第31話 逆さまのツルバミ
声は――上からだった。
ばっと真上を向くけど、でもいない。
えっ、と声を出して声の方向をもう一度探すけど、さっきと変わらず、もう一度探したところで、やっぱりいない。
……幻聴、なわけがない。だって、あれだけ鮮明に聞こえたのだから――。
いや、これがもしかしたら、しいかさんが言う、声なのかもしれない、けど……。
「いえいえ、それにしても頭の回転が悪い悪い、応用もできないとは、極みですね――出来損ないの極みですね。上から声がして真上だけを見るなんて、まるで、自分が向いたところに絶対に相手がいるという確信を持っているみたいじゃないですか。
世界は自分が回している、みたいに――なぜ、自分がそこまで上の立場にいる人間だと思っているのでしょうか? あなたは、そこまでのレベルの人ではありませんよ、複製さん」
その言い分にはイラッときたけど、確かに上から声がして真上だけしか確認しないというのは、声の言う通りに、出来損ないの極みだと思ったので、わたしは真上だけではなく、そこ以外も見てみる――けど、やっぱり、どこにも、いない。
「嘘、つかれた……?」
「いえいえ、あなたは単純馬鹿ですね――馬鹿馬鹿しい、面白いですよ、からかいがいがあります。信じやすい人なのかもしれませんね、なんとも、やりがいがある――それに……あなたは優しい人とも言えます。初対面なのにもかかわらず、私の言葉を信じるとは、あまりにも、あまりにも、これは無防備ではないのですか?
――これが、あの二人を倒したとは、想像もできませんよ、まったく――」
上にいないのも、それもそうだった――でも今のに関しては、ずるい、とわたしは文句を言いたかった。声の主はさっきまでは上にいた、それは確実――。
たとえ真上にいなくとも空中、でなくとも、わたしよりは上にいた。でも、今は、違う――きっとわたしと話している間に、移動したのだろう……、
いつの間にか、下にいた。
だから今の声も、下から――わたしからすれば、真横から聞こえてきた。
上げっぱなしだった顔を下ろして真横に向かせる――そこには、
羽――黒い羽。
けど大きさ的に言えば羽と言うよりは、翼、と言った方がしっくりくるかもしれない。
そして、豚のような鼻を持ち、耳が尖がり、ふっくらとしている、完全ではない丸顔――。
コウモリだった。
ただ、コウモリと言ってもわたしの知識の中で、それに近い例えを出しただけで、もちろんはずれの場合だってある。だって、わたしの知っているコウモリは、もっと小さく、手の平サイズのはずだ――なのに、このコウモリは、大きい。
サカザサほどではないけど、ドクマルほどはある。現在、コウモリは羽を閉じて自分を抱きしめるように、腕を組むようにして、真っ直ぐに、立っている。
コウモリは逆さまのイメージがあったんだけど、これも、わたしだけ? なのかな。とにかくコウモリ博士でもないわたしがこれ以上、コウモリについて語ったところで底は見えている……混乱するだけなので、目の前のそれを『それ』として認めよう。
コウモリの色は、全体――羽と同じく真っ黒だった。
もし、暗闇に紛れられたら、絶対に、肉眼では見つけることができないだろう。
だから薄暗い、今のこの場所では完全に、わたしたちの不利だった。
きっと、目の前にいる、彼――たぶん男の子――が、わたしたちに姿を見せようとしているからこそ、こうして見えているのであって、彼が姿を眩ませれば、わたしたちはいとも簡単に彼を見失う。面白いほどに呆気なく、馬鹿馬鹿しいほどに容赦なく。
見失う。
発見は困難だと――想像だけでそう叩き込まれる。
「……アクシン、なんだよね?」
「ええ、そうです――ツルバミ、と言います。さすがに二度も経験していると、狼狽えなくなりますか――戸惑うこともないですか、驚くことですらも、ないですか。
リアクションがないというのも、それはそれで、寂しいものです――いつもならば驚かれて恐がられて、もしも人と出会ったのならば、そんな気がして、想像でうんざりしていますが、ないならないで、こうも無を体験させられるとは、テンションが下がりましたね……。
こんなことなら、最初にあなたに出会っておくべきでしたか――」
うんうん、と自己で完結させて、わたしとはまったく話す気がないような、彼――コウモリのアクシン、ツルバミ。
彼はわたしのことを忘れていたらしい……、それは自分で認めているようで――「おっと、すいません」と言ってから、わたしと再び向き合った。
「スルーしてしまって申し訳ありません――本当に、ね。
それで、これからあなたのことを捕まえるわけですけど、それよりも前に――」
「それよりも前にっ!」
わたしはツルバミの話を、だん、と断ってから、言う。
「――しいかさんに、なにをしたの!?」
ああ、そう言えば――、とツルバミは忘れていたかのように振る舞う。
会話をしている間、しいかさんはずっと、絶え間なく、苦しみ続けている。頭を抱えて今にも悲鳴を上げてしまいそうなところを、ずっと、唇からこぼれる程度の悲鳴で、抑えているのだ。
それが、どれだけ、きついか、しんどいか……わたしには分からない、けど――叫んでしまった方が絶対に楽だということは、わたしでも分かることだ。
優しくしいかさんの背中をさすって、少しでも楽になってほしいと、わたしは願い続ける――でもその願いはまったく、叶うことはない。
さっきから、全然、しいかさんの状態が良くなっているようには思えない。
原因は、ツルバミ――、
彼が、どうにかしない限りは、きっと、しいかさんはずっとこのままなのだろう。
それは、どうにかして、やめさせないといけない。
「そうですね、そうでしたね、忘れてしまっていました――失敬失敬。そうですね、そろそろ、楽にさせてあげましょうか、それが一番、いい――いいと、私は思いますのでね」
ツルバミは、ふふふ、と笑って、不敵に笑って、じっとわたしたちを見続ける。
「
つらいでしょう、きついでしょう、しんどいでしょう――脳が揺さぶられているのです、シェイクされているのです。
意識が、ぐらついているのです……そろそろ、気絶してもいい頃合いなのですけど、ね――」
まったく、なんという耐久力ですか、とツルバミは素直に、冷静に驚いていた。
まったく、驚いているようには見えないけど……。
しいかさんを見て、ツルバミを見て、そこでわたしは疑問に思う――音波……音波とは、音のはず……、わたしが声を出せばしいかさんに聞こえるし、ツルバミにだって聞こえる。
それは当然の原理のはずだけど、なのに、ツルバミが放った飛波という音波……、音は、しいかさんに届いているのに、わたしには、届いていない。
わたしが、鈍いだけ? それは、わたしの数少ない優位性だけど、でも――、
「あなたは特別ではありませんよ――飛波に関して言えば、ですけど」
すると、わたしの心を読んだかのように、ツルバミがそんなことを言う――心を読んだ、というよりは、わたしの表情を読んだ、に近いだろう。
「私の力です、実力です。広範囲に広がる音波を収束させて、そこの女の人にだけ聞かせているわけですから、あなたに届いていないのは、当たり前です――。
あなたに届かないようにしているんですから」
わたしだけ――、でも、狙いがわたしならば、わたしにだけ、浴びせれば――、
「そうじゃないのですよ――あなたには、まだ、確認しておかなければいけないことがありますしね……とにかく、そこの女の人の、背中をさするのは、やめた方がいいのではないですか?
それが、ただ単に言わないだけで――そこの女の人にとっては、苦痛を助長しているだけかもしれませんよ――」
たとえば、もしかしたら、とツルバミは続ける――。
わたしは、しいかさんの背中を擦り続けたまま、
「あなたの行動が、事態を悪化させるかもしれませんよ――?」
ツルバミはわたしの心を的確に突いてくる。
「でも、なにもしなければ、なにもしないで、また、事態が……」
「ええ、そうですね、悪化するかもしれないですね――なにかをしても、悪化し、なにもしなくとも、悪化する――どうしようもない状況の板挟み、選択肢のサンドイッチ。
バッドエンドの分岐点――グッドエンドは存在していません。
さて、あなたはどうしますか? これは問いです、質問ではなく、問いです。
世界の意思は、どうするか、そう聞いています――」
世界の意思――それは、このデッドエリア、そしてスイーツエリア、二つの世界、いや、二つあっての一つの世界かもしれないけど……、
世界の意思は、この世界の、最重要となる、ワードだ。
そんな問い――、答えなんて、正解なんて、あるのだろうか……。
いや、きっとないだろう。これはわたしに向けられた問いで、いくつものわたしがいたとして、答えが千差万別なのは当たり前――、だから正解の答えなんてない。
ただ一つ、今のわたしが出す答えを言えば、それでいいのだから。
わたしは、口を開く。
「しいかさんが、言ってくれた、教えてくれた――だから、わたしは、進むよ。たとえ悪化したとしても、動いて悪化したとしても、その悪化を越える優位を、作り出せばいい……。
なにもしないよりも、動いた方がいい。わたしは自信を持ってそう言うよ」
強く、言う。
「停滞も後退もしない――失敗を恐れずに、前進する! それがわたしの歩む、軌跡っ!」
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