第23話 餌? 友達?

『あぁ、あ……、食べ残しが、どっか、いっちゃうよ――……、別に、いいかなあ、でも、勿体ないしなあ……そこのお姉さん、なにか、思ったり、思わなかったり、する……?』


 わたしのことを食べるとかなんとか言っていたのに、彼は、シャチの彼(?)は、わたしに質問をしてくる――、問われたところでそんなこと知らないよ、と言ってしまいたくなるけど、これはチャンス……。問答無用で食べられていないのは、奇跡であり、逃げるチャンスである。


『うーん? ――って、お姉さんに聞いても、なんとも思わないか――。

 だって、おれとは違うんだよね、違う、種族なんだよね……人間、なんだから』


 餌なんだから――、こいつらと同じ、餌なんだから、と彼は言う。

 わたしを見つめる彼の目には、殺意も、根本的な敵意もない。

 それは、今からしようとしていることに彼自身、なんとも思っていないということ。

 終始、彼は同じことを言っていて、徹底していて、ぶれていない――。

 彼自身は、純粋に、わたしのことを餌と思っていて、

 わたしたち人間が動物や魚にしているのと同じ、食事気分なのだろう。


 おかしいことではない――おかしいことではないけど、でも自分が食べられる側に立ってみると、こうも理不尽なのか……。絶対的な強者に抗えないこの状況は苦痛だった。

 恐怖心が、先行してわたしを突き放し、走っていく。


「(…………)」


 人間という種族をまるで悪者扱いするかのように言う彼に、一言以上の文句を言いたかったけど、ここは水中なので、声が出せない――。

 仕方ないことなので、ここではがまんすることにする……、それにしても、彼はさっき、さり気なくわたしのことをお姉さんと呼んだけど――、自分自身でこう自己評価を下すのは嫌だけど、わたしは相当の童顔、のはず……。

 かなり年齢に差がなければ、わたしをお姉さんだと認識することはないはずだけど……。


 となると、さっきから予想がいくらか立っていたけれど、どうやらその通りらしいのかもしれない……、彼は、わたしよりも、年下なのかもしれない。


「(……なよなよしているような不安そうな言葉は、まだ一人立ちできていない……だけ?)」


 一人立ちが、一体どれくらいのことを差すのか、わたしには、正確には分からなかった。

 たぶん、一人で生活できれば一人立ちのはず……、お母さんに聞いたことがあるけどそう言われたから、間違った解釈ではないはずだ。

 そうなると、彼は一人で餌を捕まえることができているし、現に、こうして生きることができている――ということは、一人立ちができている、ということだ。

 そこまで、壊滅的に頭の足らない子供ではないのだろう。


 一瞬、わたしよりも年下の、子供……、そんなわたしも充分に子供だけど――そのわたしよりもさらに年下の子供を見下してしまったけど、彼は頭で言えば、わたしよりは上かもしれない。


 さすがに人間と、彼、アクシンとの違いはあるだろうけど――彼はドクマルほど、厄介ではないはずだ。

 ドクマルの時は冷静に策を組み立てられてしまうという危険性があったけど、彼にはそういう心配はなさそうに思える。


 もしも、あの不安定な精神状態が、演出でなければ、の話だけど。

 わたしの油断を誘うためだけのものならば、効果は充分過ぎる程に、結果を出している。


 ただ――、ドクマルのような危険性はないけど、ドクマル相手では絶対にないような危険性も持っていることを、忘れてはならない。

 それは、子供だからこその――必然。


 子供だからこそ――、


『……お姉さん、どうして、話してくれないの? 

 お姉さんは、どうして、動いてくれないの? おれのこと、嫌いなの? どう、なの?』


 きっと彼は、わたしが水中で話せない事を知らないのだろう――、今まで水中にいたからこそ、種族違えど、でも自分の中での常識が当てはまると思っている……。

 そんなことは、ないのに。


『黙って、いるだけ。黙っているだけ。

 無視しているの――無視されているのは、おれなの……? ぐすっ、知らない――知らない知らない! いじめだ、いじめ……、いいよ、いいもん、どうせ、どうせお姉さんはおれに喰われるだけなんだから、どうせ栄養になるだけで、おれの友達なんかじゃ、ないんだから……!』


 押し殺した、涙を流すわけにはいかないというがまんの声が聞こえてくる。

 必死に、格好悪いところを見せないようにと頑張る男の子の姿を連想してしまって――、

 わたしは、気づく。

 そうか、彼は、わたしのことを、餌と、それだけでなく、思ってくれていたのか。


 友達――に、なれると、そう思ってくれていたのか……。


「(…………)」


 話せたら、どれだけ良かったか……、今すぐにでも話してあげたかったけど、できなかったから、わたしは手を彼の頭に置いて、撫でた――。

 二回、三回、ざらざらの彼の皮膚を、優しく包み込むように。


「(……アクシンだからで、決めつけていた――彼だって、一人の生物……。

 わたしに敵意を向けていないということは、なんの感情も向けていないということは、無から有を、……それは、好意を向けてくれる可能性だってあるのだから――)」


『……お姉さん、もしかして、声、出ないの?』


 彼は気づいてくれた――うんうん、とわたしが頷くと、彼は、


『そっか、……おれのこと、嫌いなわけじゃないんだよね!?』


 うんうん、とわたしは頷く。


『よ、良かった、良かったよ、お姉さん。嫌われちゃったんじゃないかって、ずっと、さっきからずっと心配だったんだから。――お姉さんは、餌じゃ、ないよ。おれからしたら人間は全部、全員、餌だけど、でもお姉さんだけは別だよ――だって、おれの、最初の友達なんだから』


 そう言って、わたしの体に頬をすり寄せてくる――、最初は恐かったけど、相手の気持ちが分かってしまえば、可愛い、と思えるようになってきていた。

 頬を近づけてきた時に噛みつかれるんじゃないかって思ったけど、近づいてくる彼からは、なにも感じなかった――、そういう、殺意とか敵意とかではない、彼からの罪悪感すら、感じなかったから、噛みつかれることはないとわたしは安心していた。


『おれはね――サカザサって言うんだ』

 と、彼――サカザサはそう名乗った。


『お姉さんの名前は、そっか、話せないから、分からないんだよね――うん、大丈夫だよ、だったら、話せる時になったら、話してくれればいいから――』


 となると、すぐに地上か、スイーツエリアに行きたいところだった。スイーツエリアは、彼が消えてしまうから論外――話にならない提案だ。

 優先的にも消去法的にも、地上に向かうことが決定した今、わたしはサカザサの皮膚を軽く叩いて、それから指を上に向ける。


「(……上に行こう)」


 喋れていないので、伝わっているかは分からない――。

 でも、きっと、大丈夫だろう、そんな気がする。


「(そろそろ、呼吸が、きつくなってきたし――)」


『うん? ……うん、上だね! じゃあ、行こう!』


 サカザサはわたしの体を甘く噛んで、そのまま荒々しく、荒れる水中を泳いで、水上へ跳ね上がる――、そしてわたしを、近くの、水が浸入していない高台へ優しく置いてくれた。


『――お姉さん、大丈夫?』


「――が、はっ、がはごほっ!」


 わたしは高台に四つん這いになり、顔を水中から出すサカザサに返事をしようとしたけど、だいぶ水を飲んでしまっていたので、吐き出すのに苦労した。

 気持ち悪さがいくらか残るけど、なんとか平常に近い状態を取り戻し、わたしは、

「ありがとね、サカザサ――それと、わたしの味方になってくれて、ありがとう」


『こっちもだよ、お姉さん――おれも、友達が欲しかったところだから』


 わたしにとっての味方と、サカザサにとっての友達は、きっとイコールだ……、だから言い方は違くても、意味は同じで、感じ方も同じで、受け取り方も同じだ――。

 すると、サカザサは一歩、心理的に踏み込んでくる。


『それじゃあ、お姉さんの、名前――教えてよ』


「サナカ、だよ――よろしくね、あらためてよろしくね、サカザサ!」


『うん、よろしくね、サナ――』

 カ、と、わたしの名前を最後まで言えずに、サカザサは、いきなり顔を引っ込めた。


 わたしから見たまま、説明をすれば、サカザサは水中へ勢い良く潜って行った――その時の勢いで、水飛沫が、わたしがいる、この高台まで飛んでくる。


「え――ちょっと、サカザサ!?」


 叫んでも、サカザサからの返事はなかった――、

 どうしたんだろう? なにか、忘れ物でもしたのだろうか? 


 それなら、一言、わたしに言ってくれてもいいのに……、

 いや、彼ならば言うはず……それくらい、しっかりしているはずなのに。


「……嫌な、予感が、する……」

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