第36話 信じるべきは……

 彼女の言葉と説に、叩き潰されて使いものにならなくなってしまっている――わたし自身が、そうしてしまっている。

 それは、つまりは、わたしはしいかさんが敵に回ってしまったということを、いや、言い方が違う……、元々からしいかさんはわたしの敵なんだと、わたしが認めてしまっているようなものではないか――。


「じゃあ、しいかさんは――」

 わたしは、わたしの口からそれを出す。

「――敵、なの……」


「そういうことよ――信じられないかもしれない、信じることを、したくないかもしれない、でも、わたしはあなたを味方にしたい、守ってあげたい……。だから、つらいでしょうけど、言うわね……あれとは手を切って、わたしの味方になりなさい。

 そうすれば、あなたの危険は、絶対に、保証するから――」


 彼女はいつの間にかわたしの目の前にいた……座りっぱなしで脱力しているわたしの体を、優しく包み込むようにして、抱きしめた――その接触は、温もりを生み出した。


「可哀そうな、サナカさん……ずっと信じていた、自分の中の支えが、支えではなく、ただの罠だったなんて――そんなの、酷過ぎます……」


 耳元で囁かれる声――わたしは、ぼろぼろと、涙が出てきた。

 しいかさんに裏切られた、でも元々、信用されていなかったのだから、裏切ったとは言えないのか……。わたしが勝手に思っているだけなのだろう。

 しいかさんがもうわたしの味方ではないと分かった時に、わたしの堪えていた心が、決壊――それだけ、わたしはしいかさんを信用していたのだろう、信頼していたのだろう。

 いなくなってからこれだけ涙が出るということは、そういうことだろう。


 彼女は、そのわたしの穴を、埋めてくれる、と言ってくれたけど――味方として傍にいてくれる彼女には悪いけど、彼女では、しいかさんの代わりにはならない。

 しいかさんの代わりなんて、誰にだってできない――それはたとえ世界の意思だろうと、神だろうと、わたしが拒絶を蓄えている内は、絶対に、代わりなんて、使えない。


 ――それはわたしが許さないっ!


「……どうしたの、サナカさん――」


 耳元で、ぼそりと。


「わたしはあれだけ、あれの危険性を唱えたはずなんだけど、それでもあなたはまだ、あれのことを、味方だと思っているの、かな……?」


「……それは、そうだよ。それは、仕方のない、こと、だよ――だって、今まで一緒にいて、データでは分からないことだって、色々、と体験してきたんだよ。

 大げさに言えば、魂とか、気持ちとか、そういうところで繋がっていたはずなんだよ……それを、ただの説明で、全てを納得なんて、できるはずないよっ!」


 わたしは近くにいる彼女に、精一杯、叫んだ――そうしなければ、わたしは流されるままに、正解な彼女のセリフに、なにも言えず……自分の意見、不満、きっと後々に後悔として溜まってしまうようなことを、消化せずに、終わってしまうから……だから、


「――わたしは、まだ、迷っているよ……ッ」


「――そう、なのね。それも、そうか――」


 彼女は意外にも、潔く引いた――もっと、力づくで、わたしの意見を強制的に捻じ曲げ、決定させてしまうかと思ったけど、彼女は決定権を、わたしに委ねてきた……。

 わたしの意見はわたしが決める……これは当たり前なことだけど、それでもわたしからすれば意外だったのだ。きょとんとしてしまうのも、無理はない。


「結局は、サナカさんが決めることですしね――サナカさんのことなんですし、サナカさんが、決めれば、いいんだと思います。……となれば、どこか、リラックスできる所にでも――」


 いきましょうか、と言い終わる前に、そこで彼女は、かつん、と足音を鳴らして一気に後退――玉座までとはいかないまでも、玉座の手前まで、一気に距離を詰めた。

 なに――、と思って彼女が見つめている方向、わたしからすれば、真後ろ……。


 そこを振り向き、ツルバミの死体越しで、この部屋の出入口を見てみると、そこには――、

 見慣れた少女が立っていた。


「随分と遠くまで飛ばされたわね――私は。ここまでくるのに苦労したわ……。

 それで、サナカになにをしているのかしらね、世界の意思――」


 少女は歩いてきて、ツルバミの死体を、どん、と、腕でどけて、わたしの前にやってくる。


「――大丈夫かしら、サナカ」


 大丈夫かしら、サナカ――それは、間違いなく、しいかさんの声だ。

 目の前にいるのは、しいかさん――扉井、しいかさんのはずだ。


 なのに、なぜ――なぜ、こうも、しいかさんだとは、思えなくなっているのか。


 視界が揺れているせいか、しいかさんの姿がぼやける――それは自分の涙のせいだと勝手に思い、腕で拭ってから、しいかさんを見上げる。

 彼女は、手を差し伸べてきた――ただそれだけで、別に、わたしに危害を加える気なんてこれっぽっちもない、悪意なき善意のはずだけど、その善意を、わたしは叩いてしまった。

 無意識にしいかさんの手を払い、足で地面を押して、体を後ろへ、進ませる。


 距離を取る。


 しいかさんから、距離を取る。


「…………サナカ?」


 しいかさんの悲しそうな、目――うぐ、となったけど、わたしはこれ以上、引き下がれない……、物理的なことではなく、心理的なことで、ここまで拒否を示してしまったら、後は、全てをぶちまけるだけだった。


「――あの、世界の意思に、なにかをされたの? それとも――」


 それとも――、その先は言わずに、しいかさんは、口を閉じて、彼女を睨む。


「――やっときたわね、人間もどき。サナカさんにこびりつく害虫。

 ――本当に、これ以上、彼女の邪魔をしないでもらえないかしら――それと、彼女に傷を与えるのは、やめてくれないかしら。

 これ以上、続けるのならば、わたしはあなたを徹底的に潰すけど――」


 と、彼女が言い切る――彼女が、徹底的に潰すと言った……、世界の意思で支配者で神である彼女がそれだけの力を出したら、たとえ人間ではない生命体であるしいかさんと言えど、ひとたまりもないだろう……。

 原型など留められず、蒸発するかのように、消されるのみだ。


「十、カウントするわね……、

 それが過ぎてもまだこの場にいるのならば、さっきの脅し、本当に実行するわ――」


 言い切ってから、彼女は、十、と、それから一つずつ減らしていき、カウントを始めた。

 七を越えても、しいかさんはまだ、わたしの前に立ったまま――。

 既に彼女から視線ははずしているようで、しいかさんはわたしに視線を向けていた。


 じっと、わたしを見ている。

 まるで、なにかを、待っているように――。


「――待って。まだ、そのカウント、待って」


 わたしは真後ろに向けて、顔も体も振り向かせずに言葉だけを発し、彼女を止める――、

 ぴたりとカウントが止まり、ここからは、残された時間は、わたしのターンである。


「……しいかさん、最後に、納得できるように、お話しようよ――」


「…………」

 しいかさんは、はあ、と溜息をついて、まったく、と言いながら、腰を落とした。

「――本当に、サナカは、お人好し」


 ハートマークを語尾につけるような言い方で、しいかさんは、わたしの首を、絞めてきた。

 ぎゅっと、わたしの細い首が、狭まっていく――。


 しいかさんの手が、わたしの首の皮膚を、凹ませていく。ぎゅっと、ぎゅっと、どんどん息が詰まってくる。酸素と二酸化炭素の循環が、上手くいかない――呼吸がまともにできない、咳をして吐き出すこともできない。

 涙が出てくる――首を絞めるしいかさんの表情は、歪み、歪み切っていた。

 今まで見たことがない、しいかさんの新しい一面――、本当の、一面。


 本性。


 本質が、目に見えてくる。


「本当に、お人好し。善意、善意、善意以外を取り除いた不完全な善意の偽善者。なにが助ける――よ。なにが殺したくない――助けたい、よ。――ふざけないで。

 誰もそんなこと望んでいないわ。誰かが、そうしてくれとでも言ったの? あなたがやっていることは望まれているようで、でも実際は、理想を語っているだけの人たちに無理やり押し付けているに過ぎないのよ。

 理想は理想でしかなく、叶わないことを冗談で願うことが、理想というものなのよ――その理想を、あなたが叶えてしまった……叶うまではいかないにしても、それに近いことをしてしまった。さて、それが本当に相手のためになっているのかしら、ね――。

 余計なお世話、お節介、あなたは身に染みたはずよ……自分が動いて、事態が悪化してしまった。それが、あなたが終着した、最後の駅じゃなかったっけ?

 それをまた、繰り返すの――? また、また、ずっと、ずっと、同じことを続けて、循環させるって言うの!?」


 連続の言葉に、わたしは言葉を吐く暇もなく、言い返すこともできなかった。

 たった一言さえも、言えなかった。


 しいかさん――わたしが繰り返そうと思ったきっかけは、そもそもで、しいかさんなんだよ? 

 わたしがそういう風になるように、と促したのに、しいかさんはなんで――、


 なんで、それを、否定しているの?

 まるで、悪いことのように、言うの?


 しいかさん――しいかさんは、本当に人間ではない、人間もどき――、


 ――なの? と心の中の問いかけも満足にできない内に、しいかさんの顔が、吹き飛んだ。

 真横から飛び出してきた丸い、ちょうど、しいかさんの頭部と同じくらいの大きさの、鉄球――それが、しいかさんの頭部を、弾き飛ばした。


 入れ替わるように、でも共に飛んでいく二つの球体は、ごろごろと、地面を走って、壁に激突。――ごん、という音が鉄球と、しいかさんの頭部から聞こえてくる。


 頭部を失くした本体であるしいかさんの肉体は、首から上、そこを血の噴水と変化させ、そのまま重力に従い、わたしの真上に、覆い被さってくる――。

 当然、血の噴水を止めることはできずに、その真っ赤な血を、全身に浴びるわたし……。

 もう絶命しているしいかさんの体を抱きしめて、わたしは、数秒の後、起き上がる。


 隣で立ち止まった、彼女を見上げる。

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