なわたしかもしれない、でも、わたしは、彼女を、信じてもいいと思った……、ここまでする彼女が、敵だとは、思いたくなかった。



『いや、信じなくてもいい、嘘だと疑ってもいい――でも、

 それは全部、あとにしてほしい……ここは抑えて今は、最後まで話を聞いてほしいの!』

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