第26話 サナカの作戦

『――――!?』

 と、サカザサは背中の重みに気づいた――誰かに、掴まれている。


 掴まれていて、しがみつかれているので、いくら振り払おうと体を左右に振っても、背中の誰かは、振り落とされずに掴まったままだった。


『誰、だ――!?』


 背中にいるのでサカザサ自身、顔を動かし、振り向かせたところで、体の構造上、思うように、人間のようにはいかない。

 視界の先には自分の体の側面、少ししか映らず、確認はできなかった――、けど、大体、分かってはいた。確認が不要なくらいには、分かっていた。


 けど、それでも実際に目で見ておく必要があったのだ。

 もしも今、背中にいるのが、狙っている彼女なんだとしたら……、

 背中にしがみついて、一体、なにをしたいのか……。


『――ぐう、ごばあ……!?』


 するとサカザサが、いきなり、苦しみ出した――、ばたばたと暴れて彼女を振り落とそうとするけど、彼女は振り落とされてはくれずに、しがみ付いたまま――そして、サカザサを苦しめる苦しみは、長く、まだ続く――、


『なんっ……、こいつ、おれの、呼吸を……っ!?』


 じゃら、と体に巻き付いているのは、鎖……。

 その先端にはおもりだ。

 自由に泳げなくなる……、とは言え、不自由とまでは言えない。

 だけどそれを邪魔するのが、背中の彼女である。


 息継ぎを邪魔され、がんがんごんごんと、水槽の側面、底面に体当たりをしながら、視界の中の世界が、ぐちゃぐちゃになっていく。


 これが、呼吸が、できない、苦しみか――と、悟ったような思考回路がやってくる。

 ここまできたら、意識を失うのはもう少し――もうすぐである。


『っ、ああああああああああああああああああっ!』

 

 サカザサは声を上げて、落ちそうになる意識を取り戻した――、それから背中の厄介者を叩こうと、狙って、背中を壁へ、思い切り叩きつける。


『――まだ、まだ、なのか……っ!』


 背中にしがみつく彼女は、まだ――落ちない。

 くそっ、と唾を吐くように言葉を吐くと同時に、水中の外から、様々なものが倒れ、崩壊していく音が、聞こえにくかったけれど、それでも聞こえてきた。


『…………? なにが――』


 と、呆然とした後、状況の把握をしようと水面の外まで上がろうとしたところで、思ったよりも早く、水面が近いことに気が付いた――、

 おかしい、ここまで、近いはずはない、もっと遠かったはずだ……。

 これじゃあ、まるで、水位が、下がったみたいな――、


『……みたいな、じゃない――水位が、下がったんだっ!』


 誰のせいで! とサカザサは叫ぶけど。

 その時、サカザサの背中の少女が、笑っていた。


 まるで、狙い通りと、言わんばかりに。


 わたしだからこそ、分かることだけど――サカザサのさっきの壁への体当たりが、この建物、さらにこのフロアを、激しく揺らした。

 あの揺れの影響は多大で、崩壊が様々な場所で起こっていてもおかしくはない。身近なところで言えば、水槽は半分以上も壊れ、建物の壁は広範囲で壊れ、だからこそ、水がフロアの外に流れていき――建物の外に流れていき、水位が下がった。


 狙い通りの彼女自身も、ここまで水位が早く下がる、とは思っていなかっただろう――、彼女の作戦が無意識にあと押しされたのは、別行動中の、別の少女の仕業の影響もあるのだけど、そちらまではさすがのわたしも、手は、目は、回っていないので、正確なことは言えない。

 でも、関わっていて、大きく影響しているのは、見ていなかったとしても、明白だった。


 それしか、考えられないから――。


 今、現時点で確認していなくとも――だ。


 そして水位が下がってくる。

 段々とサカザサは、水上へ、強制的に連れていかれていく。


 まず最初に顔を水面から出したのは、少女だった。


「――ぷはあ!」と待ちに待った呼吸をしてから、

 何度か咳き込み、抜けていた力を再び入れて、サカザサにしっかりと掴まる。


「サカザサ――助けにきたよ!」


 少女の声は、サカザサにきちんと聞こえているだろう――、水上と水中、隔たりがある状態であれば、声は変化して聞こえているだろうけど、もう既にサカザサは水上へ、顔を、いや、気づけば体全身を、出していた……。

 だから少女の声を、鮮明に聞き取ることができたのだ。


「サカザサ……、って、なんか、ぴくぴくしてるけど大丈夫なの!?」


『……耳に、響く――』


 サカザサのどこに耳があるのだろうか――恐らくは、そう思っているだろう少女。

 そしてきょろきょろと、命懸けの戦いをしているのにもかかわらず、意識を右往左往させている少女は、結局、分からないや、というような表情をしてから――ごめん、と謝った。


『……その手は、手首は、どうしたんだ……? 

 まるで、なにかで、一線して、斬ったような――』


「うん、斬ったんだ――ナイフ、って、言えるのかどうか分からないけど、チョコ型の、ナイフ、かな? うん、そう、ナイフだね、ナイフでいいんだよ。

 ……そのナイフで手首のところを斬って、血を出したんだ――。その血と、沈んでいた死体を使って、サカザサを誘き出したの……賭けだったんだけど、上手くいって良かったよ」


 少女は、血が溢れ出ている手首をまったく押さえようとはしなかった――、

 完全に無視している……。

 自分の怪我でさえも、手段の一つだと計算しているのは、わたしでも少しぞくっとした。


「それにしてもサカザサ……なんだか自身に満ち溢れているような、なんというか……幼くなくなったような声に変わってるね――それに、口調も」


『――うん、少しは成長できたのかもしれないね……』


 と、サカザサは、暴走する前の状態の人格を、少しだけ、引っ張り出してきていた――幼さが少しだけ、そして少しずつ、戻ってきている……。

 記憶は共有されている、それは変わらないが、今度は人格が、暴走後の――世界の意思に従うその大人になった人格を、抑えつけて出現してきている。


『気を抜くとすぐに乗っ取られそうだけど、うん、きっと大丈夫――。

 そうやって、お姉さんが傍にいてくれれば、おれは大丈夫だよ、って、思う』


 …………。


「うん、そっか――」


 …………。


 もう、無理か。


 わたしは緊張を解いた――、肩にかかっていた荷物の重さが、一気に消えたような感覚を味わった。実際はもちろんそうではないけど、似たような感覚であるのは本当である。

 そしてそれは、サカザサの方も同じだっただろう――そうでなくては、おかしい、辻褄が合わなくなる。役立たずの、ポンコツ野郎とまではさすがに言わない――、

 あとは勝手に自由にしてくれればいい、そんな投げっぱなしの対応でわたしは、充分だった。


 別に、罰なんて与えない。


 逆らってくるなんて思ってもいなかったのだから。

 対応を考えていなかったわたしが悪いのである。まあ、けど、罰を与えてまで無理やりにさせるのも、わたしっぽくはない。わたしっぽい、ってのが、もう分からないけど――、

 とにかくサカザサが使えなくなった今、もうここを見ている必要もない、か……、少女の動向だけを追うことができれば、それでいいのだから、注意をして見ている必要もないだろう。


 わたしにだって、やることがある。


 とにかく一刻も早く、サナカを助けようとしているあの女を、始末しなければ。

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