第27話 最低最悪

 わたしが咄嗟に作った策はまんまとはまったようで、心臓がばっくんばっくんだったけど、今は安心からか、落ち着いている――上手くいった、水中だからいつ失敗しても、わたしがいつやられても、おかしくはない。

 それが手首の怪我。

 これはわたし自身の、作戦のためにつけたものだけど、それだけで済んだのは良かった。


 良かった、んだけど――、もちろんこれも良かったことなんだけど、水位が、下がってきていたのだ。わたしの作戦の中には一言も、水位に関係すること、なんて出てきていない。

 わたしが考えていたのは、どうやってサカザサに近づけるかで、サカザサの背中にしがみつければ、それで役目は達成していたのだった……、そう、いま考えると、本当に咄嗟に考えた策で、ツギハギな作戦だったんだな、と気づく。


 今は水位が下がったことによって、わたしの勝ちみたいな空気が出ているけど、実際、水位が下がっていなければ、わたしの知識からの攻撃も多少はあったけど、でも、絶対にこんな結果にはなっていない。

 あのままサカザサになにもされていなくとも、呼吸困難によって、わたしは先に気を失っていただろう――、だから、水位が下がったことに、水位を下げてくれた、しいかさんに、感謝をしなければいけなかった。


 でも、


「会うのが、きまずいな……」


 ぼそっと、呟く――さっき、わたしの八つ当たりで喧嘩別れのようになってしまったから、言い訳のしようがなく、わたしが悪いから、会いづらい……。

 謝るためにも、お礼を言うためにも、会わなくちゃいけないんだけど、でも、会いづらいのは、やっぱり変わらない。


「……え、ちょ、サカザサ!?」


 そうこうと悩んでいる内に、わたしが現時点で跨っているように乗っているサカザサが、段々と、口数を減らしていた――口数だけではなく、呼吸さえも、弱々しくなっていく。

 衰弱、進行は、早い――このままじゃきっと、サカザサは、死んで……死んでしまう!


「サカザサ――待って、今すぐに、水を持って来るから!」


 気づけば、分かることだった――水があることでわたしが不利になるのならば、逆に、水がなければ、サカザサが不利になる……。

 しかもお互いに、水があることで、ないことで、そのまま命の危機へ、直結するのだから。


「――でも、どこにも、水なんて……、あっ、きゃっ!?」


 わたしは間抜けの代表のように、顔面から地面へダイブしてしまった。

 鼻をすりすりと撫でながら、立ち上がる――ぽたぽたと垂れる血は、鼻血だった。


 こんな年齢にもなって、しかも女の子なのに、鼻血を出すなんて恥ずかしいの極みだったけど、今の状態じゃあ、そんな常識を披露することは、ただの無駄な時間でしかない。

 だから気にせず、血も止めずに、わたしは動こうとした――ところで、


『……お、姉さん、大丈夫――おれは、大丈夫、だから――』


 なにが大丈夫なのか、見て分かるほどに、絶対に、確信的に、大丈夫ではないサカザサが、そんなことを言う――。

 ぴくぴくと全身が痙攣していて、皮膚は渇いていて、口も、開かなくなっているようだった。

 自重により、内臓が潰されていっている……っ!?


『おれ、なんかに、構わないで――おれは、もう、無理だよ。水だって、ないんだから――おれは、おれたちのようなアクシンは、水が無くちゃ、なにもできない。

 生きることだって、満足にできない。それに――』


 それに――と、サカザサは開けるのも苦労する口を開けて、言う。


『――お姉さんを、襲ってしまった。

 その記憶があるから、心が痛い。きっとこれは、罰なんだよ――』


「そんな、あれは、だって、仕方ないよ、暴走してたんだから! 

 サカザサが思ってやったことじゃないんだから、サカザサが気にすることじゃないよ!」


『気にすることじゃない――そう言われて気にしないなんて、お姉さんが思っているよりも、できないことなんだと、おれは思うよ。

 これは、自分との戦いなんだ、自分から自分への、縛りのようなものなんだよ。

 ――お姉さん、おれを助けようとしてくれるのはね、嬉しいよ――とっても嬉しい。でも、気負わないで、無茶をしないで、必死にならないで。ある程度の努力をして助けることができたら、ラッキー程度に思ってくれれば、それでいいから。

 もし失敗しても、落ち込まないで――。

 そのために、おれのことはテキトーに救おうとしてくれて、いいから――』


「そんなこと――」


 できるわけないよ。


 無茶してでも、わたしの命を懸けてでも、サカザサのことを救おうとするよ――だって、友達なんだから、弟なんだから――。

 そう必死に言おうとしたけど、サカザサは、にっこりと、わたしを見て、微笑んでくる。


「……どうして、そんな、優しそうな、顔をするの……? 

 だって、分かってるんでしょ? このままじゃ、死んじゃうって――、あの、死体みたいに、自分がなるって、分かってるんでしょ……? なのに、なんで……? 

 なんで、そんなにも、優しい顔で、いられるの……?」


『なんでだろう――』


 サカザサは、きょとんとした顔で、でも確信して、


『お姉さん……、サナカお姉さんと、友達になれて、

 楽しい時間を、最後に、送れたから、かな――』


「だったら――」


 だったら、これからもずっと、その楽しい時間を、過ごそうよ――と言いたかったけど、わたしの両目から溢れてくる涙のせいで、そして嗚咽のせいで、

 描いた言葉は言葉として、発することができなかった。


『もう充分なんだ――おれは、アクシンだし、結局、世界の意思の、手駒でしかない。

 生物じゃない、ただの、手駒でしかないんだよ。

 命令に背いた、だからきっとおれは――もう今かもしれない、もう少しあとかもしれない、もっとあと、ということだけはないと思う――。

 おれは、どうせ、もうすぐいなくなっちゃう。道具と一緒なんだと思うよ。

 役に立たないものは、廃棄処分する――おれは今、その立場なんだと、思う――』


「そんなこと――」


 分からないじゃない、とも、言えなかった――、この世界のことをなにも知らないわたしは、この世界の住人であるサカザサよりも、有力な情報なんて持っていない……。

 どうしようにも、サカザサには勝てない。

 サカザサの覚悟を、砕くことはできない。


「そんな、こと――」


『もう、いいよ――サナカお姉さん、楽しい時間を、ありがとう』


「ふ――ふざけないでよっ! そんなことで、納得、できるわけ――」


 そこでわたしは真後ろの気配に気づいて、振り向いた――そこには、


「――しいかさん!」


 斜め上――前方。

 しいかさんは、わたしが見上げるほどの高い場所に、仁王立ちのように立っていた。

 いま来たばかりで戸惑っているのだろうけど、でもしいかさんのことだ――光景を見て、すぐに終始を把握したのだろう、うんうんと頷いてから、しいかさんは、


「……サナカ、最後くらい、その子の言葉を、きちんと聞いてあげなさい……」


「え……」


 なにを、言って、いるの……? 

 それって、まるで、サカザサを、

 見殺しにしようとしているみたいじゃ――、


「なにを、言っているの――しいかさんまで、なにをっ!」


「助かる術はあるかもしれない――時間をかければ、見つけられるかもしれない。

 でも、もう時間も、ないのよ」


 しいかさんが、見下して、冷たく、わたしを言葉で突き放してくる――。

 そんな、もう諦める、なんて、そんなの……だってまだ、水はないけど、まだわたしの血がある、それを使えば、少しだけだけど、サカザサの命を、延命できるかもしれないのに……、

 それさえもしないなんて、そんなの、努力もなにも、してない……、

 やる前に、諦めている、そんなの――、


「サナカ、私でも、もう無理よ――サナカにだって、無理。

 それはね、この世界の絶対にはね、ルールにはね、勝てないからなのよ」


 なにを、言って――、

 と、わたしが掠れた声を出した時、わたしの真下の地面が――、


 地面が――そして円筒のようになっている水槽の底面部分が全て、桃色に、なった。


 粒子が、噴き上がるように、連続して、真上に舞い上がる――まるで桜のようだった。


 わたしは、知っている――わたしの、最大の武器だ。

 サカザサにとって、最低最悪の、武器だ――、

 どうしようもない絶対のルールが、わたしから、友達を一匹、いや、一人、奪っていく――。


 桃色の空間が生まれて、それと同時に、真逆の現象――、サカザサの体が消滅していく。

 跡形もなく――。


 わたしはすぐにサカザサを抱いたけど、遅かった……、遅いもなにも、もう無理なのだ、不可能なのだ。でも、わたしは信じたくなかった。だから無駄でもなんでも、行動をしたけど、結局、奇跡なんて起きずに、わたしは、サカザサを、救えなかった。


 また――だ。

 また、救えなかった。


 どうして、わたしは――、


 誰一人として、救えない。



 とん、と肩を優しく叩かれて、わたしは振り向いた。


 そこには、しいかさんがいた。

 どうやら時間をかけてあの高所から、ここまで瓦礫を使って、階段のように利用して、降りてきたらしい。時間が結構かかるはずだけど、わたしからしてみれば、サカザサが消えてから一瞬にしか感じられなかった。

 それくらい、わたしは長い時間、放心していたということだろう。


「――サナカ、大丈夫?」


「ご、ごめん、なさい――ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……、

 わたしのせいで、わたしの、せい、で――また、消しちゃって――」


 両手が震える――どれだけ心を落ち着かせようとしても、落ち着かない……。

 体は震えたまま――震えたまま、変化がない。


「わたしのせいで、わたしのせいで、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

 こんなわたしなんて、こんなわたしなんて、こんな人格の、わたし、なんて――ッ!」


 こんな人格だから――こんな結果になったんだ。


 だったら、こんな人格じゃなかったら、もっと上手く、できていたはずだ――。


 なら――、


「しいかさん」


「……なに?」

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