第20話 暴れる水流

 ――また、だった。


 現在、わたしとしいかさんはあのショッピングモールから少し離れた場所――、

 転々と出現しているスイーツエリアを通り、ここ、名前は分からないけど――、


(文字が塗り潰されているところが多い……。

 それに見えているところも虫食い問題みたいで、加えて漢字が難しくて読めなかった)


 水族館へ辿り着いていた。



 もう営業はしていない、当たり前か――。

 血だらけになっている職員の死体が倒れているのだから。

 わたしは薄目でなるべく見ないようにしながら、水族館内、見えている限り、最後であるスイーツエリアの中に入り、長方形の、石を見つけた――、


 雰囲気で言えば、石版のようだけど、しいかさんよりも倍以上も大きく、わたしは見上げる姿勢になっていた。その石版に、びっしりと、この世界にいると気づいたその時に見た、あの恐怖を思い出せてくれるような文字と文章……、それと同じようなものを再び、今、見つけた。


 もう薄目ではなく、しっかりと見ている。

 それから石版を軽く、手で触れてみる。なにも起こらなかった――、起こらなかったことは、特になにかを期待していたわけでもないので、別にいいけど……。

 それにしても、なんだろう、これ。

 誰かの、日記? 伝えたいことでもあるのかな? 

 でも、わたしじゃなにも分からない――、この文章から感じることなんて狂気以外にない。


「別に、前回のものと繋がっているわけじゃ、ない――よね?」


 前回のものを、はっきりと覚えているわけではないので、確信はなかった。


「うーん、でも、気になると言えば、気になるし……でも、戻るわけにもいかないし――」


「なにをぶつぶつと言っているのよ」


 すると、しいかさんが石版の文字を見るわたしの横にきて、そう言った。

 隠す必要はないので事情を説明して、いま抱いているわたしの『気になっている部分』を伝えてみたら、


「それなら、私も見たわよ――これと同じような石版が置いてあったんでしょ? ここよりも以前のスイーツエリアに。

 なら、それに書いてあった――まあ、内容まで、細かくはさすがに覚えてはいないけど……、サナカの疑問を少しでも解消できるかもしれない答えを、私は持っているわよ?」


 聞きたい? と、指を顎に添えて、しいかさんが言う。


「たぶん、時系列的には、こっちの方が先ね――、

 この石版の内容から、以前の石版の内容に繋がるんだと、思うわよ。

 でも、繋げてみても大体ってところで、全ての謎が解けるわけじゃないのよね――不完全。

 そして不明瞭。すっきりしないってところね」


 しいかさんの言葉に、そっか、と、わたしは仕方ないね、というような溜息を吐いた。


「この石版も気になるところだけど、それよりも、ここにスイーツエリアが繋がったということは、つまり、そういうことでしょ?」


 スイーツエリアはここから先、出現していない。

 出現していても、水族館の中である。

 それは、つまり、そういうことだろう――、

 しいかさんがわざわざ言わないでいることを、わたしは分かってしまった。


「……この水族館で、なにかしら強制イベントでも始まるのかな?」


「強制イベント――って、その言葉、もしかしてサナカって、ゲーム好き?」


「ゲームはしている方だと思うよ。趣味が基本、男の子みたいなものだし――、

 だから知識と技術は、男の子よりも凄いよ、わたしは」


「それ、完璧じゃないの。――知識と技術で上回っていたら男の子も涙目ね」


「そう? 涙目じゃないけど、光り輝いている目を向けられてるよ?」


「……羨望されているのか……」


 それはカオスね、としいかさんは続けて言う――、カオス、うーん、自分の状況をおかしいとは思わないけど、部外者から見たらそうなのかもしれない。


「私も、ゲームは、しないわけじゃないけど、そう数をこなしているわけじゃない――そんな私でも分かるのだから、やっぱりサナカでも、分かるんでしょう?」


 分かるんでしょう? ――この世界は、まるで、


「まるで、ゲームみたいだって」


「……うん。ドクマルで確定した――ドクマルを倒したことで、分かった。あの状況じゃあ、あれしか連想できない。まるで、ドクマルは、ボスみたいだった……。あのシチュエーション、あの組み立て方は、ボス戦みたいだった。ってことは――」


「ここも、そうってこと――サナカは、そう考えているってことね?」


 うん、とわたしは頷く――。

 今度は、この水族館にいるボス級の、つまりドクマルと同等レベルのボスのようなアクシンを倒すことができなければ、次のエリアへ、スイーツエリアは出現しない。


「ゲームみたいってのは、腹が立つけどね、でも、ゴールが見えているのは、分かりやすいわね――それはある程度の予測が立てられる、ってことだし。

 存分に、こっちのペースにも引き込める可能性もあるということ――」


 そして、安心しなさい、としいかさんが言う。


「――どんな敵がこようとも、サナカを守ることはできるわ」


 そんな――人殺し、ではないか……、アクシン殺しのわたしにはもったいない、甘い言葉。

 反射的に餌に飛びつく魚のような反応で、わたしは頷きそうになったけど、さっきの、トラウマ――、出来上がったトラウマを思い出して、

 わたしには守られる資格なんてないと思い、体を引く――。


 それが、しいかさんからしたら違和感に見えたのだろう――、当たり前だ、明らかに今のわたしは、誰が見てもいつも通りではない、おかしいものだと、自分自身でも気づくのだから。

 隠せている、そんな成功の絵が、自分の中でも描くことができていない。


 だから違和感を抱かれたのは、仕方ない――納得できるものだ。

 しいかさんも途中まではそう考えていたらしいけど、でも、途中からはわたしではなく、スイーツエリアの外に意識を持っていかれていた。


「……なんの、音?」


 スイーツエリアとデッドエリアの間には、濃い霧のようなものがかかっているので、深くまで行ってしまえば、視覚、嗅覚、聴覚、他、全ての感覚器官の感度が鈍くなる――、けれど鈍くなるのであって、無くなるわけではない……。

 なので、わたし基準で言えば、普通は無理だろうけど、デッドエリアの音をスイーツエリアの中で聞くことはできるのだ。


「――なにかしら、なにか、水が流れている音が聞こえるけど――」


「でも、水族館なら、そうなんじゃ――」


 そんなわけない――たとえ水族館だろうと、こんな、まるで、大量の水が流れ込んでくるような音が聞こえてくるはずは、ないのだ。


「……しいかさん――、デッドエリアに、行ってみよう!」


 言われるまでもないわよ! としいかさんはわたしを追い抜いて、先を進む――年齢の違い、肉体の違い、追い抜かれることは必然だった。

 どんどん突き放されたわたしは、なかなか、スイーツエリアから外へ出れなかった。

 けれどしいかさんとは十秒以上の差があってから、やっとスイーツエリアの外、デッドエリアに辿り着くことができた。


 出た瞬間――暗い、世界。

 スイーツエリアの欠片もない、混沌とした世界。

 何度も見て、慣れてきている目なので驚きはしない。デッドエリアを見たことについて驚きはしないけど――ただ、わたしの身長が低いせいってこともあるけど、それが最大の理由だとも思えるけど……、


 いきなり、体がどぼん、と沈み、

 なぜか水没している水族館内の状況に、わたしは驚いた。


「え……っ、――え!?」


「サナカ、手を、掴んで!」


 ぎゅっと手を握られて、反射的にぎゅっと握り返す――、

 視線の先にいたのは、しいかさんだった。


「しい、か――さん! これ、どういうことなの!?」


「私だってそれを聞きたいわよ――……無理やり、見て分かることをわざわざ言えば、水没しているわよね、ここ――」


 本当に見て分かることを言われた。

 状況把握もできない子だとでも思われているのだろうか……でも、しいかさんは無理やりに、と前置きをしているので、そこに文句はない。


「水が溜まるってことは――どうやら、入口も出口も塞がれている、窓までもが塞がれているってわけね。閉じ込められた――逃げられない……逃がさない、つもりかしら?」


「……もしかして、もう、襲われているの?」


 口に出したくない可能性。

 現在、最も可能性がある可能性を提示してみた――しいかさんの、それは違うわよ、というセリフ待ちだったけど、どうやらわたしの願望は、聞き入れてもらえないようだった。


「でしょうね――これが攻撃だとしたら、でもぬるいけど、でもね――」


 もしも、としいかさんが続ける。


「ステージの構築だとしたら、これはまずいわよねえ……」


 ステージの構築――、水没した水族館内で戦う場合、相手が水に強いアクシンだった場合……それはたとえば魚だったり、水陸両用の生物だったり……、だとしたら呼吸という生命維持のための必須項目を所持しているわたし達は、圧倒的に不利である。


 ドクマルの時も、飛び道具を使われるという不利があったわけだけど、そもそもで、アクシンという化物と戦うこと自体が、こっちの不利だけど――、それとこれとは、次元が違う。


 状況、戦闘場所さえも、敵に回る――。


 相手は確実に、わたし達を倒しにきている。


 捕まえるとかなんとか、ドクマルの時はそれを意識していたけど、

 今回の相手は、それを守る気がないようだった。


 なら――敵を倒すとか、そんな余裕なんてあるのだろうか。


「――いや、サナカ、殺されはしないと思うわ。

 サナカを捕まえるのが、あっちの方針なわけでしょう? あっちにも、サナカのことは捕まえないといけない、そういう理由があるからこそ、言っているわけでしょう?」


 そうかもしれないけど、でも、状況が答えを出している気がする――、だって、水没してしまえば、なにもしなくとも、わたしは死ぬはずだ。


「なにもしなくとも死ぬ――だったら、なにもしなくとも死ぬ手前まで、サナカが気絶するまで、直接、手を下さずにサナカをおとなしくさせることは、できるわけでしょう?」


「あっ――」と、わたしは流れ込んでくる腰までの高さの水に押し戻されながらも、しいかさんに引っ張ってもらいながら、なんとか前に進んで行く。


「……そう、だね。

 でも、結局、そうだとしてもっ、

 なにもしなくてもわたしは、相手の思うようにされちゃうでしょ!!」


 殺されなくとも――捕まってしまう。


 相手の思うままに――思い通りに捕まってしまう。


 外には逃げられず、水中で息をすることもできず、

 人間の力を最大限まで生かすこともできずに――、

 すると、だったら、としいかさんが言う。


「この水を、止めればいいんじゃないの?」


 平然とそんなことを言う。


 それができれば苦労しない――いや、勝手に決めつけてしまっているけど、わたしは、苦労なんてしたのだろうか。

 なにもしていない、なにも見つけようとしていない、自分が言った絶望的な展開を避けるための策を、探そうともしなかった。

 でも、しいかさんは見つけようとして、実際に、見つけていた。


 具体的な案まではまだだったらしいけど――、止める、そういう結果に繋がる行動を頭の中に入れている時点で、勝ち組である。

 わたしとは大違いの、別世界の住人のようだった。

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